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平林勇の映画歴

このページは、私の映画歴を日本語でまとめたものになります。英語でまとめたものは別にあるんですが、単純なカタログのようなものなので、このページではもう少し制作エピソードや映画祭に行ったことなどを織り交ぜてまとめてあります。ここにある作品は全て「作品」として作ったものでして、商業的な意向が全く入ってないものだけになります。それぞれの作品紹介の一番最後に、実際に見ることが出来る作品のリンクを貼り付けてあります。


PENIS(2002年)

私が初めて自主映画として作った作品です。この頃は映画と思って作ってはいませんでした。後に「実験映画」というジャンルがあることを知り、私は実験映画を作っていたんだと知りました。30歳の時の作品なので、自主映画を作る年齢としては遅い方です。

結果的に実験映画になりましたが、私自身も自分に何が出来るのかの実験をしていた感覚があります。この作品は全て自分ひとりで作りました。カメラはSONYの3CCDのハンディカムだったと思います。miniDVですね。

テキストを「Text-to-Speech」というアプリに読ませて音声データ化して、ストーリーを語っています。たぶん私が人生で初めて書いたストーリーだと思います。私は基本的にビジュアルの人間だったので、言葉でのコミュニケーションにあまり興味がありませんでしたが、スラスラ書けたのを覚えています。

この作品は、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)が開催していた「21世紀アジアデザインコンペ」というコンクールでグランプリに選ばれました。グランプリの副賞として100万円とシンガポール旅行をもらい、翌年に大学構内での個展もやりました。その個展で上映した作品をまとめたものが、後に『TEXTISM』という作品になりました。

初めて作った作品が受賞したことで、私の人生は私が想定してたものと違った方向に進んで行くことになりました。いい意味で。

2014年に開催されたPFFのシンポジウムで、映画評論家のトニー・レインズさんにも取り上げて頂きました。

【映画祭】21世紀アジアデザインコンペ/グランプリ受賞(日本)・バンクーバー国際映画祭(カナダ)・ニッポンコネクション(ドイツ)


Cockroach (2002年)

この作品は『PENIS』という作品と同時期に作ったものになります。実はこの『Cockroach』と『PENIS』は、オフィス北野がやっていたスカパーの「北野チャンネル」というチャンネルが募集していたステーションID用として作った素材を再編集してストーリーを付けたものなんです。確か応募総数7本とかで、そのうちの4本を私が応募していた記憶があります。そのステーションIDを作ったのは1999年ぐらいだったかと思います。

その1999年当時は会社を辞めてヒマだったので、AfterEffectsの取扱説明書を頭から読んで作りました。AfterEffectsの取扱説明書を読み込んだことで、映像の基本を独学で学ぶことが出来ました。映像文法ではなく映像の基本ですね。1秒が29.97フレームとかNTSCが640×480pixelとか。すごい数のレイヤーになり、レンダリングに一晩かかったりもしていました。使っていたMacはPower Macintosh G3 (Blue & White)だった気がします。

【映画祭】ニッポンコネクション(ドイツ)


HELMUT(2003年)

初めてチームで作った作品です。その当時、CMディレクターとしていろいろな仕事をしていまして、その仕事仲間たちと作った作品です。企画をしたのは現・博報堂ケトルの社長である船木研さんです。船木くんは武蔵野美術大学の同級生で、この作品を作った当時も一緒にゲリラ的な仕事をいろいろしていました。

その当時、CMはまだまだ35mmフィルムで撮っている事が多く、制作会社の冷蔵庫には使い切れなかったフィルムがたくさん残っていまして、それをかき集めて撮りました。とは言え、実際には使い切れなかったフィルムを新規の仕事で使うのは怖いので、最終的には捨ててしまうことが多かったんですけどね。

このヘルメットを被っているHELMUT役は、今はCMディレクターをやっている月田茂さんです。音楽は河瀬直美監督作品の『萌の朱雀』をやっていた茂野雅道さんです。

日本の映画祭に出しても全く選ばれなかったので、初めて海外の映画祭に応募してみた作品でもあります。その当時は英語の応募要項を読むのも大変で、DVDに焼いて送っていました。釜山アジア短編映画祭(現・釜山国際短編映画祭)に選ばれたので、スタッフみんなで上映を見に行きました。上映された時、心臓が飛び出すんじゃないかと思うほどドキドキしたのを覚えています。それが初めて行った海外の映画祭です。

結果的にタイの映画祭でグランプリを受賞したり、世界最大の短編映画祭であるクレルモンフェラン国際短編映画祭で上映されたりと、私の海外志向が決定づけられた作品となりました。

