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とりあえず書き出してみる

今、全くやる気がありません。今というのは今この瞬間です。アレもやんなきゃコレもやんなきゃと思っていることはあるんですが、どれもやる気が起きなくてやれません。私は文章を書くことが一番ハードルが低いので、何も考えずにとりあえず書き出してみました。

やる気が起きないってどういうメカニズムなんでしょうね?

例えば、英語の勉強をしなきゃと思っててもやる気が起きないとします。物理的に考えれば、パソコンで英語の日記を書くとか、スマホで英単語を暗記するとか、大した行動ではありません。でも、巨大な心理的な壁が立ちはだかっているんです。1分ですらやりたくないんです。

まあ英語の場合はモチベーションを設定するのが難しいのでやる気が出ないのは分かります。心の奥底で、英語を勉強したからと言ってそれを使う場も少ないし、苦労の割に報酬が少ないと思っているんです。

歳を取るにつれて「苦労の割に報酬が少ない」という計算をシビアにするようになります。多分、人生の残り時間を意識しちゃうからでしょう。人生の残り時間を意識してしまうと、優先順位が硬直化してしまいます。

自分の理想とするカタチの90%まで仕上がっているものと、10%しか出来ていないものがあるとすると、人生の残り時間を考えた時に90%のものを優先しようとしちゃうんです。

英語は15%ぐらいしか仕上がってないので、英語を話している理想的な自分はあるとしても、15%を75%ぐらいまで引き上げようと日々努力出来ません。ここから60%引き上げるって、目眩がしてきます。

私は運動はかなり続いています。運動も英語の勉強のように終わりなき旅のように感じる人もいるかも知れませんが、運動には明確な報酬があるんです。

特に激しい筋トレや運動をすると、30分後ぐらいから幸せな気分になります。何らかのホルモンが出ちゃうんでしょうね。多幸感に溢れて、すべての人が幸せになれますようにと思うんです。そして、やる気も出て閃きも生まれます。怖いですよね。覚醒剤みたいで。

私はその感覚を味わいたくて筋トレをしますし、筋トレを続けると体型が引き締まってきますし、仕事をしても疲れなくなります。

そして、中年になって減ってしまった筋肉を取り戻すことで、老いていくスピードも緩やかになり、人生で実現させたい事を実現させる可能性も高まります。何もしなければ70歳を過ぎたあたりで健康寿命が尽きますが、筋肉量を増やしておけば、70歳を過ぎてからだってハツラツとしてられます。

筋トレはこれほどの報酬をもたらしてくれるので、続かない訳がないのです。そこまでの報酬を感じられるように運動を続けた過去の自分を褒めてあげたいのです。

いやしかし!

運動だけが飛び抜けて報酬が多く、それ以外のことはツラいだけなんです。例えば、英語の勉強で運動並の報酬を得るにはどうしたらいいんでしょうね?それが見つかれば絶対に続きますから。

「それ」は、英語を習得することによって得られる努力の成果である必要はありません。運動と同じように英語の勉強をした後に多幸感が訪れればそれでいいんです。「なぜか自己肯定感が上がる」とかでもいいんです。あるいは「痩せる」でもいいんです。「酒が美味い」でもいいんです。

それが見つかると本当にいいんですけど。

一方で、努力した成果を報酬にしない方がいいと思います。努力した成果を期待すると続きません。私はそれで続いたものは一つもありません。そもそも、努力と言ってる時点でもう負けてますから。努力じゃダメです。私は筋トレを努力してやってません。筋トレ中毒みたいになってるから続いてるんです。

私は20年ぐらい短編映画を毎年1本必ず作ってきましたが、それも努力ではなくて中毒でした。みんなで集まって短編映画を作って、映画祭に応募して、みんなで映画祭に行く旅行の中毒になってました。メチャクチャ楽しいですから。私はそのころ普通の観光旅行が出来ませんでした。退屈すぎて。

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