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2019年は恋愛映画をつくる?

2018年も終わり2019年になりました。

今年も何らかの映画を作りたいと思っています。私の中にはやってみたい事がたくさんあります。『Shell and Joint』を見た知人が「平林さん、あの映画でもうやりたい事をやり切ったから、もう作るものないですよね?」などと言いますが、全然そんな事はないのです。

相変わらず、ちょっと「解りづらい作品」も作りたいとも思ってます。わざわざ解りづらい作品を作ってるつもりはなく、私が作る作品が、見る人にとってちょっと解りづらくなってしまってるだけなのです。ストーリーではなくイメージで作りたい、という感覚でしょうか。わかりやすく言うと、写真集をレイアウトする感覚と言いますか。トップカットとラストカットがあり、見開きのページ展開をどう使うか、そんな考え方で作るイメージです。

あと、私の中にはその文法が無いんじゃないかと自分でも思うのですが、恋愛映画を作ってみたいとも思ってます。私が作って来た作品を遡って考えてみても、恋愛の要素が全くありません。たぶん興味が無いからでしょう。恋愛そのものに興味が無いんではなく、恋愛を表現するということに興味が無いんだと思います。世の中には、恋愛をテーマにした表現が溢れすぎていて、私が作る必然性も感じませんし、私より遥かに上手に作る人が、数万人単位でいる気もしています。

でも、去年から何となく恋愛映画を作ってみたくなりました。中学生や高校生向けのキュンキュンする恋愛映画は、ハードルが高くて無理かもしれません。だってまずキュンキュンがよくわかりません。「心臓のここの胸のところがギューってなった事、ありますよね?」と聞かれた事があるのですが、「何ですかそれは?」と答えざるを得ませんでした。胃酸過多や胃もたれ、逆流性食道炎ともまた違うようですし。

でも、大人の恋愛なら描けるんじゃないかと思い始めました。やっと最近思い始めたんです。私の仕事周りには女性がたくさんいます。優秀な女性に支えられていると言っても過言ではありません。そして、自分と同年代や少し下の女性の恋愛話を聞いていると、面白いなあと思うようにもなりました。ものすごく複雑な心境を感じるからです。その複雑さに、私の好きな「解りにくい映画」にも通じるものも感じるからです。

仕事では筋を通し、理路整然としている人でも、恋愛の話になると矛盾を多く孕んでいたりします。そして、大人の恋愛には好きとか嫌い以外にも、人生に対する哲学も入ってくる気がしまして、私にも作れる気がしてきました。

さらに言うと「生物としての人間」としての恋愛映画と捉える事で、私の中の恋愛映画に対する苦手意識がなくなりました。好きとか嫌いも、生物の本能のひとつなんだなと。案外普遍的な作品が出来る気もしています。

かと言って、本当に作ろうとした時にはよっぽど気をつけないと、今までの私の世界観で作ってしまう気がするんです。例えば、恋愛映画を作るはずがいろいろ考えすぎて、カエルのドキュメンタリー映画になってしまうとか、大人の恋愛映画を作るはずがメタファーで表現しすぎて、実験映画みたくなってしまうとか。

だから、恋愛映画を作る時は、たくさんの女性と一緒に作りたいと思ってます。「それは違う」「そんなんは恋愛映画じゃない」「女ごころ分かってませんね?」「生き物じゃなくて人間で描いてください」みたいな事をピシャリと言ってくれる女性と作りたいと思います。

一番最悪なのは、男の妄想で作った恋愛映画が出来てしまうことですから。

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