当時の日記がこちらです。そのまま転載しています。

【映画祭】タイ短編映画祭(タイ)/グランプリ受賞・クレルモンフェラン国際短編映画祭(フランス)・ショートショートフィルムフェスティバル(日本)・釜山アジア短編映画祭(韓国)・ニッポンコネクション(ドイツ)・interfilm Berlin(ドイツ)・札幌国際短編映画祭(日本)


TEXTISM (2003年)

『PENIS』が「21世紀アジアデザインコンペ」でグランプリを受賞し、1年後に京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)でやった個展で上映した作品からセレクトして再構成した作品です。

「イメージフォーラム・フェスティバル」に応募したところ、最高賞である大賞を受賞しました。「イメージフォーラム・フェスティバル」は美大生だった頃から憧れの存在だったので、大賞を受賞した時は信じられませんでした。

この頃の私の本業はCMディレクターで、たくさんのCMを作っていましたが、そもそも私がなりたかったのは、クリエイティブディレクターやプランナーの様な直接的に自分では作らない職業だったんです。学生の頃から、自分には作家性など無いと思い込んでましたし、実際に広告の企画を考えることが大好きでした。でも、初めて作った『PENIS』やこの『TEXTISM』が評価された事で、私はコンセプトを作る人ではなく、ディティールを作る人なんだと思うようになって行きました。私の学生の時の親友が画家の石田徹也くんでして、作家性の塊みたいな人が隣にいたことで、自分に作家性があるとは思えなかったのかも知れません。

『TEXTISM』は評論家のトニー・レインズさんにも高く評価され、イギリスの「Sight and Sound誌」がやっているオールタイム・ベストの1本にも選んで頂きました。オールタイム・ベストというのは、世界中の監督や評論家が映画史の中から10本選んで投票するものです。

【映画祭】イメージフォーラム・フェスティバル(日本)/大賞受賞・ロンドン映画祭(イギリス)・バンクーバー国際映画祭(カナダ)・香港国際映画祭(中国)・メルボルン国際映画祭(オーストラリア)・コーク映画祭(アイルランド)・ニッポンコネクション(ドイツ)etc.


VS(2004年)

『VS』というのはVegetable Soulの頭文字を取ったものです。邪険に扱われたキャベツが復讐するというホラー映画です。ホラー映画のつもりで作ったんですが、キャベツが復讐するというコンセプトにコメディ的な要素があるので、結果的にホラーコメディの様な作品になっています。いや、コメディじゃないんですけどね。

ショートショートフィルムフェスティバルの会場で、主催者の別所哲也さんから紹介された野島直人さんと意気投合して作った作品です。野島さんとはその後もたくさんの作品を一緒に作りました。

SONYのハンディカムで撮ったと思います。まだまだ一眼レフで動画が撮れる時代になる前ですね。プロとアマチュアの撮る映像クオリティの差が大きかった時代です。この頃、仕事では何千万円もかけて35mmフィルムで撮影をし、自主映画ではminiDVのハンディカムで撮るという極端な差がありました。

【映画祭】ショートショートフィルムフェスティバル&アジア(日本)/奨励賞受賞


自然との対話(2005年)

野島直人さんと作った2本目の作品です。本当に2人きりで作った作品でした。撮影場所は私の家の前の公園です。この作品は私のフィルモグラフィーの中でも、一番お金をかけずに一番簡素に作った作品です。撮影も2時間ぐらいで終わったと思います。

テキストを画面に入れ込む表現は、その頃の私の定番の表現方法でした。テキストを画面に入れてしまうと、音声をシビアに録る必要がなく、確実に伝えたいことが伝わり、効率的でもありました。仕事がメチャクチャ忙しくて、その合間に作らなければなりませんでしたので。デメリットは、映像文法をかなり放棄しているので「映画」と見なされない事でしょうか。どうしても「実験映像」という見られ方をしてしまいます。

【映画祭】ショートショートフィルムフェスティバル&アジア(日本)


ドロン(2006年)

これも野島直人さんと作った作品です。実は俳優にセリフを言ってもらった初めての作品です。『ドロン』以前の作品は、合成の音声だったりそもそもセリフがない作品ばかりだったんです。実は映像作品というのは、音声クオリティの印象にすごく引っ張られるので、音声がダメだといくら映像が良くてもダメな作品に見えてしまうんです。この作品ではプロの音声の方に入ってもらい、録音からミックスまで仕上げてもらいました。映像は相変わらずハンディカムなのにです。

CM制作会社のパラダイスカフェの地下で撮影しました。その頃の私はパラダイスカフェと仕事をすることが多かったので、『HELMUT』も『VS』もパラダイスカフェの人たちと作ってます。作品の中に出てくる女性のアシスタントは映画やドラマの演出をやっている松本佳奈監督です。あと、レスリングの金メダリストの小林孝至さんも出ています。

