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50歳からの仕切り直し

私はもうすぐ48歳になります。

私が20歳の頃、48歳になったら完成した立派な大人になっていると思っていましたが、全然完成出来てません。チャーハンで言うと、中華鍋にご飯を入れる手前ぐらいでしょうか。鶏の唐揚げで言うと、衣を付けて油に入れる手前ぐらいでしょうか。プールで言うと、更衣室で水着に着替えてプールサイドに出てきた辺りでしょうか。要するに、本題に入れてないんです。

私が20歳の頃に想像していたのは、少なくとも中華鍋から華麗にお玉にチャーハンをまとめて皿に盛り付けてる辺り、もっと言うと、お客さんに「美味しいチャーハンでした」と言われている辺りを想像していました。

でも、実際は本題に入れてない感が強いんです。そして、このまま本題に入れないんじゃないか、とすら思い始めています。正確には、思い始めていました。

何と言いますか、人生の時間軸をどう捉えるか?というのは、DNAに刷り込まれたものではなく、間違いなく後天的な環境によるものだと思います。私は20歳の時に、40歳後半になれば自分は完成している、と思ってしまっていたんでしょうね。

どこで人生をそういう風に捉えるようになったのか思い返してみると、小学生ぐらいまで遡ってしまうと思います。たぶん「将来何になる?」という問いが、その始まりだと思います。将来というのは、大人になった時の事で、その時は、大人になったら必ず何モノかになれると思ったんでしょうね。

小学生からどんどん時間を進めていくと、大学を卒業する時にだって、「何モノかになれる」と思っていたと思います。その時の私は、40代になったらデーンと「我」を構えた、立派な職業人になっていると思ってました。自分の商店を構えていると言いますか。大学を卒業する時は、自分の名前で仕事が出来る一人前のアートディレクターを目指していましたね。

大学からさらに時間を進めていって、「必ず何モノかになれる」が揺らぎ始めたのは、40歳になった辺りだと思います。「このままじゃ間に合わない」と思い始めました。なぜなら、40歳では完成された人間になっているとインプットされているのに、現実はそうなってないからです。

そこから上手く行くこともあれば、上手く行かないこともあり、もうすぐ48歳になります。このまま幼少期にインプットされたままの価値観で生きていくと、この先の人生が余生になってしまいます。イヤな言い方をすると消化試合と言いますか。しかも、敗退が決まってる状態の消化試合です。これはツラいと思ったので、50歳を境に仕切り直せばいいと思うようにしました。

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