紫陽花の花が咲きはじめたようだ。フェイスブックにもたくさんの紫陽花が上がっている。膝の痛みがあって外へ出ていなかったため、まだ、今年の紫陽花に会っていない。 焦りはない。ぼくにとっての紫陽花は、梅雨どきの煙るような雨にひっそりたたずむ、なんとも奥ゆかしい姿だからだ。とくに雨上がり、水滴をまとった紫陽花がいい。そんな紫陽花に会うと思わず、ほほ笑みかけている。 わが家には、一年中、写真のようなドライフラワーの紫陽花がある。ぼくの趣味ではない(人形はぼくが持ち込んだものだ
医者からは毎日5,000歩を歩くよう命じられている。先月から今月にかけて、あまり歩いていない。左膝の痛みで朝の散歩を3週間休んだ。散歩を再開して数日で、今度は右の膝が痛みはじめ、また休養した。10日間休んだ。 右膝にまだ軽い痛みのような違和感があるものの、不安になった。医者から「歩け」といわれているのはメタボのためである。20年前から、数値は境界線上をウロウロしている。それと、散歩を再開すれば筋肉痛が太もものうしろにやってくる。 80歳を目の前にすると、足腰の筋肉の
5年前、新型コロナウイルスが報じられる直前の休みの日、女房との諍いを避けるために二子玉川へいった。いまにして思うと、あのころが、ぼくの「第二の人生」のはじまりだった。当時74歳。翌年、待っていたのは数々の葛藤である。 映画館へ入り、たまたま見たのがクリント・イーストウッドの『運び屋』だった。ラストシーンは、自ら有罪を主張した主人公が収監された刑務所で花壇を造り、その横を老いた足どりで歩いていく姿だった。特別、意味がある場面ではない。 映画び終わりで、現実にもどったぼ
日本文学を専攻すると、「隠遁文学」は学問として避けて通れないテーマのひとつだった。現代文学しか興味がなかったぼくには遠い存在であり、きのうまで平凡な高校生に過ぎなかった19歳の若造にどれだけの知識があったのか疑わしい。 級友のひとりが、たぶん、隠遁文学を熱っぽく語ったのだろう。黙って聞いていたもうひとりがかすれた声でいった。「隠遁なんて敗北主義だぜ」。それから先のふたりの青臭い議論は記憶にない。ただ、「隠遁=敗北主義」の考えが当時のぼくには新鮮だった。 年齢(とし)
中学生3年の夏、商船高校への進学を考えた。柔道部の1年先輩が商船高校へ進学しており、渋谷でバッタリ会っている。カッコよかった。オレもあんな制服が着たい。切実にそう思った。すぐに鳥羽商船高校から「学校案内」を取り寄せた。 ぼくのルーツは海の民である。海に向かう気持ちがあって当然なのだが、ぼくは船乗りになる気は希薄だった。父も母もことさら反対はしなかった。母方の祖父に相談してみろというのが父のアドバイスだった。 祖父は東京へ出て成功したが、長男がフィリピンのルソン島で戦
高齢(とし)のせいか、ふだんは使っていない旧暦——つまり、月にそった暦に、このところ、とても魅力を感じている。日本では、古来、人間の営みは、その生死さえも、月の影響下にあるとかたく信じられてきた。 ぼくは本来が海の民である。もっとはっきりいえば漁民の末裔だ。父や母が口にしたのを聞いたことはなかったが、祖父母たちは、子供の誕生も、寿命が尽きて年寄りが没していくのも、潮の満ち引きがかかわっているとかたく信じていた。 いや、そうなのかもしれない。月の引力が、動物たちの生き
朝、散歩で訪れる境川が静まり返っている。冬のほうがにぎやかだった。町田市の鳥となっているたくさんのカワセミを見かけた。コサギ、ダイサギ、アオサギ、カワウたちもいた。マガモのカップルたちも常連だった。 ほかには、ハクセキレイやシジュウカラ、ツグミがいた。まれにモズにもお目にかかれた。ところが、5月だというのに川は静まり返っている。ときたま、カラスやムクドリがいるだけで、ヒヨドリさえみかけない。 たくさんのカルガモたちはほとんどが姿を消した。春になれば戻ってくるだろうと
マンション住まいの便利さのひとつが、年2回の「消防設備点検」である。この日は、業者さんがそれぞれの部屋をまわり、火災感知器は正常に動作するかとか、消化器の点検などを数分ですませる。どうやら、消防法という法律にそった決まりらしい。 一軒家住まいだったら年に2回も知らない人を部屋に入れなくてすむだろうが、ぼくにとっては、いまのところ、この「消防点検」は実にありがたいイベントだ。このマンションの場合、春と秋に実施されるので、衣替えのいい機会になる。 もっとありがたいのは、
