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僕と阪神タイガース② 大学〜星野リゾート入社〜各地転々編

阪神タイガースの38年ぶりの日本一を祝して、大阪生まれでその後各地を転々としてきた私のこれまでのタイガース遍歴を綴っております。

興味持っていただいた方は、前編の出生~高校@大阪編はこちらからご確認ください。

ちなみに今回の表紙写真は、右が6歳頃の私、左は当時飼っていた幸運を呼ぶトラ猫「たま」を抱いている姉。

今回は、大学進学から社会人になり地元大阪を離れる、いわば遠距離恋愛編になります。
時代背景が分かりやすい様に、当時のITやデジタルデバイス事情なんかを絡めながらお話を展開したいと思います。

1998年 19歳 信州大学(長野県)に入学


1年の浪人期間を経て、念願かなって長野県の信州大学に入ります。
自然溢れる環境に子供の頃から憧れており、行くなら北海道か長野県か、と思っていました。

合格通知(後期試験だったので3月)を受け取ってから、入学式(4月初旬)まで時間が短かったのもあり、急ピッチで引越し&一人暮らしの準備を始めます。

身の回りの物品はもちろん自分自身で整理するのですが、タイガースの法被やメガフォン、マスコットなどは一切実家に置いていく事に

それくらいの温度感になっていたとも言えます。

ちなみにこのタイミングではじめて携帯電話(ガラケー)を持ちます。
通話のみの機能で、ネット検索はおろか写真もメール機能も無し。
通話料がべらぼうに高いので、おいそれとは使わず、屋外で携帯に着信があったら電話ボックスを探して折り返す、本当にそんな時代でした。

で、1回目の引っ越しで信州大学の本部がある松本市に移住します。
引越して入学式までは友達もおらず、ネット環境も皆無だったので、必然的にテレビを見る時間が増えるのですが、その時気づいたのは

 ・阪神ファンの味方、最強"サンテレビ"が映らない
    ・そもそも主要なチャンネル(放送局)も少ない
 ・テレビ番組が大阪と全く違う
 ・ついでにABCラジオも聞けない

という事でした。
町のコンビニには、"地球最後の日でも一面はタイガース"でお馴染みの「デイリースポーツ」もどこにも置いてありません。

つまりここ(当時の松本)には阪神タイガースの情報はほぼ無い、という事です。

この時猛烈に寂しさを感じるのですが、入学式を経て授業が始まり、ラグビーサークル(後に部に昇格)に所属し、イベント目白押しで浮かれるのに忙しく阪神タイガースの事を思う時間は日に日に減っていきました。
当時の"遠距離"の難しさは現在の比ではありません。

タイガース熱自体は、冷めていくのですがこの頃から身に着けていくのが「話のネタとしての野球」でした。
まだ、この頃は野球が一般教養として成立していた時代でした。(個人的見解)

特にバイト先で年代の異なる先輩や大人たちと接する際のコミニュケーションツールとして野球ネタは最適でした。
初対面の会話の中で、出身地=大阪 →「タイガースファン?」という流れは、鉄板でした。
嗜好が多様化する前はこういう点は楽でした。
松本は当時圧倒的に巨人ファンが多い土地柄だったので、巨人情報もまんべんなく取り入れていきます。

そういう訳でこの時期、私の野球脳はどんなシーンにも対応できる様に「広く、浅く」に変遷していきます。

ちなみに2年生からは長野県南部(南信)の伊那キャンパスに移るのですが、そこは地元民が巨人派と中日派に分かれる土地柄でした。
南信は東京より名古屋が身近な大都市、という事でその影響があったとか。

伊那では3年間飲み屋街のラーメン屋(営業時間21:00~25:00頃)でバイトするのですが、店主とも常連さんとも基本プロ野球と高校野球の話をきっかけに仲良くなりかわいがってもらっていた思い出です。


ラーメン屋バイト時代
熱狂的な巨人ファンの店主と
私はさりげなくタイガースカラーのTシャツを着ています(たまたま)

野球プレイヤーとしての私は、(娯楽の少ない)地方の大学あるあるでイベントがやたらと多く、年2回開催される伊那キャンパス内ソフトボール大会は毎度チームを結成して参加していました。
その頃好きだった桧山進次郎選手を真似て、青いグローブを使用していました。

楽しかったソフトボール大会

そんなこんなで楽しい大学生活は終わり、卒業→就職となります。

2002年 23歳 星野リゾートに入社 軽井沢期

3年住んだ南信の伊那から東信の軽井沢に引っ越しします。
「自己紹介」記事でも触れた通り、この頃は星野リゾートの施設が増える前夜とも言える時期で、全てにおいて牧歌的でした。

新入社員の顔写真付き自己紹介が事業所内に出回り「星野猛虎会」(会社非公式のごくごく内輪の阪神ファンの集い)にスカウトされます。

この頃、超がつくほど丸みを帯びた極めてソフトな虎となっていた私は内心このお誘いにビビッておりました。

「熱狂的な人たちではないだろうか?」

心配を他所に、皆さんいい人で、会の趣旨も年に数度東京に遠征して阪神タイガースを応援に行きましょう、というものでした。

入社2年目の2003年は猛虎会が盛り上がった年でした。
阪神は1985年以来のセ・リーグ優勝。
しかも監督は星野監督。
"星野"と言えば"仙一さん"な時代でした。

当時のIT環境はと言うと、ADSLが普及し動画などもチラホラ見かける様になりましたが、動画配信などはまだ夢の夢。
Radikoの様なネットラジオもなく、阪神戦を見たければパラボラアンテナなりをつけCSの有料放送を契約するか、yahooの一球速報をひたすら連打するか、という時代でした。
夜、家に帰ってスポーツニュースを"はしご"する、っていうのも当時ならではでしたね。

