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短編部門の無い日本

今まで短編映画ばかりを作って来て、本当に不思議というか疑問というか悔しい事がありました。

東京国際映画祭にも日本アカデミー賞にも短編部門が無い、という事です。

カンヌ映画祭にもパルムドールがもらえる短編部門があり、ベルリン映画祭にも金熊賞のもらえる短編部門があり、アメリカのアカデミー賞にも、実写の短編部門、アニメの短編部門、ドキュメンタリーの短編部門があります。

なぜ日本には短編部門が無いのか、私なりに考えてみた事があります。考えてみたと言っても、すぐに分かりましたけど。日本では映画は経済の中に含まれているからだと思います。映画はお金を生む道具、として動いているからだと思います。短編映画が大きなお金を生み出す事はありません。特に日本では短編映画は長編映画を作る前のステップアップの段階、作品ではなく習作と思われています。

日本中にはたくさんの短編映画祭がありその募集要項を見ればわかります。若手の登竜門とか、若手発掘とか書いてあります。短編映画は成熟した表現のひとつとは見られていません。いい年した大人が作るメディアとは考えられていません。あくまでも練習した作品としか思われていません。日本では。

しかし、そのようなポジションにいるからこそ、文化の中には入れられていると思います。経済行為ではないが文化ではあると。ピアノのコンサートではなく、ピアノの発表会としての文化です。

ピアノの発表会を評論する評論家がいないように、短編映画を評論する人も日本にはいません。興味が無いというよりも、短編映画を不完全なものとして見ているからだと思います。これは本当に悔しい事です。

日本にはショートショートフィルムフェスティバルや、札幌国際短編映画祭など、本当にしっかりしたセレクションをしている短編映画祭があり、短編映画を作っている私たちのモチベーションを上げ、短編映画を作り続ける後押しをしてくれています。それでもやっぱり、短編映画祭というのはまだまだ一般的に認められていませんし、短編映画という小さなジャンルの賞と思われています。私たちが軟式テニスの日本チャンピオンを知らないように。

もし、東京国際映画祭や日本アカデミー賞に短編部門があれば、人々の短編映画に対する見方も変わるでしょう。

いや、短編映画の地位を上げてもしょうがないのかもしれません。だって、お金を生み出さない表現だから。

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