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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第五章「盲愛の寺」 85

 太若丸は、早速これを殿に見せた。

「家中軍法とな? 十兵衛が?」

 殿は、興味津々でそれに目を通した。


  ひとつ、戦場において、武士は役を与えられたもの以外は大きな声をださず、雑談をしてはならない。
      戦が始まった場合は、陣容や鯨波(威嚇として大声を出す)は下知に従うこと。


  ひとつ、先鋒は、旗本侍の到着を待って、その下知に従うこと。
      ただし、先鋒のみで行動する場合は、事前にその旨伝えておくこと。


  ひとつ、それぞれの兵は足並みをそろえ、前後の兵とも密に連絡をとりあうこと。
      鉄砲、槍、指物、幟、甲立、雑卒の置場については、法度を守ること。


  ひとつ、行軍の最中に騎馬が遅れては、突然の戦において役に立たない。
      斯様な場合は、領地没収、または処罰する。


  ひとつ、旗本・先鋒と陣立てするからには、足軽衆が敵方と遭遇し、戦になったとしても、必ず下命を守ること。
      仮に乱れたことをするものは、身分に問わず、これを処罰する。 
      また、激しい戦場の使番に対しては、如何なる場合においても、これに従うこと。
      例え手柄を立てたとしても、法度に背いたものは、これを回避できない。


  ひとつ、軍事行動や陣替えの際、陣取りと称して抜け駆けで兵を遣わすことを禁ず。
      ただし、かねてから子細を命じた場合は、その到着を待つ。


  ひとつ、兵の食料の重さは、京都法度之器物で三斗とする。
      ただし、遠方へと向かう場合は二斗五升とし、一日八合ずつを領主から配る。


  ひとつ、軍役の人数は百石につき六人とする。百石未満の場合も、これに順ずる。


  ひとつ、百石から百五十石持ちは、甲を被ったもの一人、馬一頭、指物一本、槍一本を出す。


  ひとつ、百五十石から二百石持ちは、甲を被ったもの一人、馬一頭、指物一本、槍二本を出す。


  ひとつ、二百石から三百石持ちは、甲を被ったもの一人、馬一頭、指物二本、槍二本を出す。


  ひとつ、三百から四百石持ちは、甲を被ったもの一人、馬一頭、指物三本、槍三本、幟一本、鉄砲一丁を出す。


  ひとつ、四百石から五百石持ちは、甲を被ったもの一人、馬一頭、指物四本、槍四本、幟一本、鉄砲を一丁を出す。


  ひとつ、五百石から六百石持ちは、甲を被ったもの二人、馬二頭、指物五本、槍五本、幟一本、鉄砲二丁を出す。


  ひとつ、六百石から七百石持ちは、甲を被ったもの二人、馬二頭、指物六本、槍六本、幟一本、鉄砲三丁を出す。


  ひとつ、七百石から八百石持ちは、甲を被ったもの三人、馬三頭、指物七本、槍七本、幟一本、鉄砲三丁を出す。


  ひとつ、八百石から九百石持ちは、甲を被ったもの四人、馬四頭、指物八本、槍八本、幟一本、鉄砲四丁を出す。


  ひとつ、千石持ちは、甲を被ったもの四人、馬四頭、指物十本、槍十本、幟二本、鉄砲五丁を出す。
      騎馬ひとりの着到は、二人分になぞらえる。



 以上の十八条である。

 太若丸が出した草案に、十兵衛が明智家中の実情と照らし合わせて加筆修正したものである。

 これを見た殿は、目をひん剥いて、

「これは……、なんと素晴らしい!」

 と、唸った。

 殿を更に唸らせたのは、最後に添えられた文である。


  右、軍役を定めておくが、なおたしなみがあるもは黙止せず、あわせてその分際が叶わぬものは、しっかりと思慮を加えよ。


 まあ、ここまで普通である。

 次である。


  それで、某の愚案の条々を明らかにする。外見(不満や反発)は考慮はするが、瓦礫のような落ちぶれた身分から既に召し出され、あまつさえ莫大な兵を預け下された以上、未だ法度を糺さねば、武勇無功の輩が国家の費用をはなはだ掠め取っていては、公務(大殿)よりあれやこれやと嘲られよう。面々苦労はさせるが、所詮は粉骨群をいで卒するものは、速やかに上申するものでる。従って、家中の軍法を定める。


「十兵衛のやつめ、瓦礫の身分から大身にしていただいたなど、胡麻を擂りよって」

 と、にやにやしていたが。

「これは、十兵衛ひとりで考えたのか?」

 大半は太若丸だが、左様でございますと答えた。

「天晴! 織田家内でも、斯様な法度を定めようかのう。うむ、ともかく、これは惟任家の軍法度として下令することを許す」

 殿からのお墨付きを得たのである。

 太若丸は、この趣旨十兵衛に報せ、六月二日をもって十兵衛傘下の軍に、この法度を下した。

 織田家内において、十兵衛の地位はうなぎ登りである。

 自ら御法度のなかにも記しているが、浪人であった十兵衛が、殿のもとに仕えて十年余りで、織田家臣団のなかで、殿の右腕といえるほどの地位を築いたのである。

 十兵衛はこれを、殿のお陰だと言っているか、本人の実力であろう ―― そのために、十兵衛は日頃からどれほど汗を掻いているか。

 そのせいか、他の家臣からも一目置かれている。

 まあ、どこぞの馬の骨が、いまでは殿にもっとも信を置かれ、織田家内いちと言っても良いほどの軍団を抱えているのであるから、一目置かれるというよりも、嫉妬から距離を置いている………………と、いうほうが良いか。

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