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【体育祭】担任の悩みを解決!キーワードは「目的の二重性」

名著『失敗の本質』は、第二次世界大戦で日本が敗戦した❝原因❞を組織論の視点から解説しています。
この本を読んだ私は、中学校の現場でもその教訓が生かせると考えました。

当記事では、日本海軍が大敗したミッドウェー海戦の反省から、中学校の体育祭でよく起きる問題の解決策を提案しています。
学校現場で働く、先生方の悩みを解消できたら幸いです。

ミッドウェー海戦【概要】

ミッドウェー海戦は、第二次世界大戦中の1942年6月5日から7日にかけて、北太平洋上のアメリカ合衆国領ミッドウェー島付近で行われた海戦です。
この海戦は、アメリカ海軍機動部隊・ミッドウェー島基地航空隊と日本海軍の機動部隊との間で行われ、日本海軍は参加した空母(飛行機を飛ばせる軍艦)4隻全てが撃沈されるという大敗北を喫しています。
『失敗の本質』では、日本海軍の敗北理由のひとつに「作戦目的の二重性」を指摘しています。

島の基地を攻撃するのか?空母を攻撃するのか?

日本海軍には、作戦の目的が❝二つ❞ありました。
一つが、ミッドウェー島にあるアメリカ軍基地の占領です。
そしてもう一つが、アメリカ軍の空母の撃沈です。

攻撃の対象が二つあり、作戦の目的が曖昧だったのです。また、現場の指揮官たちにも二つの目的のうち、どちらが主目的なのか周知が徹底されていませんでした。このため、戦闘時に日本海軍の意志決定に遅れや逡巡が生まれ、アメリカ軍の攻撃を許します。
これが『失敗の本質』で指摘される「目的の二重性」です。

※詳細はぜひ本書をお読みください↓↓


中学校の行事には目的が多すぎやしないか?

❝目的がはっきりしないのは、学校教育も同じ❞というのが私の持論です。
特に、それを認識するのは❝行事❞です。今回は体育祭を例にして考えます。

皆さんの学校の体育祭は、どのような目的が設定されていますか?

<体育祭の目的>
(例)生徒の心身の成長や体力の向上を図り、運動を楽しむ態度を育む。また、集団行動のルールを理解し、責任感や連帯感を養い、学級の団結や絆を深める。

上記の例では、目的が二重どころか、もはや目的の詰め放題状態です。
これでは、何に重きをおいて行事の準備・運営をすればいいのか、生徒や教員はわからないでしょう。
さらに、体育祭が終わった後の反省会も十分な意味をなさないでしょう。(#そもそも、反省会自体が存在しない学校もある)

体育祭で発生しやすいトラブル

よくありがちなのは、出場選手を決める話合いや練習中の、生徒どうしのいざこざです。
運動が得意な生徒と、そうでない生徒との対立は教員の悩みの種です。
担任は、足の速い生徒に対して「走るのが苦手な人の気持ちを考えましょう。」とアドバイスをします。すると「悪いのは、やる気がない人たちじゃないですか!」と反論されるかもしれません。これでは、火に油を注いだも同然です。

このようなトラブルは、❝目的が不明確❞であることが要因として考えられます。
生徒それぞれが体育祭で❝一番大切にしていること❞がバラバラであることが問題なのです。
(#生徒の運動能力に差があることが問題ではない)

【提案】具体的にどうすればいいのか?

【提案①】目的を1つに絞る

開催が5月なら「体育祭を通して、生徒同士の親交を深める!」
のようなシンプルな目的にするのです。
新学期を迎え、GWが明けた後の体育祭です。親交を深めることが目的なので、普段あまりしゃべることのなかった生徒同士が体育祭練習でコミュニケーションをとっていたり、話合いで積極的に意見を言い合えていたら、先生は練習の講評や帰りの会で「嬉しかった!」と感想を述べてください。
たったそれだけで集団の雰囲気が良くなり、協力する生徒がきっと増えるでしょう。

開催が秋なら「体育祭を通じて、運動することの楽しさをより深く味わう!」のような目的にします。
勝つことに固執する体育祭では、その過度なプレッシャーから、練習中に保健室で休む生徒や当日に欠席をする生徒が出るでしょう。
(#実際、保健室が見学の生徒であふれる学校もあります)
記録や結果だけにとらわれず、運動を楽しむことを前面に押し出すことで、これまでにない新しい形の体育祭が生まれることを期待できます。
例えば、点数を競う種目と、点数がつかないパフォーマンスが主体の種目(応援合戦など)を織り交ぜます。
こうすることで、運動の得意な生徒と不得意な生徒の両者が満足する、よりよい体育祭になるのではないでしょうか。

【提案②】目的をすり合わせる

今年度、すでに体育祭の練習が始まってしまっている学校では大規模な変更は難しいでしょう。
(#来年度に変えましょう)
(♯校内研修担当と話し合い、対話の時間を設定する)

その場合は、現状の体育祭の目的をクラス、あるいは学年の生徒に伝えてください。
そして、複数ある目的のうち、特に重要だと思う目的を一つ選んでもらいます。要するに、生徒たちに体育祭の目的をすり合わせてもらうのです。
教師はそのための時間と場所のセッティングをします。これは、体育祭練習の一コマを使ってでもやる価値のある重要なことだと思います。
(♯そもそも、生徒は体育祭の目的を知らない場合もある)
(#生徒会が中心となって目的を設定するのが、最も民主的な方法!)

目的がはっきりしたら、その達成に向けた❝具体的な目標❞を各クラスで決めます。根っこの議論ができていれば、よくありがちな❝優勝する!❞以外の目標を生徒から提案されることが期待できます。

誰のための「体育祭」なのか?

学校は教員にとっての❝職場❞ですが、❝教員が中心の場所❞ではありません。あくまで学校は、子どもたちが主体的に学ぶ場です。
子どもたちが考え、選び、決める機会を意図的に設けてほしいのです。
(#体育祭終了後、Googleフォーム等で全生徒を対象にした無記名アンケートを実施し、体育祭の満足度と目的の達成度調査を行い、データ化したい!#これこそが、体育祭実行委員や生徒会の活躍の場)

余談ですが、学校では体育祭の前後に❝さして重要でないこと❞に注力する傾向があります。
開会式の校歌斉唱の声が小さいとか、整列が遅いとか、列が乱れているからビシッとしろ!などの指導もそれにあたります。これらは、教員が保護者や来賓、同僚の目を気にしたことで生まれる指導です。
行事の目的に、集団行動のルールを理解する……というおまけをつけるから起きる問題なのかもしれません。(#目的の二重性は、教員にも影響を及ぼします)
もし、開会式の見栄えを気にするのなら、学校は「今年の体育祭の目的は、○○です!生徒が作り上げた新しい体育祭の姿をご覧になってください!」と保護者や来賓にもっと広報をすればいいのです。
(♯そのためにあるのが、学校HPや学校だよりです)

学校行事は本来、生徒の誰もが楽しめ、体験活動を通じたたくさんの学びが得られるものです。
行事の目的に注目し、仕組みを変え、より生徒が主体的になることで、学校はもっともっと生徒の目が輝く素晴らしい学び場になると私は考えます。

最後までお読みいただきありがとうございました。
非常勤講師 平本直樹🍊

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