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世界に触れること

去年の11月に
中国の大理という、
ブータンとの国境線に近い街へ
数日だけだが行ってきた。

2019年に韓国で出会った
仲間がいたので。

そこで知り合った友人知人、
イベントなどの内容も
素晴らしかった。

みんな
踊り、舞い、
詩を創り、
唄っていた。

アカデミックな敷居はなく、
みんなで
たき火を囲み
それぞれの詩を届けていた。

手作りの物を持ち、
田畑をやっていた。

移住して農家を始めたという
仲間の家の本棚を見ると
「里山資本主義」だっけな?
「半農半X」だっけな?
日本人発の本の中国語翻訳本・・・。

すいません。
僕、日本人、身近過ぎて
まだ読んでません。

********

そんな価値で生きている彼らに
是非とも日本の我が家へ来て欲しく、
僕もスッゲーお世話になったし、
ここで知り合った誰でも、
「福岡空港まで来てくれたら
迎えに行くから!」
とまで言った。

誰もが信用出来ると思った。

だからこそ、
なかなか来れないだろうと
思った。

お金があれば出来ることは、
お金がないとできないことだから。

でも、
お互いの国の事情で、
相対的に
日本が安くなっているんなら
是非、こちらに来て欲しい
と思った。

******

その後、
そんな至福の余韻で
取ってもらったゲストハウスに帰ると、
ゲストなのかオーナー家族なのか
わからないが、
中国の習慣の
お茶を振る舞ってくれて、
会話に花が咲いた。

でも、
「住んでいるのは九州で、
福岡空港から車で2時間くらいのところです」
といった会話をしてたら、
男の人が、
「空港まで行ったら迎えに来てくれる?」
と言ってきたので、
僕はお茶を濁しつつ、
「絶対嫌だ!」
と思った。

きっとこの男性は
気軽に行動できるような
立場とお金を持っている。

本当に来て、
僕をガイドとして雇うのに
きっと相応のギャラも
出してくれる気がする。

だから・・・
絶対に嫌だった。

大理の
友人伝いで知り合った仲間とは
明らかに空気感が違っていた。

ちょっと横柄に感じたのだ。

*******

今、相対的に
世界の中で日本は
物価が安くなっていると聞く。

日本で暮らす僕は
なかなかお金を持つことが
難しくなっている。

頑張って、
高いと感じる「円」を払って
中国へ行くより、
向こうから来易くなっているのなら
みんな我が家に来てくれたらいい。
と想う。

僕が出逢った仲間たちの価値観は
信用できるが、
なかなか大きなお金を持つことは
「お金」の性質上
難しいと想う。

それでも、
相対的に物価が安いんだったら、
日本に来て欲しい。

中国人が
中国でご馳走してくれるより、
日本で僕がご馳走する方が
お金の回りからいっても
少し辛いところだと思うが、
お金のかからない
友人知人の繋がりが
この田舎町にはある。

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中国人が・・・
アメリカ人が・・・
外国人が・・・
という声は
よく聞く。

都会には
近づきたくないな。
と思う。

地方より
東京の方がアドバンテージがあって、
日本より
アメリカの方がアドバンテージがあって・・・。

アドバンテージって何だ?

******

ハワイへ行った時、
在米日本人のママさん達の会話を聞いていた。

「色々大変だけど
英語がネイティブで話せるっていう
アドバンテージもあるしね」

アドバンテージって何だっけ?
ググってみると
「優位性」・・・。

*********

僕は、
いろんな縁がつながって
外国で演奏する機会も
たま〜にあるようになった。

大阪の路上で知り合った
オーストラリア人が
僕のCDを作ってくれ、
初めて、
音楽でオーストラリアへ行った。

やっぱり、
その土地の
母国語を覚えて、
母国語で感じてもらいたかった。

僕の音楽は
日本の伝統芸能じゃないから。

できる限り、
そこにいる人に
届くように
寄せる努力を僕はしたかった。

英語を勉強した。

韓国へ行く縁が出来て
韓国語を勉強した。

台湾行く縁が出来て
中国語を勉強した。

僕の日本語の詩を
その土地の母国語で
伝えたかった。

******

ハワイへ行く縁が出来た。

ハワイ語を学ぶべきか、
英語か迷った。

英語を選んだ。
色々調べてみると
ハワイの日常語は
英語だったみたいだから。

僕にとっては、
その国への敬意だった。

ただの敬意だった。

でも、
なんか変だった。

僕の英語の歌詞を
採点するように
チェックして
お客さんの一人から渡されたのだ。

何か違和感があった。

善意には感じたが、
なんか勘違いされているように感じた。

優位性を感じたのだ。

********

考えてみれば、
僕には理解できないが、
日本で、日本人なのに、
日本人に向けて歌っているのに、
わざわざ英語で歌っている人が
大勢いる。

故・内田裕也氏は
「これからRockを演るなら
英語で歌えなければならない」
と言っていたそうだ。

戦後からの歴史的な
文化の経緯。

・・・そういうことか。

英語は
他の外国語と比べて
優位性を持っている。

世界を舞台にして生きるなら
英語くらい喋れた方がいい。

なぜなら、
英語は世界の共通語だから。

なんで?

それは英語圏の西欧諸国が
植民地支配してきた
野蛮な歴史があるから。
だろ?

*******

それでも
それは歴史の流れの話だ。

キリスト教でも何でも、
世界各地、
文化や信仰に敬意を払いたい。

その人が創り出す。
言葉による「現実」に
敬意を払いたい。

そして
それらを分かち合う
僕らは対等だ。

*******

そして違う「想い」が
自分の中に
新たにインストールされるってことは
人生が、世界が
より豊かになるってこと。

それが本当の豊かさだと
想っている。

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僕は韓国に魅せられて
韓国語を学び始めたわけではない。

韓国の人が、
日本語を学んだり
興味を持ったり、
敬意を払ってくれている。
そんな人たちと知り合って、
やばい。リスペクト負けしてる!
と悔しくなったのだ。

だって、
新たなことを知る人たちの方が
「豊か」だと思うから。

日本語を話せる韓国人が
韓国語を話せる日本人より多い
感じがする。

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その土地その土地
独自の文化が
保たれていてほしい。

そして、違いを学び、
響和性を見出し、
鏡和性を見出したいのだ。

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「日本らしさ」が苦手な日本人もいれば
「中国っぽさ」が苦手な中国人もいる。

僕は、
在りたい「自分」として
出逢うべく人と
出逢っていきたい。

世界中、どこにでも「仲間」はいて、
暮らす家のすぐ近所にも
「敵」はいる。

僕自身の中に、
喜ばしい「僕」もいるし、
僕自身の中に
嫌いな「僕」もいる。

ヘイトは
自身の内から湧き上がる感情だ。
その対象はただの触媒だ。
反応が起きるか起きないかは
自身の内側にかかっている。

ヘイトの感情は辛かろうに…
と涙する。
僕自身の内側から湧き上がる感情に、
貴方の内側から湧き上がる感情に、
手を添えてあげたくなる。

此の身(このみ)から触れた
彼の身(かのみ)、所謂「神」が
世界を見せてくれている。
僕自身を
見せてくれている。


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