表紙

インプットとアウトプットの谷

私は、インプットとアウトプットの間に、ものすごい谷を感じています。アリゾナの谷です。絶対に向こう側に渡れる気がしない谷です。

藪から棒にスミマセン。もう少し丁寧に言いますと、インプットをしてもしても、アウトプットに繋がらないと言いますか、影響しないと言いますか、何の役にも立たないと言いますか、まあそんな話なんです。

何と言いますか、勉強しても勉強しても、目に見える成果が現れないと言いますか、体験しても体験しても、それが身につかないと言いますか、そんな話でもあります。

でも、こんな事しても結果的にアウトプットに繋がらない、と思ってしまったらやってられません。続けられません。気持ちが折れてしまいます。

だから、私は気持ちが折れないように、頭の中でそれをビジュアルにして自分を鼓舞しています。

谷01 のコピー

これは、インプットとアウトプットの間に、絶対に渡れない谷がある図になります。この谷は落ちたら助からない谷です。どう考えてもアウトプット側に渡れない谷です。この程度のインプットではどうにもなりませんね。

谷02 のコピー

そして、インプットを続けていくと、アウトプット側に近づいてきますが、それでもアウトプット側には渡れません。頑張ってインプットした結果、確実に近づいていますが、渡れないんです。渡れないという意味では、近づいていても、近づいて無くても同じです。本人からしたら、インプットしてないのと同じ心境です。

谷03 のコピー

それでも頑張って頑張ってインプットして勉強して、アウトプット側に近づいて行きます。すぐ目の前にアウトプットがあるんですけど、状況は最初と全く変わっていません。相変わらず、この谷に落ちたら助かりません。しかも、私はすぐ目の前にアウトプットがあることに気づいていないんです。ここまで近づいている、という状況は分かってないんです。

図では見えてますが、実際には見えないんです。だからインプットの崖の淵に立つ私は、アウトプットがもっと向こうにあると思ってるんです。

あと少しで、インプットの成果としてのアウトプットが出来るのに、下手したらそこで諦めてしまうかもしれません。ジャンプしたらアウトプット側に飛び移れる幅かもしれませんが、ガチャンと繋がるまで自分では気づきません。

私はやってもやっても成果が上がらない時に、そういう想像をして、心が折れないようにしています。

私は若い時に、インプットしてもインプットしても全然成果が上がらないのに、ただただひたすらにやり続けたことで、アウトプットに繋がった経験をしたことがあります。

それは石膏デッサンです。高校を卒業して上京して美術予備校に通い始めました。一番最初に書いた石膏デッサンが、ブルータスだったか、ヘルメスだったか忘れましたが、私が書いたデッサンの顔は私の顔そっくりでした。初心者は、石膏デッサンで描く顔が自分に似てしまうと、講師の人が言ってました。もちろん、どうにもならないレベルの下手さです。3歳児がクレヨンで親の顔を描いた絵に近いイメージの下手さです。一生懸命描いてるんですけど、下手は下手なんです。「味がある」とかが通用しないのがデッサンの世界です。

それでも私は毎日毎日予備校に通って石膏デッサンを描き続けました。8月になると、地方から夏期講習だけ受けに来る学生がいます。美大を受験しようとしている高校3年生ですね。案の定、みんなクソ下手なんです。私は4月から5ヶ月ほど、毎日毎日石膏デッサンをしていましたが、高校生と同じぐらいに下手でした。

同時期に予備校に入った人たちは、空間を感じるデッサンになっていました。石膏像の裏側を感じるデッサンになってました。

それでも私は毎日毎日続けました。12月の段階でも下手でした。受験は1月〜2月に始まります。年が明けたある日、ものすごい上手いデッサンが書けたんです。いつもは、下から3番目ぐらいの下手さだったのに、上から3番目ぐらいになりました。

たぶん、インプットとアウトプットの崖が近づいて近づいてくっついた瞬間なんだと思います。そこからは何度描いても上手いデッサンが描けました。鉛筆を感覚的にグチャグチャやって描いてるのに、空間を感じるデッサンになっているんです。もちろん、顔は自分の顔ではなく、ブルータスやヘルメスやモリエールそのものです。

その経験をしてから、私はこういうグラフもよく想像します。もちろん、心が折れないようにです。このグラフの形は、かなり好きな形です。

グラフ01

やってもやっても、成果が上がらないけど、あるところから一気に成果が上がるグラフです。さっきの「谷の図」と数字で対応させるとこんな感じかと思います。

この形のグラフに何度助けられたか。「グラフ」に助けられるって、不思議な感じがしますが、私はよくあります。生き方に対する心構えとか、哲学なんかをビジュアル化して、心の支えにする方法って、もっと世の中に普通に広まってもいいんじゃないかと思います。グラフとか図が人を救えるんです。

あ、そうだ。宗教って、何千年も前から人々を図で救ってますね。洞窟壁画で言ったら何万年も前から。言葉の力も強いですけど、ビジュアルの力って、言葉の力を軽く超えて行く気がしています。根源的な感覚として。視覚って、ミジンコにもありますし、5億年前のカンブリア紀からありますから。

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