この作品が完成した時、編集室でプレビューしながら「遂に大失敗をしてしまった…」と思ったことを覚えています。私が得意なのは実験映画的なフォーマットで、セリフがある一般的なドラマの作り方は全然ダメだと思いました。もちろんその事は誰にも言いませんでしたけど、沢山の人を巻き込んで作ったことに対して、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

しかしです。海外の映画祭に応募すると次から次へと決まって行きました。最終的にはグランプリ3つを含む5つの海外映画祭で受賞したんです。そこで私が学んだのは、自分が作った作品の評価を自分でしてはいけないという事でした。この作品以降、あまり客観視せずに自分が作りたい作品を作るという意識が強くなりました。

釜山アジア短編映画祭では、受賞した副賞として35mmフィルムを大量にもらいました。そしてそのフィルムを使うために、次の作品の企画が始まりました。負の連鎖の逆、「正の連鎖」ですね。

『ドロン』がグランプリを受賞したグラナダ国際短編映画祭に参加した日記がこちらです。そのまま転載しています。

この年、ここまで作ってきた短編映画がドイツの「ニッポン・コネクション」という映画祭で平林勇特集として上映されました。その日記がこちらです。そのまま転載しています。

【映画祭】グラナダ国際短編映画祭(スペイン)/グランプリ受賞・釜山アジア短編映画祭(韓国)/グランプリ受賞・トロントジャパニーズ短編映画祭(カナダ)/グランプリ受賞・Lyon Asian Film Festival(フランス)/2nd Public Award受賞・Best of Short Films Festival(フランス)/Mer de Bronze Award受賞・クレルモンフェラン国際短編映画祭(フランス)・ニッポンコネクション(ドイツ)・コーク映画祭(アイルランド)・Leeds International Film Festival(イギリス)・Fribourg International Film Festival(スイス)・Zimbabwe International Film Festival(ジンバブエ)etc.

十七個の空間と一匹のウジ虫で構成された作品(2007年)

『ドロン』が釜山アジア短編映画祭でグランプリを受賞し、その副賞でもらった35mmフィルムで作った作品が、『十七個の空間と一匹のウジ虫で構成された作品』です。ウジ虫を主役にアート作品を作りたいとずっと思っていたので、私の念願が叶った作品です。本当にこの作品を作り終えた時に、「もうこれで思い残すことはない。これ以上作品が作れなくても悔いはない。」と思ったのを覚えています。そのぐらい当時の私がやりたかった事の全てが詰まっている作品です。作品のコンセプトや構成、美術、音楽、タイトル、すべて含めて私が作りたい「作品」の完成形です。

ドイツのニッポンコネクションで出会った作曲家の渡邊崇さんと一緒に作るようになった1本目の作品です。このあと、私の作品は全て渡邊さんが作曲しています。

撮影直後の記念写真

【映画祭】25FPS(クロアチア)/オーディエンスアワード受賞


BABIN(2008年)

VIPO(映像産業振興機構)の「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」で作った作品になります。今でこそndjcの制作ルールは厳格になってるでしょうが、私が参加した当時はまだ手探り感があった時期で、割と好き勝手に作ってしまった作品です。ndjcの売りは「35mmフィルムで作品が作れる」という事だったんですが、私はCMの仕事でも当たり前のように35mmフィルムで撮っていたのでそこに新しさを感じることが出来ず、全素材をスキャンしてデジタルで編集し完成させました。翌年からデジタイズが禁止になったそうなので、私のせいかも知れません。

堀部圭亮さんと一緒に作った作品の1本目になります。堀部さんとはこのあと何本も一緒に作品を作ることになります。

『BABIN』はロカルノ国際映画祭の短編部門に選ばれました。ロカルノ国際映画祭の短編部門に選ばれた日本で最初の作品なんだそうです。この作品で初めて世界トップクラスの映画祭に選ばれました。それまで夢物語だった世界が一気に現実になりました。私のマインドセットが大きく変わったのを覚えています。自分がやっていることは間違ってないんだと自信を深めた瞬間です。今となっては、間違ってなかったのか間違ってたのか分かりませんけど(笑)。『BABIN』は公式審査員による3番目の賞と、ヤング審査員による1番目の賞の2つを受賞しました。

ロカルノには音楽の渡邊さんや堀部さんも行きました。とてつもなく大きな映画祭で驚きました。ピアッツァグランデという屋外のメイン会場では夜中まで映画をやっているんです。季節もよく映画好きにはたまらない映画祭だと思います。当時書いた日記を編集せずにそのままnoteに載せています。

撮影直後の記念写真

当時作った『BABIN』のメイキング映像です。

【映画祭】ロカルノ国際映画祭(スイス)/Prix Film und Video Untertitelung受賞賞/Prix Cinema E Gioventu受賞・クレルモンフェラン国際短編映画祭(フランス)・ロンドン映画祭(イギリス)・バンクーバー国際映画祭(カナダ)・コーク映画祭(アイルランド)etc.