日曜日の朝だったからか、今朝、川筋を走っているランナーたちの半分が女性だった。もしかしたら、半分以上が女性だったかもしれない。なかには小型犬に伴走させている方もいて、思わず、頬をゆるめながら見送っていた。 男もそうだが、女性の大半の方が本気である。本格的なユニフォーム姿で走っている。若い方たちが多いが、中年過ぎたかたも見受ける。日曜日の今朝は、とりわけランナーが多かった。どなたもが、真剣なので、背後から足音が聞こえてくると無意識のうちに道を譲ったほどである。 新型コ
朝の散歩で通りかかるお宅の前にメダカが飼われているプラスチック製の水槽がある。冬はメダカたちも藻の陰で“冬籠り”をしているのか姿を見せない。春の陽射しとともにあらわれて、いまでは素早い泳ぎを見せてくれる。 ひと月ほど前だろか、この水槽にスイレンの赤い花が咲いた。冬の殺伐とした風景に慣れた目にはまぶしいほどだった。 花は昼ごろでないと開かないと知った。そして、いつのまにか枯れていた。しかし、季節は暦の上ではすでに夏である。次に咲く花が水中に見える。 ふと、子供のこ
歴史に関する本を2冊読んだ。いずれも著者は、それぞれのテーマに沿った泰斗と目されている学者の方々である。 2冊の本は版元こそ違うものの新書判、電子書籍である。入門なので新書判で十分だし、フォントが大きくできる電子書籍は年寄りにはありがたい。 最初の本は平安時代に起こったある事件を扱っている。読みはじめてうんざりした。あまりにも、硬直した文章だったからだ。これは担当編集者がかなり苦労しただろうと思った。版元は一流の出版社で、二度、三度と読み返しているくらいだし、文章に
今朝、草むらに散る10片ほどのカラスの羽根を見つけた。子ガラスは飛んでいったとばかり思っていたが、なんらかの小動物に襲われ、さらわれていったらしい。羽根があった場所は、まさかと思えるほど前日にいたところから離れていた。きっと、飛ぼうと懸命になっていたのだろう。 襲われた子ガラスも精一杯の抵抗を試みたらしい。羽根の散り方でそれがわかる。もう少しで飛べただろうに、なんとも悲惨な結末になった。きのうの雨でぬれた草むらに残る羽根を見つけ、朝からいたたまれない気分である。 た
この1週間、バカなマネをしたものだ。 保存林を通り抜け、小さな社にお参りして引き返すのが毎朝の散歩である。保存林に隣接して、手前には草むらがある。そこにカラスの幼鳥がいた。巣から落ちたのか、巣立ちにしくじったのかはわからない。 頭上で複数のカラスが見張り、少しでも幼鳥に近づくと激しく鳴きわめき、枝から枝をせわしなく移動しては、こちらの注意を自分に向けさせようとしているかのようである。 幼鳥も大きく口を開いて「寄るな!」とばかり威嚇する。口のなかの赤色が不気味だ。幼
どうやら「誤診」らしいとわかってまだ1か月にはならないし、実感はまるでない。5年前、パーキンソン病と診断されてからの焦燥感である。 近所の同じ齢で、歩くのさえやっとという男性を見て、ああなる前に自死できるだろうかと何度となく反問した。あるいは、自死ではなく、手足に症状が出る前に逝きたいものだと心から願った。 パーキンソン病の検査を受けたのは字が書けなくなったからである。パーキンソン病と診断され、さいわいというべきだろう、当時は実にいろいろな凶事が重なっていた。おかげ
毎晩、夢を見ているようだが、目が覚めるとほとんどを忘れている。いい夢などめったにない。ほとんどが「夢でよかった」というたぐいの、悪夢とはいわないまでも、不快な夢がほどんどである。夢を見ないという人がうらやましいほど、夢にはうんざりしている。 昨夜の夢は珍しく学生時代の仲間が出てきた。内容もかなりを覚えている。もちろん、たわいのない内容で、毎度のことながら自分の想像力の貧困さにあきれている。夢に見たMも、最後に会ったころのままで、40代から年取っていない。 去年だった
仕事仲間のひとりが、上野こそ自分の原点だと公言してはばからなかった。東北からやってきて、はじめて降り立ったのが上野駅であり、目にした東京は上野の街からだという。カラオケでは、井沢八郎の『あゝ上野駅』が彼のオハコだったのはいうまでもない。 上野はぼくにとってもなつかしい街である。菩提寺が本郷にあり、墓参りのあと、ときたま、上野公園や動物園へ連れていってもらっていたからである。昭和20年代の中ごろから後半にかけての幸せがいっぱいの徒歩での道すがら、空襲の痕跡だろう、家の焼け