想像力について

大学のお勉強は社会で役立たない!という人に対して,私はちゃんと反論できる気はしません。ただ,もし「大学のお勉強」と言われるものの中に「研究」が入るなら,大学では,ちゃんとした知識と経験に基づいて,より妥当に「想像」できる力を養うことができて,それは社会でも役立つと思います。

研究では一般に,先行研究や予備的な調査・実験からあり得る仮説を導き出し,それを検証するということをしますが,その「先行研究や予備的な調査・実験からあり得る仮説を導き出」すということが,研究においては,実はかなり大事です。時には,その検証よりも,設定される仮説に重きが置かれることもあります。

そして,この「先行研究や予備的な調査・実験からあり得る仮説を導き出」すということは,社会でも役立ちます。これは特に説明しなくてもいいでしょう。商品の開発や販売の戦略などは,それまでに得られているデータ(=先行研究みたいなもの)とモニタリングなどの事前調査(=予備的な調査・実験みたいなもの)に基づいて予測が行われ(=仮説が設定され),それに基づいた開発・戦略がなされますよね。

ただ,私としては,上の「先行研究や予備的な調査・実験からあり得る仮説を導き出」すという力は,もうちょっと言うと,常にそうして,それまでの知識とか経験から少し先の未来のことを適切に予測する癖をつけておくことは,より適切に生きていくためにも必要な能力だと思います。これを私は広く「想像力」と呼びます。

「想像力」に欠けている人は,それまでの知識や経験に基づいて,ごく近い未来(=次)に起こることを予測できない/しないので,自分がある言動を成すことによって,次にどのようなことにつながるかが分からないままに(あるいは深く考えないままに)行動を起こし,発言をします。典型例が,かの市長の「メダルかじり」です。

ある人が,研究能力に長けている人は,人間的にも優れているということをおっしゃっていました。研究も,人間性も,「想像力」がその根幹にあると考えれば,このことも肯ける気がします。ただ,研究面に「想像力」を発揮できている人が,必ずしもそれを他に応用できているか,というと,そうとも限らないだろうとは思います。たぶん,かのメダルかじった人は,知識もあるし経験も豊富なのかもしれませんが,それを「人間の心」に向けることができなかった人です。

私が小学校時代に通っていた塾の先生が,中学校に進学する際に下さった手紙の中に「諸々の理知の根幹は「人に優しく」です」と書かれていました。その時は,そして,それからしばらくしてからも,この意味はわかりませんでしたが,最近になって,少しずつですが,その意味がわかるようになった気がします。つまり,先生も「想像力」が大事だということをおっしゃっていたのかな,と。

そういえば,予備校時代に仲良くしていた先生も「人に優しくできる人は,想像力があるんだ」とおっしゃっていました。ようは,相手が何をしたら喜び,怒り,哀しみ,楽しく思うかが「想像」できるから,あるいは,自分のどんな言動が相手や周りにプラスの影響を与えるかを「想像」できるから,適切な行動をとることができる,そして,それこそが「優しさ」なんだということでしょうか。

だからこそ,勉強しましょう。そして,知識をつけましょう。その知識は,どこかであなたの「想像」を豊かにしてくれます。研究し,そして,他人と議論し,知識にもとづいて適切な仮説を立て,それを検証する方法を知りましょう。それらもまた,いつかどこかで,あなたの「想像」を適切な方向へと導いてくれる助力になります。

私自身も,想像力が欠如しているところがあって,ずいぶんと周りに嫌な思いをさせてしまっているところ,あるいは,負担を与えているところがあると思っています。我が身を振り返るために,少し書いてみた雑文です。