作品はNetflixの『ndjc 若手映画作家育成プロジェクト』の「コレクション2」の中で見ることが出来ます。

aramaki(2009年)

『BABIN』で勢いに乗って作った作品が『aramaki』という作品です。『BABIN』と同じく当時のパラダイスカフェの小田宮さんにプロデューサーをやってもらって作った作品です。堀部圭亮さんに出てもらい、スタッフも『BABIN』とほとんど同じです。実はロケ地も同じなんですけどね。

26分ワンカットの作品です。『十七個の空間と一匹のウジ虫で構成された作品』、『BABIN』に続き小川ミキさんに撮影をお願いしています。カメラはREDを使い4Kで撮影しました。4Kの撮影素材があるので、4Kバージョンをこれから作ることも出来ます。編集ではカラーグレーディングしかしてませんので。

堀部さんが劇中で着る毛皮の衣装や、変なイラストが書かれたTシャツは米澤美奈さんに手伝ってもらいながら私が作りました。爪なんかは硬化する粘土を使っています。川の中でグシャグシャになるストーリーなので一発勝負の緊張感がありました。私の中では3テイクぐらいやるかも知れないという心づもりでいたんですが、1テイク目で十分に良いものが撮れました。念の為REDのデータをパソコンに取り込んで確認してOKにしました。

『aramaki』は私が作った作品が初めて世界三大映画祭に行った作品です。ベルリン国際映画祭から来たメールを見た時の衝撃と喜びは今でも覚えています。その日は早朝からロケだったんですが、早朝からみんなに電話やメールをしました。

ベルリン国際映画祭にはスタッフみんなで行きました。ロカルノ国際映画祭とはまた違った巨大な映画祭でした。その時に短編部門の金熊賞を受賞したのが、後に『ザ・スクエア 思いやりの聖域』と『逆転のトライアングル』でカンヌ国際映画祭で2回もパルムドールを受賞するリューベン・オストルンド監督でした。

ある日、ホテルのドアに在ベルリン日本大使館からの手紙が入っていました。その年にベルリン国際映画祭に選ばれた関係者を招待してパーティみたいなものを開催するとのことでした。そこには山田洋次監督、吉永小百合さん、若松孝二監督、堺雅人さん、ヤン・ヨンヒ監督、細田守監督、などなど凄い方々がいました。サーモンとマグロの握り寿司を食べた記憶があります。

なんと、『aramaki』の次に作る『Shikasha』の撮影を済ませてからベルリンに行きました。その頃、もの凄いペースで作ってたんです。当時書いた日記を編集せずにそのままnoteに載せています。

北海道の木彫りの鮭を金色に塗って持っていくという、メチャクチャな事をしていましたね。
写真は作曲の渡邊崇さんです。山田洋次監督の写真の前で。

【映画祭】ベルリン国際映画祭(ドイツ)・バンクーバー国際映画祭(カナダ)・イメージフォーラム・フェスティバル(日本)


Shikasha(2010年)

怒涛の勢いで作ったのが『Shikasha』という作品です。ロカルノ国際映画祭、ベルリン国際映画祭と来て、「次はカンヌに行こう!」という掛け声で作った作品でしたが、本当にカンヌ映画祭に選ばれてしまいました。正確にはカンヌ映画祭の監督週間という部門になります。カンヌ映画祭本体では無いのですが、カンヌ映画祭、監督週間、批評家週間、ACIDの4つに選ばれたら「カンヌ映画祭に行った」と言えるようです。

この時の私は「自分が作ったものは絶対に世界的な評価を得る」という自信に満ち溢れていましたね。そういう気持ちって作品にも出るんだと思います。何に日和ることもなく全力投球して作ってました。「これを見てくれ!」って感じですね。「観客に意味が伝わるだろうか?」みたいな迷いが無いですね。これが若さなんだと思います。

これは千葉県の採石場で撮影しました。堀部圭亮さんや野島直人さんに出演してもらい、その他大勢の捜査員役はスタッフだったり私の知人だったりします。箱の中に入っているのは尾野真千子さんです。尾野真千子さんに出てもらうために手紙を書きました。セリフもなくあまりにもコンセプチュアルな作品なので、コンテを送っただけでは意図が伝わらないと思ったからです。

