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「なんでだろう?」と【感じる】ことの大切さ

つい先日、とある人に

『ココロのことを言語化するのが上手ですね』

と言われた。


多少、その自覚はあったが
じぶんの中で普段から
ナチュラルにやっていることで

それが特別なこととは
思っていなかった。



ココロのこと
意識のこと

つまり、
目に見えない【感じること】を
言語化することは確かに好きだ。



常に、
ココロのこと
意識のこと

そもそも、
生きること
在り方
について、いつも考えていて、

いつでも
「なんでだろう?」
って思っているんだよね。



「なんで○○なんだろう?」
「なんで●●なんだろう?」

って、
常にアタマの中は
「???」
でいっぱいなんだ。



だからさ、
その「???」を解決する
ヒントや答えを見つけると
とにかく嬉しくて。

言語化して
誰かに伝えたくなるんだ。


その氣付きを伝えるとね、
相手の顔が「パァ!」っと
明るくなるんだ。

相手の目が急に輝き出すんだ。

その顔がすごく好きでさ、
その顔が変わる瞬間が大好物でさ、

より ますます、
氣付きの言語化が楽しくなってるんだ。


だから勝手に
言語化が上手くなっているだけ
それだけ、なんだ^^




わたしの氣付きの源泉は
「なんでだろう?」
という疑問が常にあること。

常に
「なんでだろう?」
って思うことが
アタマの中にある。



ここからは過去の話になるんだけれど、、

大学を出てすぐ勤めた会社でさ
その、いつもの疑問が湧いてね、

「この業務はなんでこうやっているのですか?」

って、無意識に先輩に聞いていたの。


その先輩からすると
その質問が不思議だったのか、

「いつも "なんでですか?" って聞くよねぇ〜」

と、言ってきたの。

それは、その先輩が
単純に思ったことを
言っただけだと思うのだけど、

当時のわたしは、

「あ、これは聞いてはいけないことなんだ」

と、解釈してしまったんだよね。


それ以来、わたしは、
「なんでだろう?」
を封印してしまったの。


そうして、それから約10年、、
「なんでだろう?」
を封印したまま

言われたことをただこなす、
つまりは惰性で仕事をしていたの。



ところが、その後、

何も考えずに惰性でなくとなく
仕事をしていたわたしに
大きな仕事が降りかかってきたの。


それは、
当時 その会社で使っていた
システムの移行作業。


その作業が起こる少し前に
急に、直属の上司が退職してしまい

わたしが担当する業務を
深く知る人が誰もいなくなってしまったの。


惰性で何も考えずになんとなく

で仕事をしていたわたしにとっては
この上ないピンチで。


当時は一般社員で、
管理職でもなかったのに

誰にもこの業務を投げられない
という理不尽な状況になってね。


小さい会社だったからね
それぞれの部長さんたちが
それぞれにいっぱいいっぱい。


もちろん、
代わりの部長はいたのだけど
わたしが担当する業務については
ほぼ無知で。

まったく頼れなかったんだよね。


管理職でもないし
「わたし知ーらないっ」
って、
投げることもできたかもしれないけれど

それはしたくなかったし
できなかったんだよね。



そうなってから、ようやく

「なんでだろう?」

と考える大切さを
思い出したんだ。



「この業務はなんでこうやっているんだろう?」

って、考えることで
バックグラウンドが理解できて
より効率の良い方法も考えられるし
ミスが減るんだよね。


当たり前のこと、だけれど
そんなことも分からないくらいに

「なんでだろう?」

という疑問を持つことに
蓋をしてしまっていたんだ。


そこからはとにかく、

「なんでだろう?」

をベースに
あらゆる方法で調べまくったし

恥をさらしまくって
あらゆる人に聞きまくった。

呆れられて
電話を切られることもあった。

それでも
分からないから
そうするしかなかった。


責任感、かな。

わたしが諦めたら
お客様のデータが
飛んでしまうかもしれない

という重圧があった。


始発の電車に乗り、
終電近い電車で帰る。

そんな生活を数ヶ月、した。


体力的にも
 精神的にも
すごくしんどかったけれど

不思議と、
「辞めたい」
とは思わなかったんだよね。



数ヶ月後、
わたしの業務のことを熟知している
他社の方と知り合うことができた。


たぶん、年齢は同じくらい。
でも、めちゃくちゃ仕事がデキる男性だった。

「同じ仕事でも
こんなに素敵に取り組めるのか!!」

と感動したことを
今でも鮮明に覚えている。



そこから勝手に、
その男性の仕事の仕方を
真似するようになった。

このとき、
会社員を続けて約10年。

はじめて「仕事が楽しい!」と思えたんだ。


人生のターニングポイント、
だった。



だいぶ話が遠回りしたけれど。

「なんでだろう?」

と考えることの大切さを
こうやって学んできたんだ。


そして今は、

「なんでだろう?」

と考えることによって得られる氣付きを
ひたすらアウトプットしている。

それが仕事にもなっている。



大切なことは、

「なんでだろう?」

と、
違和感を【感じるチカラ】だよ。


【感じるチカラ】、なんだ。

考えるよりも前に
これ、なんだよね。


ここ最近ずっと書いているけれど
【感じるチカラ】は
【自己信頼】から生まれる。


【自己信頼】は、
築くモノと
氣付くモノ
両方ある。


どちらも方法があるなぁって思う。


まとめたり
「やり方」にするのは
好きではないのだけれど

「正解」を作らない「やり方」なら
提案できるかな、
って思っている。


今、メニューを練っているよ。



【自己信頼】について
義務教育になればいいのにな
と本氣で思っている。


それもあってね、

新しい学校 を創りたいんだ。

おとながこどもから学べる学校
おとなが全力であそべる場
こどもが自由にあそべる学校

だよ。



ひとりでニヤニヤしてる^^

だって、
【自己信頼】のある人たちだらけになったら
このセカイは今よりもますます

しあわせに
ゆたかに

なっちゃうもん^^


そんなセカイ、楽しすぎない?


一緒に、そんなセカイを創造しようよ^^









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