研究者としての成功って?など

あるところで「分野にもよりますが、研究者として成功するかしないかは、指導教員が早期に見分けて別の分野に転向を促すって、良し悪しは別として「選択と集中」ですよね」というツイートを見かけました。

そこで,ふと,「研究者として成功する」って,どういうことなのだろうと考えたのです。考え方は色々あると思いますが,私は「いつどこで成功するか」を含めて,「成功する」の定義はそれぞれじゃないかなぁと思います。

大学院卒業後,比較的すぐにアカポスに「就職」できること。これは,分かりやすい「成功」の例かもしれません。でも,それは研究者としての「ゴール」ではないですよね。比較的安心して研究できる環境を手に入れた,ただそれだけのことで,そこから研究(と教育)に励んでいく必要があります。そういう意味で「就職」云々を成功の指標にすることは,あってもいいのでしょうけど,私はちょっと違うと思っています。

査読付きの有名なジャーナルに論文が掲載された。これも,1つのわかりやすい成功の例かもしれません。ある種,各分野の有名なジャーナルに論文が掲載されることを,モチベーションに研究している人もいるでしょう。しかし,そうしたジャーナルに論文が掲載されていなくても,研究者として優れていると思う人は,たくさんいます。たった一本の論文が掲載されるかどうかも,また,私としては研究者の成功をはかるものではないと思います。

他にもいろいろあるかもしれません。客観的に測れないものも含めて。
私個人としては,一つ一つの「研究成果」についての良し悪し・成功失敗はその時々で決められることかもしれないけれど,長い人生を持つ「研究者」としての成功失敗は,その時点では決められないのだと思っています。1つ「研究者としての成功」というのを言えるのだとすれば,ある程度の研究成果が積み重なって,あるいは,極端な場合には当該の研究者が没した後,「あの人は優れた研究者だ(った)」と言われることくらいなのだと思います。

さて,これは学生に対する私の評価も同じです。1つ1つの「授業」での成績の良し悪しは,確かに決まります。しかし一方で,最終的に卒業論文を書くことになる1人の学生として見た時には,授業の成績とは離れて,ゼミの中で,あるいは,研究対象との関係の中で,良い取り組みをできているかを見ます。もっと言えば,1人の人間として見た時,個別の学生にとってみれば,卒論/ゼミであっても,その人の価値を決めるものでは決してありません。授業や卒論の出来不出来よりも,その人が,人としてどう生きているのか,その中で,ゼミをどう位置付けて,それに取り組んでいるのか,を見たいと思います。
 もちろん,ゼミを運営する人とすれば,ゼミをなるべく,その人の学生生活の中心に据えてほしいと思います。けれど,それも人それぞれ。せめて,ゼミが,その人の人生の邪魔にならず,プラスになるもの,積極的に取り組もうと思えるものになってほしいと思います。

そんなことを考えた朝でした。