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死なないでの授業

ノートブログ書き始めて1285日目に成りました。
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今日は「死なないで、殺さないで。」の本の自殺とはと言うページから
始める事にした。
前回出席した、参加者から
「自殺」と言う事をどう捉えたら良いか?と言う質問があったからだ。

私の身の周りでは有難い事に「自殺」者を経験していない。

私の元には辛い残された方々からの質問がよせられている。
そのおかげで、私は可成りの死を
追うことになった。
それゆえに、地獄というものも、色々見させて貰っている。

色々な方々が訪ねてみえ、様々な質問を投げられた。
周りに自殺者がいて、誰かが自殺したと言う体験を少なからずした人は、心に割り切れないものを抱えていた。

意見交換も、活発であった。

参加者に死ぬと言う事を老人介護の現場で経験している方がいた。
「自殺では有りませんが、三人の方を見送りました。
昔映画で『送り人』と言う映画がありましたが、「お疲れ様、ありがとうございます。」と自然に言葉が出ます。

此の仕事は、きつい事もあるけれど、私には合っている仕事だと思っています。」
と言う素晴らしい言葉をいただきました。

「偲ぶ」と言う言葉は人を思うと書く。亡き人を思う。
日本人とは、素敵な感性を持つ民族だ。


又太宰治は作品の中で、「自殺」と言う言葉は使うべきでは無い。
「自死」にすべきだ。と述べていると言う。
太宰治の作品を読んで見たくなった。

死と言うモノを仮に見に行く事が出来たら、人は死を選ぶのだろうか?
それとも真の始皇帝が不老不死の薬を求めた様に生を求めるのだろうか?

仙人と言う人が居たとして、
生きる事に抵抗がない程、此の世は
素晴らしいのだろうか?
確かに不思議は一杯ある。
一つ一つ謎解きをしていたら、時間を忘れてしまうかも知れない。

アルベール.カミュと言う人が「異邦人」と言う作品で、
人間は生きていれば、色々と心に溜まるものがあるはずである。

自殺する。その時に、何の変哲もないことが引き金になっている。
この引き金が狂う事かも知れないし
その人の琴線に触れる事かも、知れない。

と教えて頂いた。なるほどね。

アット言う間に、時間が終わった。
皆さんと、来月の再会を約束した。

今日一日が皆様にとって最高に幸せな日で有ります様に。祈ります。

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