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映画祭日記(2011年ベネチア国際映画祭)

※当時書いた日記をそのまま転載しています。

1日目

ついにベネチア映画祭へ。

そして念願のA380。フランクフルト経由のボーイングA380をあえて狙ったと言ってもいい。外観は巨大で格好良かった。中に入ったら、意外と普通だった。ボーイング747とそれほど変わらない印象。シートが薄くなっていて、機内が明るい印象。分厚いシートで重苦しい雰囲気のまま12時間耐えるというのもキライじゃないが、この明るさは悪くない。しかも満席じゃなかったので、3つのシートを使い、エコノミークラス的フルフラットベッド状態でフランクフルトまで。前日寝てなかったせいもあり、映画も見ず、本も読まず、起きたらヘルシンキ辺りを飛んでいた。飛行機好きとしては、起きたらあと2時間みたいなのは喜ばしい事じゃない。起きてもあと8時間、みたいなのがいい。ちょっと機内をパトロールしてみるか、ぐらいがいい。

フランクフルトで渡邊さんたちと合流しベネチアへ。空港からは船でベネチアの島まで。そして、今回はホテルではなくアパートを借りた。ホテルを探すと軒並み一泊2万円~みたいな金額が出てくる。一泊2万円~だから、一泊4~5万円のとかも普通。11泊で計算するとそれなりの金額になるし、どのホテルも内装が中世のヨーロッパみたいでどうかなあと思っていたところ、アパートを発見。5人部屋で一泊2万円のところを借りた。空港で、今着いたというメールをアパートの管理会社に送り、アパートの前に言ったら優しそうなおばさんがいて、カギをもらったりお金を払ったりした。70㎡のシンプルなアパート。窓を開けると運河。ここが自分の家だったらと思うぐらい快適なアパート。

とりあえず荷物を置いて、近くのレストランに行って夕飯を食べその日は終了。

2日目

朝からただならぬ連絡が日本からある。完成したかと思われた作品を、少し修正しなければならない。データは持ってきていたので、編集自体は5分もあれば修正できるのだが、5ギガのデータをサーバにどうアップするか。日本から持って行ったイーモバイルのPocketWiFiは設定料金の5万円を越えてしまい使えず。そもそも回線は遅い。てか、イーモバイル、なんで半日で5万円越えてんだよと。ちゃんと海外一日使い放題で設定したのに。で、あるタイミングを境に、ベネチアのどこに持って行っても圏外に。たぶん映画祭の会場に行けば、高速インターネットがあるはずだとの推測の元、サーバーへのアップロードの前に買い出しに。なぜアップロードの前に買い出しなのかはわからないが。

ベネチアで唯一の大きなスーパーというところまで30分ぐらいかけて行き、肉やら野菜やら調味料やらを大量に買い込んで、船に乗ってアパートまで戻るという計画。買い出しまでは良かったのだが、船に乗ったら歩くより遅かった。もう全然着かない。そして暑い。熱中症で倒れるかと思うぐらい船内は暑かった。1時間半ぐらい乗った気がする。下りる駅に着いたときに、まさか着くとは思わなかった、とすら思った。

買い出しを終え、映画祭会場へ。データのアップロードをするためにMacBookProを持って。会場に着き、アクレをもらい、Macを立ち上げたところ、高速インターネットどころか、WiFiの電波すら出てこない。Macを開いたまま映画祭の会場の中をひたすらWiFiの電波探しの旅。やっと変な片隅でWiFiの電波を受信し、150Mのデータの送信を開始してみたのだが「残り10時間」と表示された。バッテリーはあと1時間しかもたないし、10時間待つのはヒマすぎると思い、さらにさまよいの旅に。映画祭の関係者に聞き、一番ネット環境が良い場所を教えてもらったら、プレスの人たちがいる会場だった。良かった良かったと思い、Macを開いたら、繋がる電波は飛んでなかった。会場に常設してあるプレス用のパソコンのLANケーブルを引っこ抜いてMacに差しても、IPアドレスの設定なんかを聞かれたりして、繋げることが出来ない。ああ、これでデータは送れず、修正は出来ず、あ~あ、とやさぐれたのだが、今までの海外での経験上、ホテル周りや観光の中心部は結構強力な電波が飛んでいて、クレジットカード払いで繋げられることもあったと思い、リド島からベネチアへ戻り、さらに電波探し。とりあえず中心部であるサンマルコ広場に行ってみたら、そんなに速くはないが繋がる電波が見つかった。70KB/秒ぐらいの早さ。MacBookProを広げたままサンマルコ広場の電波調査。一番安定していて早い場所を見つけ、そこに陣取ってデータ送信。残り40分と出た。バッテリーは残り50分。祈るような気持ちで40分待ち、無事送れた。神がいたと思った。そうこうしているうちに夜になっていた。

