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300日後に校務分掌ICT主任を引き継がせたいアラフィフおじさんの引き継ぎ書の下書き 15 会議

起案までできているなら、会議は茶番とまではいわないが、それまでの経緯をまとめたものとして、公に伝える場になる。

会議の機能としては、
議論する場なのか、報告・公表する場なのか
の概ねどちらかと言っていい。

議論する場としての会議は、侃々諤々するべきだ。
だが、そのような議論ができる人間は、ほとんどいないだろう。自分の感情をベースにしながらも、ロジックで論を投ずることができる人がいたなら、その人について行ってもいいくらいだ。
日本人の、しかも公立学校の公務員たる教員で、そんな人は稀だ。
まずもって、議論する場ではなく、自分の感情を持ち出す場になっていると思って話を聞くことだ。
感情を持ち出している時点で、ロジックも根拠もない。ので、話として噛み合わない。だから前述した、ネゴシエーション、ロビー活動での落としどころを探る前段が必要になる。

だが、実際は、議論する場ではなく、それまでの根回しをオフィシャルに確認する場になる。こうこう、こうでしたよね?というすでに関係者の中で何度も話したことを、今度は会議の場でオフィシャルに話をして、確認することだと、認識しておいていい。

つまり、会議にかけるそれまでの過程で話は決まっていて、それを公に伝えて、「この件はこうなります」と宣言、伝達する作業だともいえる。
だが、これをやらないと、全体に正式に伝えたことにならないので、そういう手続き的な、手順的なことだと理解して、あえて会議の場で、「この件は、こうこうこういうことをねらって、このような段取りで、このようにいたします」と伝えることに意味がある。そういうパフォーマンスの場だ、として、その役割を果たすものだ。

なお、ちゃんとした議論ができる会議があったとしたら、臆することなく論ずべし。論ずることができるほどのバックグランドを持っておくべし、話のロジックを組み立て、根拠を示すべし。思い付きで言うことなかれ、感情論のみで話すことなかれ。受容と共感はしてもよいが、自分の論は通すべし。それは、自分の信念を貫き、自分の「教育」を形にする場である。熱く語るもよし、淡々と語るもよし。

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