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音楽の渡邊さん①

私の中での「Wわたなべ」のもうひとりは、作曲家の渡邊崇さん。

渡邊さんとはどういう出会いなんですか?とよく聞かれるので、これを機に書いておきます。

渡邊さんとはドイツのフランクフルトで毎年開催されているニッポンコネクションという映画祭で出会いました。渡邊さんも音楽を作った映画がニッポンコネクションに来ていました。その年、なぜか「平林勇特集」という奇異なプログラムがあったのです。まだ私の作品が、ベルリンなどの大きな映画祭で上映される前になります。

その「平林勇特集」に渡邊さんが来てくれました。映画祭で上映はされましたが、その当時の私の作品は「映画」というよりも「実験映像」と呼ばれるジャンルだったかと思います。(えーと、今でもそうじゃないか、という声が遠くから聞こえますが、スルーするとして…)そんな奇異なプログラムを渡邊さんが見に来てくれたんです。その時の渡邊さんは坊主で、その坊主姿がイラストで書かれた名刺と、デモリールのCDをもらいました。

そのCDを聞いてみたところ、ものすごくアバンギャルドなのに構成がしっかりしている印象を受けました。私の好きな、現代音楽の匂いがプンプンしました。何か一緒に作れたらいいなあとすぐに思いました。

私はその当時、CMディレクターをメインにやっていました。渡邊さんと知り合ってすぐに、たまたまキャノンの企業CMを作ることになり、渡邊さんにお願いすることにしました。でも、CM業界だけじゃなく、どの世界でもそうかもしれませんが、その業界での前例の無い人が、1つ目の仕事をするハードルというのは、絶望的と思えるほど高いものです。でも、その時のプロデューサーがパラダイスカフェの追分さんでした。追分さんは、前例の無い私に初めてCMの仕事をやらせてくれた方でした。(追分さん無くして今の私は無いと言えるほどお世話になった方です)追分さんなら行けるかもしれないと思い、渡邊さんの名前を出しました。

そして、渡邊さんにオリジナルの曲を作ってもらったのですが、クライアントから全然OKが出ず、何度も何度も作り直してもらい、最後にはクラシックの曲のアレンジになってしまいました。渡邊さんは飄々とやっていた様に見えましたが、あとから聞くと、本当に精神的に追い込まれたと言ってました。それでも私は出来上がった曲がすごく好きで、大成功と思いました。

そこからいろんな仕事をし、いよいよ一緒に作品を作ることになりました。それが『十七個の空間と一匹のウジ虫で構成された作品』という作品です。タイトル通りの作品で、一匹のウジ虫しか出てこない作品です。なんと、35mmフィルムでウジ虫だけを撮影した作品です。その作品の音楽を渡邊さんにお願いしました。

私が渡邊さんに伝えたのは「やりたい放題やってください」だけでした。(基本的に今でも同じですが)そしたら、本当にやりたい放題の、メチャクチャ良い曲が出来上がってきました。私が好きなど真ん中でした。でも「すごい作品できた!すごい作品できた!」と喜んでいたのは、私と渡邊さんだけだったかもしれません。「なんちゅー作品を作るんだ…」という反応の方が大多数でしたので。

その次に『BABIN』という作品を作りました。作品を作るのは2本目でしたが、渡邊さんの音楽の作り方がすごく分かった作品でした。私と渡邊さんの共通の意識として「音楽で観客を誘導しない」というのがありました。第一線にいる今の渡邊さんは、観客の誘導をしなければならない仕事もたくさんしていると思いますが、その時はそんな話をしてました。

一番わかり易いのが、「観客が泣きたいシーンでいかにも泣かせる様な曲をつけない」というのがありました。そういう論理的な志が「志倒れ」になる人はたくさんいると思いますが、渡邊さんがすごいのは、泣きたいシーンに楽しい曲をつけることで、逆に号泣させてしまった事でした。あとは、音楽が入って欲しいシーンに音楽が入ってこない、というのもありました。作る音楽が実験的なだけでなく、映像に対する音楽の立ち位置への実験的な姿勢もあり、「面白い人だわ〜」と思い、私の全作品の音楽をお願いしています。

2010年は私にとっても渡邊さんにとっても、思い出深い年だったかと思います。まず『aramaki』がベルリン国際映画祭に決まりました。その年のカンヌ映画祭の監督週間に『Shikasha』が決まりました。私たちはその年のベネチア国際映画祭も決めてやろうと意気込みました。私たちは勝手に「グランドスラム」と呼んでいました。同じ年に三大映画祭を別々の3つの作品で決めるのは、快挙なんじゃなかろうかと思い、ベネチアに合わせて作品を作りました。でも、そんな私たちの野望が達成されることはありませんでした。

「グランドスラム」などと言い始めた時点で、神が意地悪をしたんだと思います。そんな事したら、こいつらつけあがって努力しなくなるぞと。「神、ちょっと待って。私たちはつけあがって努力しなくなるほどバカじゃないですから。私たちの事よく知らないクセに。いや、一緒に話をしたことも無いクセに、何てことしてくれたんですか!責任取れないですよね!」と、いま神にあったら言いたいです。「いや〜、あの時はオレも誤解しちゃってさ。スマンスマン。もう一杯ビール飲んでいい?」といま神に言われたらズッコケるでしょう。

渡邊さんとは映画祭にも一緒に行きました。ベルリン、カンヌ、ベネチア、ロカルノ、サンダンスに行きました。ベネチアでは4人でアパートを借りて、自炊しながら映画祭に参加しました。ベネチアにいる時は私が料理担当でした。ヨーロッパでは何を食べても美味しいと思っていたのですが、ベネチアで入った店はそれほど美味しくありませんでした。それもあり、ほぼ自炊になりました。

その当時、渡邊さんは全く料理が出来ず、もっぱら洗い場担当でした。私が料理して散らかしたキッチンをピカピカにしてくれました。基本的にものすごくキッチリしているので、本当にピカピカになるんです。

ベネチアでのある日、私が起きてリビングに行くと、渡邊さんが早くも仕事をしていました。お腹が空いていたようで、昨日の夕食の残り物のオリーブをかじってました。私は「渡邊さんに早くご飯を作ってあげなきゃ!」と思い、すぐにパスタを茹でて朝食を作りました。そんな渡邊さんも、ここのところ突如として料理にはまり、すごく美味しそうな料理を作っています。

ワタナベアニさんのアリとキリギリスといい、大人になってからでも、人は大きく変わるんだな、と心の底から思います。

お察しの方もいるかと思いますが、タイトルが「音楽の渡邊さん①」になっているんです。①という事はこれで終わりではないんです。渡邊さんの話はまだまだありますので、頃合いを見て書く予定です。


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