3日目

ほとんど三日目にしてやっと映画祭に参加する感じ。

午前中、共同通信の方から電話があり、取材していただけるとの事。午後、映画祭会場に行き、共同通信、朝日新聞、読売新聞の方に取材していただいた。どんな質問をされてもほとんど言葉に詰まることなく答えが出てきた。感覚的に作った作品ではなく、割と論理的にメタファーを含めた構造を考えて作っていたからだと思う。論理的でシンプルな構造で骨組みを作り、表現でジャンプさせるという方法が、いまの自分が考える、もっとも強力な方法な気がしている。

その後、映画祭会場の中を探索。メイン会場のレッドカーペットを見た時、やっとベネチア映画祭に来たことを実感した。もう写真撮りまくり。思っていたほど巨大な映画祭ではなかった。ベルリン映画祭はもっとでかいし、カンヌ映画祭は桁違いなんだと思った。でも、ベネチアというそもそもが非日常なところでやる映画祭という事もあり、ワクワク感はカンヌやベルリンよりも強い気がした。今回は11泊もするが、あっと言う間に終わる気がしている。なぜだか。

4日目

そろそろ映画でも見て映画祭気分に浸ろうと思い、アミールナデリ監督の『CUT』を見に行ったのだが、着いたのが15分前だったので長蛇の列に並んでも入ることは出来なかった。「あ~、そうそう、映画祭ってそうだっけ。」と思い作戦変更。映画祭ビレッジでビールを飲みながら分厚いカタログを片っ端から調査。やはりオリゾンティ部門に風変わりな作品が多い。2時間後のオリゾンティ部門を見ることにした。

オリゾンティ部門では、ひとつのプログラムの最初に短編が上映され、その後に長編が上映される。だから、いつもやっているように、短編映画をひたすら見まくるという作戦が出来ない。この日見た作品は、古い映画のアーカイブを再編集した短編と、かなり映像力のある長編だった。古い映画のアーカイブを再編集して新しい話を作る短編って、どの映画祭に行っても1本はあったりする。「映画史からの文脈を使い新しい話を再構築」みたいなのは、映画祭向きと言えばそうなんだろうが、目新しい表現にはならないし、手間がかかってないように見えてあんまり好きじゃない。長編の方は面白い撮影を試していたり、重厚かつ革新的で刺激的だったが、やはり実験的というのは見る方にかなりのストレスを与えながら上映することになる。自分の作品もまだまだ実験的で見る人にストレスを与えながら見せている自覚があるから「つまらない」などとバッサリ斬れない。

上映後、リド島からアパートのあるベネチア島に戻り夕飯。ベネチアに着いた日の夜と、次の日の昼飯以外はすべて自炊。これまでに作ったメニューは、牛タンの付け根の醤油焼き、皮付き豚肉とトリッパのトマトソース煮、ブタスペアリブの和風だし煮、小イカのガーリックマヨネーズ炒め、パンチェッタとガーリックのパスタ、ナスとズッキーニのパスタ、カリフラワーとインゲンのコンソメ茹で、などなど。こんなに本気出して料理をし続けている映画祭も初めてだ。キッチンが広く、食べる人数が多いから作りがいがある。そして、素材が良いのか、ほとんどが美味しくできる。後半戦は魚市場で魚介類を買って料理してみようと思う。

この日から三泊は映画祭から提供されたホテルに1人だけ泊まる。夕飯を食べたらまた船に乗ってリド島へ。とはいえ、ベネチアのアパートもリド島のホテルも、船の駅のすぐそばなので全然楽。ホテルの部屋は屋根裏部屋みたいに狭い部屋で薄暗く、夜遅く帰って朝早く出るという、よくわからない使い方になっている。

5日目

午前中から、帰国後にすぐ撮影が始まる仕事の演出コンテ作り。16:9の枠をプリントアウトした紙を日本から持ってきていたので、それにコンテを描いた。スキャナは持ってきてないので、描いた紙をデジカメで撮影して取り込み、PhotoshopとIllustratorでコンテ化。撮影技術的に少し複雑な内容なので、5時間ほどかかった。

夜9時半から見たい長編映画の上映があるので、夕方4時半ぐらいから夕飯。スモークサーモンや生ハムやコラーゲンの塊みたいなやつをつまみにし、あとはトリッパのトマトソースパスタ。

