節目の2本

2021年3月23日,偶然にも同じ日に手元に届いた拙論所収の雑誌1つと論文集1つ。どちらも,私にとっては節目になるものです。


学科紀要(『南山大学日本文化学科論集』第21号)に掲載されたのは「丸山徹著『キリシタン世紀の言語学ー大航海時代の語学書ー』」。前任の丸山徹先生の御著書の紹介文です。

私が南山大学に着任したのは2年前,2019年4月。御定年後,再任用の3年を終えられた丸山徹先生の後任としてでした。

丸山先生は,言わずと知れたキリシタン文献語学書研究の第一人者,言語学者として,この手の資料を扱える世界でも数少ない研究者のお一人です。国内のキリシタン資料についてだけではなく,特に最近はコンカニ語文献の御研究も進められていらっしゃいます。その研究を支えるのは,ポルトガル語を中心とする諸言語に関する深くて広い知識で,そうした知識に支えられた鋭い洞察は,私などには到底真似ができるものではありません。

そうした丸山先生の魅力に惹かれた学生は多かったようです。この3月に卒業する私のゼミ生のほとんどは,本来丸山先生のゼミに入りたかったのだけど,先生がご退職されてしまったために,仕方なく私のゼミに入ってきたのでした。

さて,丸山先生の後任ということに重圧を感じていなかったと言えば,嘘になりますが,最初はあまり気にしていませんでした。ただ,着任後,折に触れて私の研究室(かつての丸山先生のお部屋)に来て,励ましの声をかけてくださる丸山先生と接し,そのお人柄と博識さに触れるほどに,「丸山先生の後任が私でよかったのか」と思うようになりました。

そのような中で,昨年夏,本書『キリシタン世紀の言語学ー大航海時代の語学書ー』が出版され,幸いなことに丸山先生から1冊,御恵与いただきました。そして,同僚で,丸山先生とは東大言語の先輩・後輩の関係にある籾山先生に,本書の書評を書くように勧められ,本稿を執筆することにしました。私としても,書評を書くことの大切さは分かっているつもりでしたので,自分では力不足だと思いながらも,学内の紀要であれば,ということで,書くことにしました。

結局,書評という形にするほどに,十分に時間をかけることもできず,何より私にそのような能力がなかったために,「著書紹介」という形となりましたが,丸山先生に出来上がった論集をお渡したところ,大変に喜んでくださいました。肩の荷が降りた,というか,とりあえず終わったな,という感じです。

この「著書紹介」を書いたからと言って,後任として認められた,などというつもりはありませんが,丸山先生の御研究を自分なりに消化することができましたし(不十分ではありますが),それを今後の自分の教育と研究に繋げていくきっかけになりました。そうした意味で,節目の1本となったのは間違いないものです。分野は違えど,丸山先生の,広く深い知識を背景にし,慎重に,かつ,着実に,言語事実に向き合い,発見を続けていく研究のあり方には,本当に学ぶところが多いです。それに,本書を通じて触れることができたことを,幸せに思います。


2つ目は,『筑紫語学論叢Ⅲー日本語の構造と変化』(風間書房)に所収の拙論「出雲方言アクセントの分布と歴史ー2拍名詞4類と5類のアクセントをめぐって」。この論文集は,筑紫日本語研究会の発足40周年を記念し,また,同会を長年牽引されてきた,九州大学の高山倫明先生と国立国語研究所の木部暢子先生のご退職を記念してのものです。私も同会の会員であり,またお二人の先生には大変にお世話になったので,上記の拙論を投稿しました。

拙論の内容については,是非とも現物をご覧いただきたいと思いますが,1970年代後半に奥村三雄が発見した「大社式アクセント」の位置づけについて,やや批判的な立場から再考したものです。奥村三雄は,高山・木部両先生からすると,直接の「師匠」にあたる人で,両先生のご退職を記念する論文集で,奥村批判を展開することに,少し抵抗がなかったわけでもありません。ただ,それは結果的にそうなっただけで,私なりに「大社式アクセント」の問題について考え続けた1つの結論を示した論文になります。

拙論の出来不出来については読者の皆さんの判断に委ねるとして,個人的には色々と思い入れがあり,やはり,節目となる1本です。

そもそも,私がアクセント研究を始めたきっかけは,高山倫明先生の『日本書紀』の字音仮名の声調と往時の日本語のアクセントとの関連について論じられた一連の御研究に触れたのがきっかけでした。京大の学部生時代に,非常勤でいらしていた京産大の森博達先生の授業を受講し,そこで,高山先生の御研究を知りました。先輩からの勧めなどもあって,日本語アクセントの研究に関心を持った私は,学部の卒業論文でも,修士進学後の修士論文でも,一貫して文献アクセント研究に取り組みました。