私はカンヌ映画祭には行ったんですが、私の第二子が産まれそうなタイミングだったので、上映に立ち会うこと無く帰りました。上映日が直前まで分からなかったので、ここまでなら行けると勘でスケジュールを組んだのですが、見事に上映日が外れていたんです。監督週間のスタッフにその旨を伝えたら「子供が生まれる時に帰るのは当たり前だ。問題ない。」と言ってくれました。

『Shikasha』はサンダンス映画祭でも上映されました。もちろんサンダンス映画祭にも行ってきました。アメリカのユタ州のパークシティという場所で開催されてるんですけど、2000メートル以上の高地ということもあり、歩いてるだけで息切れする場所で驚きました。

監督週間とサンダンス映画祭ともに、当時の日記をそのままnoteに載せています。

短編映画にしてはかなり大掛かりな撮影。


5+Camera(2010年)

2010年の1月にベルリン国際映画祭に行き、5月にカンヌ国際映画祭に行き、三大映画祭のもう一つのベネチア国際映画祭を目指して作ったのが『5+Camera』です。私たちは1年のうちに三大映画祭の全てに行くことを、勝手に「グランドスラム」と呼んでいました。結果的にグランドスラムは達成できませんでしたが、本当にワクワクしていた時代です。

たくさんの女優の方々と作品を作るのも初めてでした。お金もかけて本当に手間暇かけて作った作品でしたが、私がハッとした作品でもあります。この作品までは作れば必ず評価をされて来たので、慢心していたという思いもあります。この作品で初めて映画祭を意識してしまったんです。絶対にベネチア国際映画祭に行きたいという思いが強すぎたのかも知れません。「こんな感じじゃないかな?」と自分でも確信を持てないところで作品を仕上げてしまいました。そういう意味でも、私にとってとても大事な作品です。この作品以降、とても厳しく自分を見るようになりました。

【映画祭】グアム国際映画祭(グアム)・Festival du Nouveau Cinema - Montreal(カナダ)


663114(2011年)

2011年の3月11日に東日本大震災が起きました。その直後に作った作品です。震災が起きていろいろな仕事が止まりました。そうこうしているうちに原発が水蒸気爆発したので、まだ子供が小さかった事もあり、家族を連れて兵庫県の妻の実家に避難しました。避難している時、何気なくメモ帳に絵を描いていたところ、この作品を作ろうという衝動が起きました。絶対に今すぐ作らなければダメだと思い、東京に戻り毎日この作品ばかり作っていました。セミの幼虫のパーツの絵を描き、AfterEffectsで細かいアニメーションを付けていく作業です。久しぶりに制作会社も入らずに、個人的に作った作品でした。完成に向けて作っていたところ、急げばベネチア国際映画祭の締切に間に合うと思い、ペースを上げて応募にこぎつけました。2ヶ月ぐらいで完成させました。仕事もなく、毎日この作品ばかり作っていたので間に合ったんだと思います。

避難している時、昼間からビール飲んで構想を練ってました。

そして、ベネチア国際映画祭のラインナップが発表される前日の夜に電話がかかって来ました。通常、作品が映画祭に選ばれると、発表の1ヶ月前ぐらいまでには連絡が来ます。それを知っていたのでもう落選したと思っていました。でも、電話がかかって来て明日発表だからと、急いで誓約書みたいなのを書いて送った気がします。英語じゃ分からないからメールで送ってくれと言っても、そんな悠長なことを言っていられないと言われ、ベルリンで知り合った谷元さんに電話してもらい、詳細を聞いてもらいました。後にも先にもそんな風に映画祭に決まったのは他にありません。

それと同時に遂に三大映画祭の全部で作品が上映されることにもなったんです。その時「願いは叶う」と本気で思いました。

もちろんベネチアにも行きまして、音楽の渡邊さんたちと一緒にアパートを借りて滞在しました。毎日船に乗って映画祭会場に行って映画を見るんです。そして空いた時間には、ベネチア・ビエンナーレを見に行くんです。最高な日々でした。でも、『663114』の上映はかなり残念な感じでした。この作品は英語の文字を読ませる作品なのでしょうがないんですが、イタリア語の字幕がどうでもいいフォントで、でっかく入っていました。その時の様子がこちらの日記になります。

そして、その年の秋にはベルリン国際映画祭の方からエントリーのオファーが来ました。映画祭からのオファーは普通にあるので特に期待することもなくエントリーしたら上映が決まりました。そして何と受賞までしてしまいました。残念なことにその時の私は過労死寸前で倒れていて、ベルリンにも行っていませんでした。同じ時期に毎日映画コンクールの大藤信郎賞も受賞しました。もちろん過労死寸前で倒れていたのでその授賞式にも参加していません。こういう運命って何なんでしょうね。