夜、リド島に渡り映画祭会場へ。早く行かないと見れないかも知れない!と思って行ったら誰も並んでなかった。作品によるんだなあ、などと隣のカフェで水を飲んでいたら、一気にぞろぞろと並び出すから気を抜けない。この日の上映はNicolas Provost監督の『The Invader』という作品。Nicolas監督とはベルリン映画祭でも同じで、サンダンス映画祭でも同じ部門だった。たぶん、クレルモンフェランでも同じだった気がする。今回は長編と短編の2本がオリゾンティ部門に選ばれている。極端な実験映画監督というイメージが強かったので、この上映も覚悟して見に行った。たぶん、95分間、難解な映像が続くんだろうと。しかし、冒頭のインパクトが凄く、一気に引き込まれ、最後まで見てしまった。しかも実験映画ではなく、きっちりとストーリーのある劇映画だった。そう来たか、と思った。長編で実験映画をやると、「保護という名の隔離部屋」みたいな扱われ方をしてしまいかねないのだが、Nicolas監督はメインストリームに向かって舵を切った感じ。短編から長編へどう移行するのか、自分と立ち位置の近い監督の行動にすごく興味がある。

この日も1人でリド島泊。

6日目

天気は雨。とはいえ活動しないわけにも行かないので、昼からベネチアビエンナーレを見に行った。と思ったら月曜日が定休日とのこと。むむむ!と思い、アパートに引き返し、ペペロンチーノを作った。塩加減を失敗し、しょっぱいペペロンチーノに。料理は「味が薄い」にはまだ救いはあるが「味が濃すぎる」は致命的だ。

夕方、園子温監督の『ヒミズ』を見に行った。基本的に関係者が多い上映回なのだが、かなり早い時間から行列していた。なんかもの凄い映画だった。最後、同じセリフを繰り返すのだが、上映後、そのセリフを繰り返している観客が何人もいた。

その後、久しぶりに岡本さんとお会いした。岡本さんは日本のインディーズ作品のディストリビューターとでも言うんだろうか。ニコラ監督の事も知っていて、長編映画を作る大変さを聞いたり、すごく参考になる話が聞けた。酔った勢いで「次は長編で三大映画祭を目指します」と言ってしまったが、言ってしまうと夢は叶うという法則があるから、恥ずかしげも無く言うようにしている。

時間が経つのが早すぎる。

7日目

昼からベネチアビエンナーレを見に行った。会場は借りているアパートからすぐ。数年前に一度見に来たことがあり、入り口に着いたら一気に思い出した。端っこの会場から順番に見ていった。会場が国別に別れているので、レベルの差が激しい。美大の卒業制作みたいなのもあれば、本当に驚くべきアート作品もある。気になったのは、現代美術の映像作品のクオリティが低いこと。学生の頃から思っていたんだけど未だに変わらず。クオリティというのは、コンセプトとかじゃなくて単純に技術的なクオリティとして。ビデオ片手に撮りっぱなしでそのまま展示してしまってるような感じ。しっかり撮影してないし、しっかり編集してないし、色味の調整すらしていない。「そういう加工はアートではない」っていう考えもあるんだろうが、ちゃんと仕上げた方がコンセプトが伝わる作品ですら手を抜いているから、その理由は理由にならないと思う。あとは「驚き」を含んでいない作品は、数十年遅れている気がした。作家の魂の叫びや現代の問題をザックリと乱雑に表現している方法は古い。昔はそれが「驚き」だったんだろうが、もうそういうのは見飽きた感がある。

面白かったのは、アメリカ、韓国、フランス、日本だった。日本の束芋さんのは頭でっかちなコンセプト倒れにならず、驚きもありすごく良かった。だいたい、日本人は日本人の作品を斜めから見てあらを探そうとするが、それでも良かった。映像だけを抜き出したら成立しない作品だなとあらためて思った。やっぱり束芋さんの映像作品は、インスタレーションとしての映像で、そこに面白さや強みがあるから。

10年ほど前、『PENIS』という作品を作り、京都造形芸術大学主催のコンペでグランプリをいただき、それがきっかけて、広告の仕事をしながらも短編映画を作るようになった。その時の審査員の1人に束芋さんがいて、その束芋さんがベネチアビエンナーレに選ばれた年に、自分はベネチア映画祭に選ばれたというのは、感慨深いものがある。

8日目

午前中からアミールナデリ監督の『CUT』を見に行った。本当は他の作品の上映だったのだが、急遽入れ替わりに。監督も来ていて軽く挨拶していた。人柄の良さそうな監督だった。『ヒミズ』でヤクザだったでんでんさんが、この作品でもヤクザだった。でんでんさんは、最高に良かった。本当に良かった。

さらに夕方から『迷子の鉄道音楽隊』の監督の新作を見に行った。前作がもの凄くデザインされた画面だっただけに期待も高まっていたが、割と普通な設定で淡々と描くもんだから、それほど良くなかった。カウリスマキの薄い感じってところか。