特に,修士進学以来,私の研究の中心的テーマであったのは,2拍名詞4類と5類の対立についてでした。その区別が,果たして祖語にまで遡るものなのか,それとも,京都方言を中心とした中央方言で二次的に発生したものなのか。長くアクセント史研究においても論争のあったテーマです。

この当時の私の考えに強く影響を与え,今でもその土台にあるのが,早田輝洋先生の御研究です。早田先生のお考えに強く影響を受けていた私は,後者の考え,つまり,2拍名詞4類と5類の対立は中央方言で二次的に発生したものだ,という考えに傾いていて,それをどう「説明」するか,ということをずっと考えていました。

博士課程進学してすぐ,九州大学言語学研究室との「交流院演習」で,まだ箱崎にあった(下地さんが着任前)九大に行くことになり,早田説を元にした2拍名詞4類と5類の対立についての自分の考えを発表しました。その際,幸いなことに高山先生にも発表を聞いていただきました。「大社式アクセント」に関する奥村三雄の研究を知ったのは,この時で,まさに高山先生に教えていただきました。中央方言とは地理的に離れた出雲地域に,4類と5類とを区別する「大社式アクセント」なるものが存在するという高山先生のコメントに,ショックを受け,また自分の不勉強を強く恥じたのを覚えています。

自分の耳で「大社式アクセント」の存在を確かめたいと思った私は,当初の研究計画にはなかったにもかかわらず,その年度の末に,出雲市大社町に調査に行きました。確かに,奥村三雄の報告の通りのアクセントがそこにはありました。ちなみに,この時には,同時に奥出雲町佐白(旧仁多町佐白)にも調査に行っており,そこで出会ったお婆さんには,今に至るまで長く調査にお付き合いいただいています。

この調査がきっかけとなり,外輪式アクセントの歴史的位置づけに興味を持ち,それが学振PDの研究テーマになりました。受け入れ先として,高山先生にお願いしたのは,ある意味で必然でした。

その後,今回の論文の元になるデータを収集するきっかけになったのが,国立国語研究所「危機方言プロジェクト」の出雲方言合同調査でした。この合同調査で,出雲地域内にもかなりの程度地域差があることを認識し,また,話者の方たちともつながりを持つことができ,東は安来市旧広瀬町から西は出雲市旧大社町まで,複数地点で調査をすることができました。それにより広く出雲地域諸方言のアクセントの状態を知ることができ,それが今回の論文の元となるデータとなっています。

木部先生は,このプロジェクトのリーダーでいらっしゃいました。合同調査後に,いくつかの地点で個人的に再調査をしたい旨を木部先生にお伝えしたところ,色々とご手配をくださいました。そのおかげで,この論文の元となるデータを収集することができました。

今回の論文では,出雲地域諸方言におけるアクセントの型の分布に地域差があることについて,それを如何に解釈するかが問題となっています。この問題については,一度2017年の日本語学会春季大会で発表したのですが,改めて考え直すきっかけを与えてくださったのが,上野善道先生です。

上野先生には,服部四郎(2018)『日本祖語の再建』(岩波書店)の編集をお手伝いするようにお声掛けいただきました。それ自体,大変に光栄なことで,とても勉強になったのですが,以来,折に触れて,ご助言をいただくことが多くなりました。特に,外輪式アクセントの歴史的位置づけについての論考を執筆し,草稿を見ていただいた折に上野先生からいただいたコメント・ご助言が,今回の論文における着想のヒントにもなりました。

このように,今回の論文は,早田輝洋先生,上野善道先生,高山倫明先生,木部暢子先生という,アクセント史研究の「大家」とも言える先生方に色々な形で影響を受け,また,支えていただきながら進めてきた私のアクセント史研究の1つの到達点,と言っては言い過ぎかもしれませんが,節目の1本であることは間違いありません。

これだけ偉大な先生方にお世話になっておきながら,こんなものか,というのが,拙論に対する多くの皆さんの率直な評価なのかもしれません。種々ご意見くだされば,幸いです。


こうして節目となる2本が出来上がってきて思うのは,たくさんの人にここまで支えられたということと,私自身にはまだまだやらねばならないことがあるということです。

どうやら私の興味・関心の中心は,やはり,言語変化・言語史の再建にあるようです。それだけをやっていてはいけない立場や環境にあることは自覚していますが,それでも,これからは自分の興味・関心にもう少しだけ正直になりつつ,一方で,これまで中心だったアクセントからもう少し視野を広げてみて,音韻全般,そして,形態統語論の変化や歴史についても考えていきたい,今はそう思っています。