最終的に『663114』は数え切れないほどの映画祭で上映されました。私の代表作と言ってもいいのかも知れません。ですが、この作品は原発を批判するような内容なので、いまだに日本語版をネット上にはアップしていません。原発の賛否は別にして、そういう活動に使われるのが嫌だからです。政治的なメッセージを言いたい作品ではなく、その時にどういう思いだったかを後世に残したい作品だからです。

【映画祭】ベルリン国際映画祭(ドイツ)/Generation14+部門 SpecialMention授与・毎日映画コンクール(日本)/大藤信郎賞受賞・Fantouche International Animation Festival Baden(スイス)/Best Sound Award受賞・ベネチア国際映画祭(イタリア)・サンダンス映画祭(アメリカ)・クレルモンフェラン国際短編映画祭(フランス)・SXSW(アメリカ)・パームスプリング国際短編映画祭(アメリカ)・サンフランシスコ国際映画祭(アメリカ)・タンペレ映画祭(フィンランド)・サラエボ映画祭(ボスニア・ヘルツェゴビナ)・シュツットガルト国際アニメーション映画祭(ドイツ)・ザグレブ国際アニメーション映画祭(クロアチア)・広島国際アニメーション映画祭(日本)etc.


Matou(2011年)

仙台短篇映画祭からの依頼で3分11秒の作品としてこの『Matou』を作りました。『5+Camera』にも出てもらった野本かりあさんに出てもらいました。セリフの無い作品で人生の無常さを表現しました。いまだに世界中の映画祭から上映のオファーがあるのがこの作品です。短編ならではのキレ味とセリフが無くても分かる構成だからだと思います。

【映画祭】札幌国際短編映画祭(日本)/最優秀ミニショート賞受賞/最優秀エクスペリメンタルショート賞受賞・仙台短篇映画祭(日本)


NINJA & SOLDIER(2012年)

少年兵をテーマにした短編アニメーションです。少年兵問題に取り組んでいるNPOの「テラ・ルネッサンス」の鬼丸昌也さんから実際のお話を聞いて作った作品です。『Matou』から続けて4作品をブラボーフィルムさんと一緒に作りました。私が短編作品を作る時、その頃に一緒に仕事をやっている方々と作ることが多いです。特に同時に何本も一緒に仕事をやっている人たちとは、「作品を作りましょうよ」という話になりやすいんですよね。

私はこの頃、ブラボーフィルムの袋社長と一緒に、映画の社会貢献について考えていました。この『NINJA & SOLDIER』は社会性と芸術性が上手く融合出来た作品だと思っています。難しかったのは、少年兵問題を日本人の私が作るところでした。遠くの国の重大な人権問題を、安全な場所にいながら語るスタンスに悩みました。

映画祭に選ばれたいという欲求が強ければ強いほど、世界で起きている重大なテーマを扱った方が選ばれる確率は上がるはずなんです。でも、そのために日本という安全圏にいながらキレイごとを言う作品は作りたくなかったんです。私が徐々に社会問題をテーマにしなくなって行くのは、そういう葛藤があったからです。

一方で、単なるアート作品やメッセージ性の無い作品を作っていると、フックが無くなるので映画祭に選ばれなくなります。「新しい表現を追求したアート作品」と「紛争で親を失った難民の兄弟の話」が並べられた時、「意義」を考えれば間違いなく後者が選ばれるんです。そして、そうあるべきだろうとも思うんです。映画監督の葛藤には「商業映画か芸術映画か」という葛藤がありますが、「社会派映画か芸術映画か」という葛藤もあるんです。

『NINJA & SOLDIER』はベルリン国際映画祭に選ばれたので、息子を連れて行きました。時差ボケで昼間に息子が寝ちゃうので、おんぶして移動するのが大変でした。

息子が5歳。小学校に上がる直前。

【映画祭】ベルリン国際映画祭(ドイツ)Generation14+部門・ジッフォーに映画祭(イタリア)・BUSTER Copenhagen International Film Festival for Children and Youth(デンマーク)etc.


