古のパソコン、N5200との思い出

ひょんなことからN5200の動画を見つけ、とても懐かしく思えたので、ここに思い出をしたためておきます。

N5200とは?

記憶がおぼろげですが、たぶん、これと同じものです。当時小学生の自分にとっては大きく思えたけれど、ずいぶん小さかったんだなあ。それにしても久々に動作しているところを見ました。まったく同じ音だ。懐かしいなあ。


ご覧の通りのPCです。業務用としてNECから発売されたPCで、巷で流通していたPC-98の裏で、会社で活躍していたらしいビジネスPCです。

何やら大きいfloppy diskがあります。大きさがピンとこないかもしれませんが、8インチのフロッピーディスクです。
当時はもう3.5インチが出ていた時期なので、8インチを持っている人は誰もおらず、珍しがられました。

Wikipediaによると、スペックは以下の通りです。

N5200(エヌゴーニーマルマル)
N5200/05(1981年7月発表[11]) - 8086 5MHz、モニタ、FDD 一体機 HDDは外付け。オフィスプロセッサのワークステーションとして連携動作する機能はない。最小構成モデルで79万8000円[3]。PTOSの他、CP/M-86、MS-DOS、COBOL、BASICなどをサポート[3]

Wikipedia

え、読み方そうなの?
ずっと(エヌごせんにひゃく)と読んでいました。

N5200との出会い

親の会社のお下がりで私がN5200を手に入れたのは、確か小学4年生のときだったかと思います。

ファミコンで動くBASICであるファミリーベーシックのプログラミング本を買って、紙に自分で想像したゲームのプログラムを書いて遊んでいたというやばい小学生だった私ですが、そんな小学生がBASICが動くPCを手に入れたものですから、プログラミングにハマるのは必然でした。

N5200のBASIC

N5200にはPTOSというNEC謹製のOSが入っています。MS-DOSみたいなやつです。その中にBASICを動かす仕組みがあり、PTOS BASICが動作しました。

当時、パソコンショップでは、FM-TOWNSとかX68KとかPC-98とか、それは素晴らしいパソコンが並んでおり、学校では友達がPC-98のゲームをコピー(違法)してやりとりなどしており、それはそれは羨ましかったのですが、家でBASICをポチポチするのはそれはそれで楽しい時間でした。

しかし、PC-98みたいな最先端のPCと違い、我が家のN5200はとても貧弱でした。

そのころマイコンBASICマガジン(通称ベーマガ)という雑誌があり、その雑誌にユーザー投稿プログラムが掲載されていました。当然のようにN5200用のプログラムはなかったので、他のパソコン用のプログラムを移植して楽しむしかなかったのですが、それでも思うように動かないことも多く、歯がゆかったのを覚えています。

グラフィック

ゲームは絵が命です。
しかし、N5200ではグラフィックが使えませんでした。
N5200と一緒にもらった分厚いBASICのマニュアルを隅から隅まで読んでも使う方法が分かりませんでした。

そこで最初に使ったのは、絵を文字で表現するいわゆるASCIIアートでした。
ASCIIアートといっても今のように美しいものではなく、3文字x3文字くらいで表現するだけのものでした。
自キャラを動かすためなので。

○/
□
()

こんなのです。

ASCIIアートのキャラをつかったゲームとして朧げに覚えているのはベーマガに載っていた対戦格闘ゲームです(確か)。

PC-8001かPC-6001のゲームだった気がします。これらのプログラムはASCIIアートを使ったプログラムが多かったため、よく移植して遊んでいました。

対戦といってもCPUと対戦するだけですが、2体のキャラが出てきて、1体のキャラを操作して相手を倒すというものだった気がします。
キャラは素手じゃなくて、剣とかを振り回していた気がします。
結構スピーディーな展開で、色々改造して何回も遊んだ記憶があります。

空白も重要

PTOS BASICの仕様を調べていくと、背景色を変える機能があるということが分かりました。
つまり「色付きの空白」による表現ができるということです。
N5200で表示できる文字は80x24くらいだったと思うので、80x24ドットの絵がつくれることになります。
しかも8色くらい使える。

「色付きの空白」で絵を作るキャラクターエディタをつくって遊んだりしていましたが、所詮80x24であり、また、1文字のサイズは細長いので真四角のドットを表現する場合には40x24になってしまうため、あまり実用性はありませんでした。

それでも、「色付きの空白」を利用したとても心に残っているゲームがあります。

その頃はぷよぷよやコラムスが流行り始めた時期だと思うのですが、ベーマガに載っていたプログラムで、下から色を打ち出して上からせり出してきた色付きブロックを消すというゲームがありました。

同じ色のブロックをぶつけると3x3くらいの爆発が起き、その中に同じ色があるとまた3x3くらいの爆発が起きるとという、いわゆる連鎖を楽しむ落ち物ゲー(アルカノイド+落ち物かな)でした。
この仕様を今でも覚えていることが印象的なゲームだった証です。

このブロックが「色付きの空白」で実現されており、移植して遊んでとても楽しかった記憶があります。

テキストは有能

グラフィックは貧弱なN5200でしたが、テキスト表示は何の問題もありませんでした。漢字も自由に出せました。
そのため、テキストをたくさん出すゲームをいろいろつくりました。

たくさんのキャラを自動生成してパラメータだけで自動で戦うゲームとか、Zorkっぽいテキストアドベンチャーとかが印象に残っています。

その後

その後、お年玉を貯めて買ったシャープのポケコンPC-E650と出会うまで、N5200でのプログラミングは続きました。
N5200はその後起動しなくなり、廃棄されたような気がします。

もし最初に手に入れたパソコンがN5200ではなくPC-9801だったとしたら、きっとゲームばかりしてプログラミングをしてなかったかもしれません。
そう思うと、N5200は今の自分の根幹を作った大事なパソコンでした。
最近N5200の起動画面を見て郷愁を感じたのは、そんな気持ちがあったからかもしれません。

最小構成モデルで79万8000円

Wikipedia

え、そんなに高かったの?

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