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伴走者がいると幸せ

何となくの感覚なのですが、心地いい人間関係って、言ってみれば「伴走者」みたいなものなんじゃないかと思います。伴走者というのは、同じ速度で走ってくれる人です。100メートルを一緒に走る人の事を伴走者と言わない様に、長い距離を同じスピードで、時には話をしながら一緒に走ってくれる人なんだと思っています。今回はやや掴みづらい話になりますよ。

夫婦なんかが「伴走者」とイメージされるかもしれませんが、そのぐらいの距離感だと伴走者よりも緊密過ぎて、伴走者っぽくないんです。夫婦はどちらかというと、ザイルでお互いの体を繋げて山を登ってる感じと言いますか、スキューバで言うバディの関係と言いますか、責任が大きすぎるんですよね。さらに子供が2〜3人ザイルで繋がっていたりしたら、足を滑らせることなんて絶対に出来ません。

伴走者は、「今は同じ方向に向かって走っているけれど最終目的地は違う」と言いますか、「最終目的地は違うけど今は同じ方向に向かって走ってる」と言いますか、言い方の順番を変えただけなんですけど、まあそんな感じかなと思います。

「ゴールは違うけど今は一緒に走ってる」ところがポイントでしょうか。お互いにお互いのゴールに責任を持たない関係性と言いますか。でも、同じ方向に向かって、同じスピードで、話をしながら、笑いながら、たまに励まし合いながら走っている関係性が心地いいと思うんです。

「ゴールが違う」と言う時の「ゴール」は、「人生のゴール」の事です。「人生を賭けたゴール」と言いますか。プロジェクトごとのゴールや、仕事のゴールの事ではありません。

そしてこの関係性って、立場の上下は関係無い気がします。例えば、会社に入った同期でも、伴走者の関係になれる人もいますし、なれない人もいます。上司と部下の関係でも、伴走者の関係になれる人もいますし、なれない人もいます。上手く行っている上司と部下って、伴走者の関係になってるなと思います。

上司が部下に「キミの将来のために」とか言って、部下の人生のゴールに言及し出すと、伴走者の関係が崩れて心地よさが無くなる気がします。「オレも頑張るけどキミも頑張れよ。人生のゴールは違うかもしれないけど、今は同じスピードで、同じ方向に、協力し合って走って行こうな。」ぐらいが良いんだと思います。特に若い人ほど、伴走者の関係性じゃないとダメな人が多い気がします。

クライアントと下請けの関係でもあると思います。「下請け」って言葉はちょっとキツいので言い方を変えると「発注者」と「受注者」の関係と言いますか。この関係性でも、伴走者の関係が作れると思います。

発注者側が「お金払ってるんだから、つべこべ言わずに言うこと聞け。」と言ったら伴走者の関係にはなりませんし、受注者側が「お金を頂けるんだったら何でもやります。」と言っても伴走者になりません。まあ、こういう一方的な関係が、社会で一番良くある関係なんだと思いますけど。こういうのはストレスしか生みませんね。心地よさゼロ。

でも、伴走者の関係で仕事が出来る人たちもたくさんいます。そういう関係性は、発注者側が「今回の仕事、終わるまでおチカラをお貸し下さい。」というスタンスでいる事が多いと思います。お金の流れは上から下へとハッキリしていますが、あくまでも「自分が持っていない物をお金で買う意識」と言いますか。

寿司屋に行った時に「寿司を食べに来てやった」と思わないのと同じです。寿司が食べたいから寿司屋に入って、お会計をして帰る。そこには上下関係や、発注者と受注者の関係もありません。「自分が持っていないものにお金を払った」だけです。仕事の関係でそれが築けると幸せです。食べた方は「美味しいお寿司をありがとうございます。」と言い、寿司屋は「食べに来て頂きましてありがとうございます。」と言う関係性。お互いに感謝するスタンスですね。

いろんなところに伴走者がいると、心地良くて幸せで、前向きで、気持ちの安定する生活になる気がします。

例えば、歯医者の先生。私は3ヶ月に1回のペースで歯の検診をしてもらいます。私と先生は人生のゴールは違いますが、ある期間、同じスピードで同じ方向に向かって走ってる感じがあります。私が歯医者に行っているのは、人生を賭けた何かを成し遂げるためではなく、私の歯の様子を常に把握してもらうために行ってるんです。お互いの人生を、お互いに賭けてません。

あるいは習い事の先生。こういうのはまさに伴走者なんだと思います。子供の習い事は、先生と生徒という関係になってしまいがちなので、どうしても伴走者の関係にはなりづらいですが、大人の習い事はまさに伴走者のカタチです。私が手に入れたい技術や能力があったとして、それをお金を払って教えてもらいます。でも、お互いの人生を、お互いに賭けてません。

結局、「伴走者のカタチ」というのは、「責任は取らないけどお互いを尊重する」って事なのかもしれません。そして、自分が伴走者が欲しい時、自分もまた相手の伴走者になるという意識も大事ですね。要するに「思いやり」ですかね。結局、シンプルな分かりきった話になっちゃいましたね。

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