SOLITON(2013年)

足元だけを映したワンカットの短編映画です。完全に実験映画の作り方なのですが、ベルリン国際映画祭のGeneration部門に選ばれました。Generation部門というのは子供映画部門になります。ベルリン国際映画祭のGeneration部門に選ばれるのは、この作品で3本目になります。

これは軍隊の存在意義をテーマにした作品です。三浦半島の先にある城ヶ島で撮影しました。みんなで瓦礫を運んだんですが、それが本当に大変でした。

畳を運ぶ後藤さん

【映画祭】ベルリン国際映画祭(ドイツ)Generation14+部門・バンクーバー国際映画祭(カナダ)・グアナファト国際映画祭(メキシコ)


Keshinomi(2014年)

吹雪の中で撮影した作品です。命をテーマにしていて、私が作った作品の中でも一番重たい作品です。撮影当日、ロケバスのエンジンが凍ってしまい、ホテルのバスを借りて吹雪の中を進んで行きました。外で弁当を食べていると10分で弁当が凍ってしまいましたね。

1本の短編の中で2つの物語が進んでいくんですが、このストイックな佇まいはすごく好きな感じでもあります。2002年の『PENIS』からこの『Keshinomi』までの12年間は迷いなく作っていましたね。自分が絶対に正しいと思って作っていました。

一方で、自分の考え方がストイック過ぎて、柔軟性が無くなってきている気もしていました。自分の方法論の牢獄から出られない感じと言いますか。「こうでなければいけない」という思いがすごく強かったんです。そうやって12年間作り続けてきて、ずっと何らかの結果が出ていたから頑固になって行ったんだと思います。

【映画祭】ショートショートフィルムフェスティバル&アジア(日本)・SKIPシティ国際Dシネマ映画祭(日本)


OCTOPUS (2015年)

『Keshinomi』で本当に重たい作品を作った反動なのか、テーマもコンセプトもメタファーも無い作品を作りたくなって作ったのが『OCTOPUS』です。テーマが無いばかりか、くだらなさも突き詰めています。コメディエンヌとしての東加奈子さんは最高なんです。東さんの笑いに対する感覚は相当高いです。DASHの勝俣さんと初めて作った短編映画でもあります。

私はこの作品を作り終えてから、1人で100回以上見たと思います。自分で見てもメチャクチャ面白いからです。それまで作っていた作風とあまりにも違っているので、「同姓同名の平林勇という監督が作っていると思った」と映画祭の方に言われました。この作品を作ってから、「OCTOPUSみたいな作品を作って下さいよ。」と言われることも増えました。

私の本質はストイックでアーティスティックではなく、冷めていてちょっと毒のあるコメディ風作品なのかも知れません。

台湾の高雄映画祭で上映されることになり、東さんをはじめみんなで見に行きました。旅行としてもすごく楽しい旅でした。

こんな楽しそうな写真、普通ありますかね。

【映画祭】ショートショートフィルムフェスティバル&アジア(日本)・札幌国際短編映画祭(日本)・高雄映画祭(台湾)・バンクーバー国際映画祭(カナダ)・Erie International Film Festival(アメリカ)・Great Lakes International Shorts Festival(アメリカ)・Kiwi International Film Festival(ニュージーランド)・Catharsis International Film Festival(ベルギー)


Heaven(2016年)

いろいろなところで撮りためた生物の映像で構成した作品です。明らかに短編映画づくりに行き詰まっていた時期ですし、仕事がメチャクチャ忙しかったんです。「1年に必ず1本作る」というノルマがあったから作った作品とも言えます。Black Magic Pocket Cinema CameraというマイクロフォーサーズセンサーでRAWが撮れるカメラを買って、面白くていろいろな生物を撮っていた時期でもあります。

世界が広いと思うのは、こういう作品でも上映しようと思う映画祭がいくつもあることです。「こんな変な作品作ったら映画祭で上映されないんじゃないか?」ではないんです。既視感が無ければ無いほど、映画祭では上映されるんです。

【映画祭】バンクーバー国際映画祭(カナダ)・イメージフォーラム・フェスティバル(日本)・Media Art Biennale WRO(ポーランド)・L’Alternativa, Barcelona Independent Film Festival(スペイン)・Imagine Science Film Festival(アメリカ)・/slash Film Festival(オーストリア)


Mountain(2017年)

お腹が大きかった東加奈子さんと一緒に作った作品です。絵本のような作品を目指して作りました。しかし、私が普通に作るとやっぱり「奇作」とか「怪作」みたいになってしまうようです。私にとってはメチャクチャ大好きな世界観ではあるのですが。

【映画祭】ニッポンコネクション(ドイツ)・ジャパンカッツ(アメリカ)・LABOCINE(アメリカ)


Shell and Joint(2019年)

初めて作った長編映画です。この頃、短編映画づくりに迷いを感じていたので、プロデューサーの伊東さんから作品作りの提案があった時、「長編映画にしましょう」と言いました。

