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監督業は不安だらけ

「監督」と呼ばれるようになって20年ぐらい経ちます。私はCMディレクターとして「監督」と呼ばれる様になりました。

「先生」と呼ばれる事で、人の上に立った気になり、人生を踏み外したり、そこまで行かなくても横柄な態度になり、人が離れて行ってしまう人がいるのと同じ様に、「監督」と呼ばれることで、人を下に見て、凶暴性のリミッターを外し、何人もの人に「死んで欲しい」と思われてしまう人もたくさんいます。

私はもともと引っ込み思案で、何事にも自信がなく不安な性格だったので、「監督」と呼ばれることで自信が付き、堂々していられるようになったのは、本当にありがたいことでした。

私は監督を目指してなったのではなく、流れ流れて監督になったので、いまだに不安感はあります。自分のやり方が間違ってないか?です。

私は監督になりたての頃、わからないことだらけでした。

ある時、コンテを見ながら、制作部の人に「監督、ここのHSはどうします?」と聞かれたことがあったんです。HSというのは「ハイスピード」の略で、ハイスピードで撮ると映像がスローになるんです。「HSはどうします?」という問いの正解は「60コマ」とか「5倍」とかなのですが、私はHSという言葉を初めて聞いたので、「2〜3個で」と答えました。映像の撮影ならではの特殊な機材があると思ったんです。制作部の人は「ん?」という顔をしていましたが、監督になりたての私の顔を潰すこと無く、「は、はい…」と言って、コンテに「2〜3倍」と書いてました。

その時、私は「個」という単位は間違えましたが、奇跡的にも「2〜3」という数がありえない数ではなく、大敗を免れたのです。もし「HSはどうします?」の返事を「四角い感じで」と言っていたら、終わっていたのです。

そんな経験を何度もしてきました。

いまだに不安でしょうがない事の一つに、何テイク撮るのか?というのがあります。私は基本的に1テイクで終わらせたいのですが、他の監督の現場の話を聞くと、30テイクとか50テイクとか100テイクやっていたりするんです。だから1テイクで終わらせると、キャストやスタッフの人から「こだわりのない監督」と思われてやしないか不安なんです。

若い頃、テイクを重ねると何か変わるものなのか、やってみたことがあったんですが、10テイク以上行くと、もうOKが出せなくなりました。さっきの12テイク目がOKじゃないのに、なんで今の17テイクがOKになるんだよと。キャストやスタッフが私を見る目が厳しくなっていきます。この監督がOKを出すレベルはどこなんだろうと。我々には見えてないものがこの監督には見えてるんだろうから、その高いレベルを見せてもらおうじゃないか、となるんです。こんなプレシャーを自ら招くなんて、自分のバカ!と思いました。

それから何年も監督業をやって来て、結果的に私の中では、1テイク目が一番良いことが多いな、という結論になりました。だいたい2〜3テイク目まででしょうか。もちろん、セリフを間違えたり、明らかに不自然な間になった時はテイクを重ねますが、不用意に何テイクも撮ることはしなくなりました。

でもやっぱり不安なんです。

撮影よりもキツいのがMA(エムエー)です。MAというのは、CMを作る行程の、音パートを完成させる行程になります。CMの仕事ではナレーションを録る行程がほぼあります。しかも、クライアント、代理店、制作会社の人たちが一同に揃って、そのみんなの前でディレクションをしなければなりません。これが本当に苦手です。ディレクションが苦手なのではなくて、その空気が本当に苦手なんです。

撮影はいろんな要素が含まれているので、全員一致で絶対コレだ、というOKはなかなか無いのですが、ナレーションの場合、全員一致で絶対コレだ、というOKが、しばしばあるんです。

私たちは普段の生活の中で、人が話す声のニュアンスや喜怒哀楽の違いを、ものすごい微妙なレベルで感じ取って生活しています。なので、ナレーションの違いもわかってしまうんです。そこにいる全員がプロなんです。

そういう状況で出すOKは厳しいです。私は撮影では1テイクが多いですが、ナレーションを録る時は、割とテイクを重ねます。本当に完璧な声が録れないと、そこにいる人達がOKを出してくれないからです。

でも、監督業を10年以上もやっているとある法則に気づきました。ナレーションの録り始めは、そこにいる全員が集中して声を聞いてるのですが、何テイクも録ると飽きてきて、クライアントや代理店の人達が無駄話をし始めるんです。私は無駄話が出てきた頃が頃合いだと思い、OKを出します。だいたいその頃までにOKは出ているので、「もう一度、あのテイク聞いてみましょう。」と言ってみんなで聞きます。そうすると大体丸く収まります。

そういう、監督として業界を渡っていく「術」みたいなのは、監督ごとに色々あるんじゃないかと思います。「現場に来るなり怒鳴り散らす」という「術」を使っていた監督は、かつてたくさんいましたが、時代が変わり、みんな優しくなりました。

それにしても、監督業というのは、「ピエロみたいだな」と思うこともたくさんあります。自我が肥大しやすい立場に置かれ、さらに自我が肥大している自分に気づいてしまい、そして自我が肥大した自分をみんなに見られている事にも気づくという。

まあ、それも含めて楽しい仕事でもあります。

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