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意識と客観世界

私たちに見えている世界(客観世界)は私たちの意識とは無関係に存在しており、もし私たちの意識がたったいま突然消滅しても世界は何事も変わらず続いていくようにも思える。はたして本当にそうなのだろうか。実は私たちが見ている天の川銀河・太陽系第三惑星「地球」上におけるこの美しい景色は、私たちの意識と無関係に存在しているわけでは決してない。私たちが見ている世界は外界に存在する森羅万象を私たちホモ・サピエンスの五官(センサー)を通して脳が捉えた世界に過ぎないのだ。すなわち私たちが認識している事物・事象はすべて現象であり、私たちの脳が捉えているように実在しているわけでは決してないということだ。

それでは私たちの意識と外界との間にどのような関係があるのだろうか。確実に言えることは、もしこの地球上に私たちホモ・サピエンスとは異なるセンサーおよび脳に相当する認識システムを有する知的生命体が飛来しており、その生命体が自己意識を有していたならば、彼らの認識システムが捉える”客観世界”は当然ながら私たちの脳が捉えている”客観世界”とは異なっているはずだということだ。なぜなら私たちと彼らとはセンサーの可視範囲も可聴範囲も異なれば、”脳”の構造や仕組みも異なっているからだ。

しかしながら私たちが捉えている世界と彼らが捉えている世界との間には間違いなくなんらかの相関関係が存在するものと思われる。それは私たちの意識を離れて存在する世界が捉えどころのない”マグマ”ではなく、なんらかの規則性を有する世界であると考えられるからだ。それ故に、たとえ私たちは他の知的生命体と世界の認識方法が異なっていてもコミュニケーションが全く不可能なわけではないということになる。また現象として捉えられた認識対象(存在者)の相違性とは無関係に成立する数学的手法はかなりの程度まで共有できるかもしれない。

それでは私たちの脳によって把捉されない外界とはいかなる存在なのだろうか。カントの言う「モノ自体」なのだろうか。それともソシュールの言う分節しがたい「マグマ」のような存在なのだろうか。そもそも私たちの意識とは無関係に存在する存在者ははたして存在していると言えるのだろうか。外界をミクロレベルで観察すると日常レベルの世界とは異なる世界が見えてくる。すべての物質を構成する最も基本的な粒子であるクォークや電子などの素粒子は波としての性質と粒子としての性質を併せ持つとされる。

この相反する矛盾した二つの性質が同時に存在するというのはそもそも世界がそのような二面的な相補的なものとして存在しているのか、それとも量子力学的アプローチに根本的な欠陥があるのか、それとも私たちの脳が世界をそのようにしか捉えられないのか。あるいは本来波として存在する素粒子が私たちの観測を通して点粒子に変化してしまうのか。もしそうであるならば私たちの脳はただ単に世界を認識する1装置として存在するのみならず、意識と認識対象である”客観世界”を相互依存的に媒介する手段ともなり、”客観世界”の構築に大きく関与していることになる。

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