残念ながら2003年の日本シリーズにタイガースは破れ、日本一にはなれませんでした。

2005年 転々期〜東京期 


2005年も岡田監督の元、阪神タイガースはセリーグ優勝するのですが、この頃の私は、星野佳路代表のアシスタント→トマム赴任→東京に転勤、と激動の時期だったのであまり記憶にありません。

東京勤務になった頃、星野リゾートは運営施設数が年々増えていく時期に重なります
星野猛虎会の本部(?)も軽井沢→東京に移転し、1年に1回くらい私も気が向いたら参加する、という感じでした。

2007年 ラグビーワールドカップを見にフランスへ行く

話は野球からそれてラグビーになります。
2007年にラグビーのワールドカップを見にフランスに行きます。

先日(2023年9〜10月)行われていたラグビーワールドカップフランス大会の前のフランス開催大会ですね。

ラグビーワールドカップの試合前風景
至る所で見かけたオージーはいつもとても楽しそうでした

そこでラグビーにどはまりします。

帰国後も、ほぼ毎週末は東京青山にある秩父宮ラグビー場や首都圏近郊のラグビー場で試合を求めて出歩く様になりました。
ラグビーそのものだけでなく、「旅×ラグビー」にもはまり、関東近郊であれば多少遠くても遠征していました。
ラグビー観戦するだけでなく、このきっかけが無ければ来るはずのなかった土地の美味しい物を食べたり、ついでに観光したりを趣味にしていた時期がありました。

そんな訳で、時間も脳内HDDも野球に割ける容量が減ってしまい、(確か)2011年を最後に球場に足を運んで野球観戦をする事は無くなりました。

その後

結婚もし、子供も授かり公私ともに充実した毎日を送る中、私の中から野球がどんどん遠ざかっていきました。

地上波での野球中継は極端に減り、ネットの光通信が家庭でも当たり前になり、スマホを持ち始めました。
情報は受動的に受け取る事が全てだった時代から、能動的に取りに行ける時代に移って行った事も、私の野球離れを加速させた気がします。
阪神タイガースの成績自体も惜しいけど、あと一歩、な時代でした。

2014年に長男が誕生。いつかは息子とキャッチボールがしたい、と考えたのは映画「Field of Dreams」世代だからでしょうか。

当時埼玉に住んでいたので、いつか息子が大きくなったら西武ドームに野球を見に行こうと淡い想像をしていました。
どうせなら息子にその土地に根付いたチームを応援させたい、というのとちょっと"熱狂的"なモノに敷居の高さを感じていたんだと思います。
当時(2015年頃)の西武ライオンズは、幼い息子と行くのにちょうどよい温度感に思えたのです。(※個人の見解です)

結局、2017年に北海道に家族揃って移住し、息子との埼玉西武ライオンズデビューを果たせずに埼玉を後にします。

移住当時、北海道日本ハムファイターズの印象は"熱い!!"でした。
2016年に日本一になった余韻と、大谷選手も在籍していたり、でなんだか飛び込むにはまだ"熱狂的"に思えたんですね。
まあ、息子もまだ3歳だし早いしいいか、という事でまたまたしばらく野球に無縁の生活を継続します。

そして今年2023年、北海道日本ハムファイターズは本拠地を札幌の「札幌ドーム」から北広島の「エスコンフィールド」に移転します。
長男も何かスポーツをやらせたい年頃になっており、"時は来た”、という事で5月に家族で話題のエスコンフィールドに野球観戦に行く事に。

でも、その試合はファイターズは完封負けでいい所なし。。。
しかも、息子にルールの事をいろいろ聞かれても答えられない訳です。
物心ついた時から野球に親しみ、"九九"より先に野球のルールを理解していた者からしてみると、「なんでそんな事も分からないんだ?」となります。
よくよく考えると、犠牲フライとか、三振振り逃げとか、野球は説明しにくいルールが多すぎます。

結果、息子はぜんぜん野球に興味を持てずにその日は帰宅しました。

ただ、私の野球熱はむくむく目覚めたわけです。
なんかやりたくなったので、とりあえず学生時代にはまった「実況パワフルプロ野球」Switch最新版を購入し、やりはじめる事に。

ゲームになると長男もがぜん興味を持ちはじめ、気づけば私よりやりこんでいる訳です。
さすがは、デジタルネイティブ世代。

みるみる彼はルールを覚え、野球の楽しさ、奥深さを知りはまっていきます。
自分でも実際にやりたくなった様で、キャッチボールがしたいとグローブも2つ(彼用と私用)買いにいきました。
8月には2回目のエスコンに行き、その日は彼も楽しんだようです。

エスコンフィールドにて
やっぱり生観戦はいい
しかもこの日は勝利

こうして長男の野球好き育成に成功し、迎えたのが先の日本シリーズでした。
大阪を離れて早25年以上が経ち、久々に地上波TV放送で触れる阪神タイガースを親子で夢中で応援した次第です。

現代のネット事情は便利なのか、おせっかいなのか分かりませんが、こちらの検索傾向から趣味嗜好をあぶり出し、それらしきニュースのシャワーを浴びせてきます。
お陰様で、日本シリーズ終了後も阪神タイガース情報の脳内アップデートが日々行われていきます。
来年の事は分かりませんが、長男も本格的に少年団の野球チームに入りましたし、エスコンフィールドにもまた行きたいし、阪神タイガースも強そうだし、しばらく私と我が家の野球ブームは続きそうです。

終わり。

==
長文にお付き合いいただきありがとうございました。
”3部作にはしたくない”一心で、つらつらと書き進めました。

次回は、もう少し星野リゾートやファーム星野に寄せた記事を書きたいと思います。



























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