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夢、目標、成果、正直さ

いつだったか、最近、
noteのアクセス数が5000とかいう結果を見て、
実はそれはぬか喜びで、
いつも週間単位で見てたアクセス数が
何かの押し間違いで
常時、月間アクセス数になってた。
で、「週間」に戻してみたら相変わらずの1000人くらいだった。
という投稿をした。

でも、
1週間に1000人もの人が
僕のnoteを認識してくれるなんて
嬉しいなぁ〜
なんていう投稿をした。

最近、
僕の投稿が減ったせいか、
600〜700人くらいを前後している。

ちょっと落ち込んでみたりした。

原因を考えてみたりした。

もしかしたら何らかの勢力に対して
不適切な発言でもしているかもしれない
と、発言の自粛を考えてみた。

多くの人のアルゴリズムに
上がらないようになったのかもしれない
とか考えてみた。

自分の考えが、
時流にそぐわなくなったのかもしれない。

ずっとそぐわなかったけど、
もしかしたらnoteでは
僕みたいな感性の一定数の人と
近しい何かでつながり合える
僕にとって有用な
プラットフォームになり得るのかもしれない。
なんて考えてみたりした。

もっとキャッチーなタイトルを考えるべきと
考えた。

うまく、集まりやすいタグに見合うような
noteを書くべきかとも思った。

アクセスが伸びないなら
noteをやめようかとも
考えた。

*******

で、
けっきょく、
そんな数字の基準を頼りに
価値を測るのかよ?

と思いとどまった。

多くの人からの
注目をもらえなくなったから
やめるのか?
とも。

*******

1週間に1000人もの人が
僕のnoteを読んでくれているなんて、
地味なLIVEや
オフラインの暮らしをしている僕には
信じられない現実だった。

なんか、
家庭やら、仕事やら、
地域活動やら、
自分で価値を創り出したかった
音楽活動でさえ、
「どうでもいい」にできる
強い味方を手に入れた気分だった。

noteを書いたら
読んでくれる人がいる!

これは強い心の支えに
なってしまっていた。

*********

それが崩れ始めてしまった。

どんどん読んでくれる人が減っている。

今までの人生で
誰にも注目されなかったのに、
最近、僕を
今までよりも多くの人が
注目してくれている。

なんていうヌカ喜びが
崩れようとしている。

*********

「noteを続けるコツ」
なんていうタグがある。

音楽を続けているコツがある。

表現したいことがあって、
それを表現できるのが音楽であって、
音楽を利用すれば
それができるから。

…「音楽」とは何ぞや?

それはきっと
人によって違う。

各々の活動で承認を得られている人は
たくさんいるし、
僕が承認している人も
たくさんいる。

そんな人と比べたら…なんて
萎縮してしまう気分もある。

でも、
僕が承認できるその人が
僕の現したい表現を
やりきっているわけではないので
僕がやらなきゃ。
僕でやらなきゃ!
と思ってしまうのだ。

*******

誰かの発言や表現が
僕の現したいことと
ばっちり重なって、
僕が、僕でやる必要がない。

そんな人に出逢ったら、
やめるでしょう。

やめて
何をするかな・・・

その人を応援するか。

その人の表現を
紹介するか?

*******

いろんな人がいるんだろうな。

キレッキレの人もいれば
ゆるゆるのぬるま湯な人もいる。

どちらのタイプにも
惚れることはある。

その時、自分はどんなタイプだったのか。
その時、自分は
何を求める人だったのか。

******

ついやってしまうことがある。

やらずにはいられないことがある。

やらなくてもいいのに
やってしまうことがある。

やったほうが好いなどと
勝手に思い込んで
やってしまうことがある。

そこにふと、
今まで気にも留めていなかった
自身の承認欲求に気付いて、
多くの注目に喜び、
束の間、溺れることもある。

でも、
はじめはそこじゃなかったよね?

認めてもらうために
"それ"を始めたわけじゃないはずだ。

褒めてもらうためだけに
"それ"を選んだというのなら、
"それ"をやる必要はない。

そんな人は
褒めてもらえなくなったなら
次に褒めてもらえるものを
いち早く探すべきだ。

そして
誰がそこで生きているのか考えよう。

誰が"ここ"で生きているのかを
考えよう。

*******

ここで生きているのは「僕」で、
生きている僕は「僕」で味わい、
それに価値を付与する。

誰かの評価が僕の人生に
大きな価値を付けたって、
その「誰か」がいなくなったら、
残るのは「僕」だ。

その「誰か」は
「僕」を使って、
自分の感覚を味わっている。

それでいいじゃないか。

これでいいじゃないか。

好きなように生きよう。

********

「毎日note」を目標とする人は
「毎日note」を手段として、
何を叶えたいんだろう?

それが叶わなかったら
noteはやめるのかな?

それが叶うんなら
noteでなくてもいいんじゃないかな?

********

何か目標が出来たなら、
その目標を手段として
何を目標としてるのかを
考える。

次第に名前を、
「名札」を付けられなくなってゆく。

だんだんと「愛のため」とか言って、
概念的な
陳腐な言葉でしか言い表せなくなってゆく。

********

「毎日note」を目標に
頑張っている人にとっては、
苦も無く、気がつけば毎日noteを書いている
僕は才能あるのかもしれない。

でも、
その人にとって
その先にある目標に
僕の行動が見合ってなければ、
僕の評価はされないだろう。

「全然フォロワーいないじゃん」
「それで、お金は稼げるんですか?」

********

夢、目標、目的が
叶ったら、
それは「現実」と呼ばれるものになるんだよ。

だから「夢」を語るのかもしれない。

語っていないやつが、
それを達成していても、
嬉しくもなんともないだろうね。

でも、
それだけのことなんだ。

みんな、好きに生きればいい。

ここらへんのいろいろな「作用」を利用して、
大いに
うたい、おどり、
みんなで響き合って、
現実が
動いていくといいね♪


うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。