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なりたい自分と求められる自分

なりたい自分の像と、求められる自分の像には違いがあります。

昨日、「ぱっぷこーんと」の撮影があり、その話で盛り上がりました。最初は、マッツンこと松谷さんと須田さんから激論が始まりました。自分のなりたい像にこだわるか、来た仕事は何でもやるかについてです。どっちが正論でどっちが間違ってるみたいな事はここでは書きませんが、そこにいた全員、何を言ってもブーメランとして自分に返ってくるテーマだったんです。

それに対してどう考えるかは、その人の生きざまそのものなので、否定も強制も出来ないところがあります。一方で、お金を稼ぐ、仕事で成功するという面で考えた場合、やはりある程度の法則はある気がしています。

ちょっと昔の話になりますが、すごく優秀な若い映像ディレクターを紹介されました。センスが良くて技術もあり、人間的にもおかしなところがなかったので、私がやっている仕事に入ってもらうことにしました。でも、その仕事は特に面白くもなく、その人のセンスを活かせる仕事でもありませんでした。そのディレクターはちょっとだけやって辞めてしまいました。理由は「自分がやりたい仕事じゃないから。」という事でした。

その瞬間、その人と私の関係は終わり、それ以降一切仕事をお願いすることもありませんでした。「私と関わってたら面白い仕事がいっぱいあったのに。」などとは言いませんが、すべての仕事をその理由で辞めてしまうと、この世で出来る仕事は無くなってしまうんじゃないかと思うんです。

なぜかと言いますと、その人にはまだ仕事上の足場が無かったからです。「仕事を選べる」というのは、多くの仕事をこなしてキャリアを積んで信頼を得てやっと出来ることです。そして、仕事を選べる立場になっても、多くの人はそんなに仕事を選んでないと思います。

なぜなら、つまらない仕事の先に、自分のやりたい仕事がある経験をしているからだと思います。

私も何度もそんな経験をして来ました。「面倒くさい仕事だな〜。やりたくないな〜。座組も嫌だな〜。」と思っても、仕事だから一生懸命やるんです。そうすると、次に同じプロデューサーから私のやりたい仕事の依頼が来たりするんです。それはそのやりたくない仕事をしている間に、私のやりたい仕事の話をそのプロデューサーといっぱい話せたからなんです。

だから、基本的には仕事は選ばなくていいと思います。「仕事を選ぶ」って言った方がカッコよく見えますけど、同じかそれ以上にダサいとも思われます。

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