この『Shell and Joint』を作ることをキッカケに、本格的にnoteを書くようになりましたので、『Shell and Joint』についてはものすごくたくさんの事を書いています。モスクワ国際映画祭から始まった映画祭日記についても全て書いてあります。

『Shell and Joint』は2020年の3月に、2週間の予定で新宿シネマートで上映予定だったんですが、上映開始1週間で東京都がコロナ対策として映画館を閉めてしまったので、1週間で打ち切られてしまいました。その頃はコロナの正体も分かっておらず、集客するのも不謹慎みたいな空気もありました。2022年の年初にイメージフォーラムでの上映もしたんですが、そこでもまたコロナの感染者が増えている時で、思い切り集客出来る様な状態ではありませんでした。

それでも私がやりたかったことを全部詰めた映画になったので、作家としての私は大満足です。尽力して頂いたプロデューサーをはじめスタッフやキャストの方々には、映画がヒットしてもう少し貢献出来たら良かったのですが。

いや、ヒットするような映画ではないんですけどね。「どうしたら客が入るか?」という視点はゼロで作ってますので。でも、集客を念頭に置いて企画を立てていたら、全然違う映画になったことでしょう。重ね重ねプロデューサーの皆さんには申し訳ないと思いますが、私がやりたいことだけを100%やり切った映画です。

【映画祭】ロッテルダム国際映画祭(オランダ)・モスクワ国際映画祭(ロシア)・スラムダンス映画祭(アメリカ)・ヨーテボリ映画祭(スェーデン)・ニューホライズン国際映画祭(ポーランド)・ニッポンコネクション(ドイツ)・ジャパンカッツ(アメリカ)・Festival du Nouveau Cinema(カナダ)etc.

『SHELL and JOINT』はvimeoで500円でレンタルしています。

6 LEGS(2020年)

MEGUMIさんと堀部圭亮さんと「カンヌに行こう!」という掛け声とともに作ったのが『6 LEGS』です。カンヌ映画祭からは20〜30本まで残って落選したとの連絡をもらい、監督週間は最後まで残ったけど映画祭自体がコロナで中止になったとの連絡をもらいました。スッパリ落ちた時はそんな事も言ってもらえないので、ある程度真実味のある話なんだと思っています。

MEGUMIさんが長台詞を言うシーンがあるんですが、そこがメチャクチャ好きで何度も見てしまいます。この作品はポピュリズムをテーマにしています。突然戦争が起こることは物語の中の話ではなく、現実に起こりうる事だと今のウクライナを見ていて思います。『6 LEGS』では自国の事を描いていますが、他国に侵略されるなんてことが21世紀に起きました。平和を手に入れ続けるためにはあらゆる面での不断の努力が必要なんだと思いました。単純な話では無いんでしょうけど。

軍人役はスタッフがやっています。動きのリハーサルをした時に、プロデューサーの勝俣さんの動きだけ可愛かったので外れてもらいました。後から見た時に「私だけ動きが変」とショックを与えないための気遣いだったのですよ。

勝俣さんと大藏くん

【映画祭】PÖFF Shorts(エストニア)・ショートショートフィルムフェスティバル&アジア(日本)・札幌国際短編映画祭(日本)


Shirataki(2021年)

パップコーンとダッシュの共同プロジェクト「ぱっぷこーんと」から生まれた短編映画が『Shirataki』です。『OCTOPUS』以来のメッセージ性の無い作品です。実はメッセージ性を無くすって難しいんです。観客は勝手に頭の中で解釈してメッセージを生成してしまいますから。たぶん、スタッフもキャストも誰一人としてこの作品の意味が分からずに作っていたと思います。なぜなら、私も分かってないからです。掛け声としては「お笑いとアートの融合」でしたが。

パップコーンの3人はみなさん芸達者なので、もっと映画やドラマに出たらいいんですけどね。すごくいい佇まいをしています。

そしてまたこういう作品を選んでくれる映画祭が世の中に存在するんです。それが札幌国際短編映画祭でした。私がずっとお世話になっている映画祭でもあります。しかもコンペ部門でした。私は映画祭が間違えてメールを送ってしまったとずっと思っていました。いつ訂正のメールが来るかと戦々恐々と待ち構えていたんですが。

コロナ禍を経て、久しぶりにリアルな映画祭に参加しました。映画祭で審査員で来ていた石川慶監督とも話したりしているうちに、何となく悶々としていた私の心が吹っ切れた瞬間でもありました。その時の日記も書いています。

【映画祭】札幌国際短編映画祭(日本)


この後も、新しい作品を更新していく予定ですし、このページを一気に作ったので作品によっては足りてない部分もありますので、その部分も随時更新して行く予定です。

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