夜、水江さんと映画祭ビレッジで合流。軽く酒を飲んだ後、上映前の控え室に。そこにはこれから上映される自分たちのチームと長編のフランスチームしかいない場所で、スパークリングワインやら生ハムやらをいただいた。「ベネチア映画祭に来たんだなあ」と一番感慨深かった瞬間だった。上映時間が来て、短いけれどもレッドカーペットを歩き、レッドカーペットの途中で公式写真を撮られ、会場に入っていった。会場に入ると観客から拍手で迎えられる。関係者席に座り、上映が始まった。最近はふてぶてしくなってきたのか、作品の上映時にドキドキすることはなかったが、なぜか今回はドキドキした。確認すること無かったDCPもちゃんと出来ていた。音も大きすぎるぐらいに出してくれた。1つだけ不満があるとしたら、画面の外にイタリア語字幕が出ているのにもかかわらず、画面の中にも入っていた。たぶん、画面の中の字幕をオフし忘れたんだろう。でもまあいい。前の席に、審査委員長のジャジャンクー監督が座っていた。

上映後、興奮冷めやらぬままアパート近辺に戻ってきたが、どうでも良さそうな店しかやっておらず、そこにみんなで入ってしまったが、やはりどうでも良い味で、肩を落として帰った。なぜ、ワールドプレミアの後に、どうでもいい店に入ってしまったのか、関係者の証言と共に検証する必要があるだろう。

9日目

朝9時から『663114』の2回目の上映。昨日とはうって変わって、観客は少ない。関係者席も特にない。今回は昨日の字幕のミスが修正されていた。上映後にプレスカンファレンス。渡邊さんと飯嶋さんと共に会見場の舞台にあがり、質問に答えた。プレスの人が本当に少なかったので、あんまり演説みたいに話をするのもなんだなあと思い、簡潔に答えた。まさかオフィシャルにYoutubeでアップされるとは知らず。それ知ってたらもっと演説したのになあ。

これで公式行事はすべて終わり、気が楽になったと同時に、帰ってからの嵐のような仕事が現実に思えてきた。

夕方からシネマトゥデイの取材で中山さんとお話させていただいた。いろいろと思うところもあり、いろいろと話をしたが、記事に出来ない部分も多々あった。震災と原発事故をテーマに作品を作ったことに、自分の中でも総括できていないし、自分の中でもまさにいろいろ考えている最中。取材後も、いろんなお話をさせていただいてすごく楽しかった。中山さんはスッとこちらの懐に入ってくるので、本音がポロポロと出てしまう。さすがだなあと思った。

夜7時からオリゾンティだけのパーティ。パーティは通常キライなのだが、オリゾンティのパーティは良かった。音楽がガンガンかかっているわけでもなく、関係者が営業しまくってる訳でもなく、それぞれの作品の関係者達が楽しそうにその場にいてお酒を飲んでいた。ベルリンでもカンヌでも、いやな緊張感があったが、今回はなかった。なぜなのかわからないが「もっともっと自分をアピールしてっ!他の監督に負けないぐらい、自分をアピールしてっ!そしてチャンスを掴んでっ!」みたいな空気がゼロなのが本当に居心地いい。そういう個人的なアピールは本当にキライ。個人的に強靱だったら作品作ってねえよと。

夜9時から水江さんと塚本晋也監督の上映。水江さんの作品の上映後、客席から「ヒュ~!」が出た。気持ちの良いアニメーションだった。表現としては気持ちよく仕立てられているが、ひたすら作業をした事による「怨念」みたいなモノも感じた。作品ってそういう部分が大いにあると思う。塚本監督の作品も爆音ですごい作品だった。作品以上にすごかったのが、上映後の塚本監督を取り巻く環境。拍手は鳴りやまず、観客は監督を取り囲み、写真とサイン攻め。会場から出ても写真とサインと取材攻め。本当にベネチアに愛されてるんだなあと思った。正直、他の作品を見たときにも数分間の拍手は起きるのだが、それは儀式的なモノで、塚本監督の拍手は本当に心の底からの拍手だった。はたから見ていても震えた。あれは本当にすごい。

その後、近くの美味しいと言われるレストランに我々一行と水江さんと岡本さんと行き、祝杯をあげた。量は少なかったが美味しかった。水江さんとは最終目標は「タモリ倶楽部に出ること」という点で一致していた。水江さんは落語家にしか見えなかった。着物を着ていたというのもあるが、話し方やたたずまいが落語家っぽい。会話に入ってくるテンションがタモリ倶楽部っぽい。映画とは関係の無いくだらない話で盛り上がった。下ネタですが。

10日目以降

ちゃんと日記を付けていなかったので、十日目以降の具体的な内容を忘れた。自分の上映が終わるといつも映画祭自体が終わった気分になる。帰国後の仕事モードになってしまう。だから映画祭最終日の祭が終わる寂しさとか、感慨深いモノが全然ない。気持ちの切り替えが極端に早いが、それも善し悪しある気がする。「余韻に浸る」なんていう事がないから。逆に「浸る」精神性が弱いから、次へ次へというモチベーションにもなってるんだろう。

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