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特に変わったことも無い日々

ここのところ、ビックリするぐらい、特に変わったことも無い日々です。

ToDoリストが、増えたり減ったり増えたり減ったりしているうちに、一ヶ月ぐらいはあっと言う間に過ぎていきます。地味に忙しいとも言えます。何か大きな仕事に取り組んでいる訳でもなく、川で砂金を採っているような感じですかね。案外この砂金採りが忙しいんですよ。

ここのところ、また新型コロナウイルスの感染者が増えて来たというニュースを見ます。恐怖というよりも、鬱陶しいという気持ちになります。東京の一日の感染者が500人とか800人とかになったら、またステイホームとかになって、いろんな撮影スケジュールなんかもズレるんでしょうね。しかしまあなんとも。自然現象だと思うしか無いんですけどね。

新型コロナウイルスが広まってから、英語の教室に行ってませんでした。ウイルスが怖くて行かなかったというよりも、それまでのリズムが崩れちゃったからなんです。生活リズムって一度狂うと、元に戻すのは大変です。物理的なことや時間的なことではなくて、気持ちの問題ですね。それでも英語の勉強自体は細々とですが毎日続けていました。

ここのところ、やっと英語の教室に行くのも再開しました。7ヶ月ぶりぐらいでしょうか。私は英語の教室で全てを教えてもらおうとして行っている訳ではなく、どちらかというと刺激をもらいに行く感じですね。消えそうになった焚き火に薪をくべてもらいに行くと言いますか。そうやって、英語の勉強という火が消えないようにしてもらっています。

7ヶ月ぶりでもやっぱり行くと刺激を受けますね。自主勉強の量もグッと増えました。しかしまだまだ、言いたいことも言えません。まあ、このままやり続けたら、確実に喋れるようになるだろうという感触はあるので楽しくもあります。

そして、再開したと言えば、映画制作の方も再開しました。自粛期間に1本ぐらい作ろうと思ってたんですけど、結局作れませんでした。作ろうと思っていたのは短編映画だったんですけど、どうしても作る気にならなかったんですよね。

でもあとから振り返って、「新型コロナで世の中がひっくり返っていた時代に作られた作品はこれです。」と言って紹介されるのは、この期間に作られた映画なんです。作られた作品が、ある種の歴史を作っていきますから、絶対に作るべきなんです。「作ろうとしていた」などという意思なんかでは歴史は作られません。カタチになったものが歴史をつくるんです。

映画制作を再開したと書きましたが、企画書を作り始めたという段階ですね。富士登山で言うと、小田原の海岸から歩き始めた感じです。

私が作ろうとしている映画は、友人の画家である石田徹也くんの映画です。ずっと作りたいと思っていて、断片的にシーンを考えたり、大きなストーリーや構成も考えていたんですが、実際に映画としてカタチにする前提の、出資者に見せてお金を集めるための企画書を作り始めたんです。

石田徹也という画家の存在そのものに強いチカラがあるので、映画にしたいと思うのも分かるのですが、私の場合は使命感みたいなものがあります。彼が亡くなる1年ぐらい前に、一緒に展覧会をやろうと話していました。石田くんに絵を描いてもらって、それをアニメーションにしても面白いねなどとも話していました。

石田くんは私の作品としては『TEXTISM』という作品しか見たことがありません。イメージフォーラムに観に行ってくれて、「いいじゃん(ニヤリ)」という反応でした。その後に、一緒に展覧会をやろうという話をしていたんです。

でも彼が2005年に亡くなってしまったので、その約束も果たすことが出来ませんでした。でも、私が石田くんの映画を作ればいいんです。そうすればコラボしたことになりますから。そして、私が作らなくてどうするという使命感が強いです。これを作らなきゃ死ねないよ、とすら思ってます。

石田くんが亡くなった後、私は短編映画で世界を目指し、石田くんの絵も海外に渡っていきました。石田くんの絵が加速度的に評価され、今では雲の上の人になってしまいましたけどね。

そういえば今日、息子が美術の教科書を持ってきて「これって、父ちゃんの友達なんだよね?」と言うので見てみたら、一番大きいサイズでバーンと教科書に載っていました。何なんだ。

年内に企画書を作って、勝俣さんに見せて、来年からガッツリ動く予定です。またちょっと変わった映画になるんでしょうけどね。平凡な映画を作ったら、あの世で合わせる顔が無いですから。

とまあ、最近はそんな日々です。

あ、最近ちょっと思うことがあるんですけど、「何かになる」みたいなのは幻想だなと思うんです。幸せになる、金持ちになる、監督になる、役者になる、などなど。「なる」というよりも、その状態をいかに維持するかが重要なんじゃないかと思うんです。「なる」じゃなくて「いる」と言いますか。

幸せでいる、金持ちでいる、監督でいる、役者でいる、などなど。そして、「なる」よりも「いる」がどれほど大変なことか。「なる」があるとしたら死ぬ時なんでしょうね。厳密には「なった」になるんでしょうけど。

あ〜、このnoteぐらいの事を、英語でスラスラ喋れるようになりたいな〜



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