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学校に行かないという選択肢 〜僕の不登校20年〜 vol.2

学校に行けなくなって真っ先に思ったのは
「この先どうなるんだろう?もう生きて行けないかもしれない」
ということでした。

そして、学校に行けない罪悪感と劣等感に苛まれて引きこもりになり、ただただ苦しく、辛い気持ちで毎日を過ごしていました。

今、思い起こせば、それは当然です。
教員一家に生まれた僕の中にはこれっぽっちも
「学校に行かないという選択肢」は存在していなかったのです。

ある日僕は両親が仕事に出かけたあとにそっと部屋を出ると、父のしまってあったノートパソコンをこっそりと出してきました。
そしてインターネットに繋ぎ、慣れない手つきでゆっくりと検索ボックスに『不登校』と入力しました。
そのとき手が震えたことを今でも鮮明に覚えています。

学校に行けなくなってしまった自分。
そのことを自分でも受け入れられずに引きこもって過ごしていた毎日。
『不登校』という言葉すらも自分にとっては恐怖感のある言葉でした。
でも、そんな悶々として辛い毎日の中で、自分の今の状態について少しでも「向き合おう」「前に進もう」と、無意識に思っての行動だったのかもしれません。

心を奮い立たせEnterキーを押した先には、広大な世界が広がっていました。
まだSNSの無い時代でしたが、
不登校や引きこもりの仲間が集まるHPやチャットや掲示板。
不登校の子が手作りしたHPや、そこで発表されている絵や詩や日記。
リンク集には同じような境遇の仲間たちのHPの数々が掲載されていました。

そこで見つけたひとつのHPの掲示板が僕の運命を変えることになりました。
「不登校っていけないことなの?」
と題されたその掲示板では、12才の不登校の女の子が持論を展開していました。
まだ「不登校」という言葉ができて間もない2000年。
世の中の「不登校」に対する考え方や風当たりは今以上に厳しく、書き込みをする様々な顔の見えない投稿者たちは、不登校の彼女に対して辛辣な言葉や現実を投げつけていました。
それに対し12才の彼女は、その投稿の数々を受け止めながらも
「不登校はいけないことでは無いのではないか」
という自分の考えを発信し続けていたのです。

前述の通り、「学校に行かないという選択肢」をこれっぽっちも持っていなかった自分は雷に打たれたような衝撃を受けました。
「そんな考え方があったのか!」という大きな驚きとともに、

学校に行かないと生きていけない
→学校に行けなくなった
→僕の人生は終わりだ

と思って抑うつ状態に陥っていた自分の中に、かすかな希望の光りが見えたのです。
「学校に行かないという選択をする」
そして
「行かないことはいけないことではない」

そう思えれば、そう思えるようになれたら、もしかしたら自分は生きて行けるかもしれない。

もちろんそれは簡単なことではありませんでした。
明治時代から150年以上にわたって続いてきた義務教育というシステム。
教員一家に生まれたという境遇。
世の中の当たり前の価値観の中で、そこから外れる不安。
そして実際にどうやって生きて行ったら良いのか。

「不登校」に対する認知や理解が少しは進んで来たとは言え、学校に行くということがあまりにも当たり前過ぎて、「学校に行かないという選択肢」があるということ自体に大きな衝撃を受けてしまうような実態は、あれから20年経った今でもあまり変わっていないような気がします。

でも、あのとき感じた衝撃と希望が無かったら、今の自分は無いということははっきりと言えます。
「学校に行かないという選択肢」に出会えたことで、本当の意味での僕の人生が始まったと、そう確信しています。


つづく

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