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また同じことを…

noteを始めて5年目になります。12月になったら丸5年続けている事になります。5年も続けていると、同じことを書いてしまうことがあります。何百という投稿をしていますが、同じことを書いた時は気が付きます。いつ書いたかは覚えてませんが、「また同じことを書いてるよ…」という自覚はあるんです。

「また同じことを書いてるよ…」と自覚してしまう時、忸怩たる思いがあります。忸怩たる思いって書きたかった訳じゃないですよ。本当に忸怩たる思いがあるんです。「ああ、結局いつも言いたいことは同じで、毎回書き方を変えて書いてるだけじゃないか…」と思うのです。そして「ああ、こいつはまた同じことを書いてるよ。底の浅いやつだ。それしか無いのかよ…」と思われていると思ってしまうのです。

いやしかし!

それって自意識過剰なだけなんですよね。私が書いた文章をみんなが正確に覚えているという前提ですから。もっと言えば、私が書いた文章を100%読んでもらっていると思ってる訳ですから。これは自意識過剰のひと言でバッサリ斬ることが出来るのです。

一方でですね、誰かの文章を継続的に読んでいる時、「ああ、この人はいろんな視点がある人だ。今回も新しい発見をした。」と思いたくて読んでいると言うよりも、毎回のお決まりのイジクリだったり皮肉だったりダジャレだったりを読みたいことの方が多い気もするんです。お決まりのギャグや見得を読みたいんです。あるいは、毎回お決まりの科学的事実や自分好みのイデオロギーを聞きたいんです。

だから、自分にはアレもコレも語れるよという欲は、意外と読者を満足させるという意味では良くないのかも知れませんね。

デビュー曲がヒットしたアーティストが、自分にはアレもコレも作れるよと思って、ヒット曲とは全然違うテイストの曲を作って落ちていく感じと言いますか。その昔、好きな曲のシングルレコードを買った時にB面を聞くのがすごく嫌でした。A面は大好きなのにB面はなぜこんなにつまらないのかといつも思ってました。

アルバムもそうでしたね。1曲好きな曲があってアルバムを買うと、その他の曲全部に興味が持てなかったり。それは洋楽でよくありました。

今ではデビュー曲がヒットしたアーティストは、ヒットした曲と同じテイストの違う曲を作るそうです。だってファンは「それ」を聞きたいんですもんね。音楽に限らず世の中のエンタメのほとんどはその法則で利益を上げ続けてるんでしょうけど。ディズニーとかスターウォーズとかマーベルですら、続編ばっかりですからね。

だから私も「また同じことを書いてるよ…」と忸怩たる思いにならなくていいのかも知れません。持ち味としてポジティブに捉えていいのかも知れません。

まあ、私が何度も言っていることって、「映画祭は狙わないと選ばれない」とか「勝負は勝ちたい人が勝つ」とか「作品群が作家を作る」とかそんな事ばかりです。あるいは「おじさんは威張るな」とか「おじさん頑張れ!」とか。

何度も書いてることって、実は自分に言い聞かせてることだったりするんですけどね。自分に言い聞かせてたり鼓舞したり。強い意見を表明することで自分を追い詰めてたりするんです。

人の文章を読んでいる時もそう思うことがしばしばあります。Twitterにしてもnoteにしても、誰かの事を書いてるようで自分に言い聞かせてるんだなと分かるんです。決意表明しているなと思う事があるんです。そして、そう思った時に嫌な気分にはなりません。

中年になると特に強くなる意識なんですが、人生を試行錯誤してたり、判断に迷っていたり、悩んでいる様子を見られたくないんです。見られたくないというのは、文章を通しても知られたくないし、悩んでると思われたくないんです。おじさんの目が泳いでるとカッコ悪いんです。

いやしかし!

私はおじさんが人生を試行錯誤している様子を見るのが好きです。上手く行かずに目が泳いでいるおじさんを見るのが好きです。それは、その人がまだまだ向上しようとしてるからです。

逆に「巨匠でございます」と、ずっと同じポジションに鎮座しているおじさんの方が好きではありません。上がりに見えてしまうからです。スゴロクの上がりです。その先には何もない上がりです。「その程度で上がりと思ってるんだ…」と意地悪に見てしまうんです。

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330字

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