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勝俣さんというプロデューサー

監督とプロデューサーの理想的な形は、どんな形なんでしょうか?

私は長いことCMディレクターをやってきたので、いろんなプロデューサーと仕事をしましたが、CMのプロデューサーでは、「監督とプロデューサーの関係」として語る内容は、それほど無い気がします。CMのプロデューサーは全権を握ってないからです。全権を握ってないですし、CMディレクターとプロデューサーは完全に仕事の関係にもなります。CMディレクターは偉そうにしてますが、末端の下請けでもあります。

だから、プロデューサーとCMディレクターの関係は分かりやすいんです。プロデューサーから「やれ」と言われれば、CMディレクターはやるんです。なかなか「やれ」と言ってくるプロデューサーもいないですが、「やってください」とか「しょうがないからやりますかね?」などと、形を変えて言われます。そこに面白い何かがあるかと言われれば、特に無いんです。仕事の普通の状態なので。

監督とプロデューサーの関係を語って面白いのは、やっぱり映画だと思います。私の場合。

今までたくさんの短編映画を作ってきて、いろんなプロデューサーの方々と作品を作って来ました。私は自分で言うのもなんですが、基本的にかなり温厚なので、プロデューサーとは上手くやります。そして、そもそも私の作る作品がちょっと変わってる事を了解した上で一緒に作ってくれているので、そこで揉めることもありません。

いろんなプロデューサーについて書いていきたいと思いますが、今回は映像制作会社DASHの勝俣さんに書いてみようと思います。

勝俣さんとは『しまじろうのわお!』という番組の立ち上げの時に初めて会いました。今から7年ぐらい前の事です。勝俣さんはCMのプロデューサーをやっているので、普通だったらCMプロデューサーとCMディレクターの普通の仕事の関係で終わるのですが、立ち上がったばかりの『しまじろうのわお!』は、クライアントはいるものの、かなり自由に主体性を持って作れる番組でした。クライアントの意見を真っ向から否定することも通常の光景でした。普段やっているCMの仕事では「クライアント様は神様」なので、少しでも失礼がない様にするのが、代理店以下、我々末端の使命でもあります。でも、『しまじろうのわお!』では「クライアント様は神様」ではなく、地上に降りてきた「普通の人間」でした。そういう意味では、クライアントにも恵まれた、すごく良い状況でした。

その番組からしまじろうの映画を作ることになりました。勝俣さんとガッチリやるようになったのは、その映画からかもしれません。ロケ地も勝俣さんの地元の富士吉田市でやることになりました。ロケハンに行くと勝俣さんの同級生がクルマの運転をして案内してくれるし、ロケ地の交渉に勝俣さんのご両親まで動いてくれました。その時初めて、「このプロデューサーは全部全力でやる人なんだな。」と思いました。それも当たり前のように。

自分に置き換えてみるとわかるのですが、地元の知り合いにお願いしたり、ましてや仕事で自分の親を動かすなんてのは、いろいろ面倒くさい想像しか出来ません。仕事っていろんな都合で勝手に変わりますし、ドタキャンだって普通の世界ですから。それも分かりつつ、最大限の効果を発揮するなら、あるいは予算が無いんだったら、何よりも実現化させるためだったら、自分の親を出動させることをも厭わない姿勢が勝俣さんにはありました。「何だこの人は」と思いました。「デカいな」とも思いました。

勝俣さんは、普段はパーティなんかもあまり得意ではなく、「自称・引っ込み思案」と言っていて、勝俣さんとは「引っ込み思案の我々はどうしたらいいのか?」という話をしばしばするのですが、仕事になると引っ込み思案のタガが外れて、アクセルベタ踏みになるようです。これは生まれ持ったものなのか、ダッシュの社長である小暮さんから叩き込まれたものなのかわかりませんが、仕事になるとスイッチが入ります。クライアントにも代理店にも盾突きます。いい意味で。見ているこっちが冷や冷やする事もよくあります。

誤解の無いように書いておきますが、勝俣さんは「自称」引っ込み思案なんです。飲みに行けばいつも会話の中心にいて、真ん中で笑っている存在なので、私のような本物の引っ込み思案から言わせると、ニセ物の引っ込み思案と言わざるを得ないのですが。

勝俣さんとは、番組と映画を通して、泣き笑い怒りを共有してきました。私の愚痴を延々と聞いてもらったこともありました。体を張ってと言うか、心を張って、私を助けてくれたこともありました。と書いてふと思いました。私は勝俣さんの事を全然助けて来て無いかもな、と。ふう。それについては後日、滝に打たれながら自問自答してみるつもりです。

話を戻しまして、3年ほど前の2015年に、勝俣さんと初めて短編映画を作ることになりました。自主制作映画としての短編映画です。

勝俣さんが好きなのは『SEX and the CITY』だという事は知っていましたが、私の中では『SEX and the CITY』はものすごく遠い存在でした。もしかしたら、この世で一番遠くにあるような作品だったかもしれません。観ても面白くないだろうし、共感も出来ないだろうなと思っていました。だから、勝俣さんと自主制作映画を作るのに、少し警戒感がありました。私が面白いと思う事なんて、勝俣さんはたぶん面白いと思わないだろうなと。そういう理由もあり、私のそれまでの作風とはガラッと変えた『OCTOPUS』という映像業界の裏話をモチーフにしたコメディ映画を作る事にしました。今だから書けますが、私としては、勝俣さんがどういう人なのか探ってみた作品制作だった気がします。本当にやりたい事をやると、軽蔑されると思ったからです。

『OCTOPUS』は、ショートショートフィルムフェスティバル&アジア、札幌国際短編映画祭、台湾の高雄国際映画祭などで上映され、主演の東加奈子さんも一緒に、高雄の映画祭にも行きました。結果的に面白い作品になりましたし、ある一定の結果は出したな、とは思いました。

でも、勝俣さんと私が狙っているところがあって、カンヌ、ベルリン、ベネチアの三大映画祭、あるいはロカルノも入れた四大映画祭だったりするんです。心の底から本気で「レッドカーペットを歩きたい」と思っています。勝俣さんは本気で「その時はドレスを買う」と言ってます。実はこういう、狙っているレベル感が同じというところが、監督とプロデューサーの関係ではすごく大事だと思います。

これが両者ともに社会人になったばかりの若者だったら、大きな夢を描くことはみんなしますし、それこそ健全な考え方だと思いますが、社会に出て十何年、二十年という年を経ているのに、まだ夢を追っているというところが大事なんだと思います。大事というと真面目くさいですけど、夢を追った方が人生が面白い、という事だと思います。多くの大人は言葉にするかしないかは別として「絶対無理」と思います。「いい年して夢を追っちゃって」と思うかもしれません。そして、現実感が無いから、そもそも夢を追いません。

でも、私はいま46歳ですが、上手く行けば叶う夢だと本気で思っていますし、実際に30代の時に短編映画で四大映画祭に参加している事からのリアリティなんだと思います。そういう意味では、30代の時に「夢」に対する考え方を、すごく良い方向で形作れたと思います。

そんな私が長編映画で四大映画祭を狙いたいと話した時に、勝俣さんは夢物語としてではなく、自主プレや接待をして仕事を取りに行くぐらいの軽さで「やりましょう」と言ってくれました。雲の上の夢物語としての目標ではなく、ものすごく遠くにあるけれど、見えてる目標として捉えている感じがしました。むしろ私の方が「そうは言っても、そんなに簡単な事じゃないですよ。」と、慌てて言い訳をしたほどです。

私にとって「夢を本気で話せるプロデューサー」ってところが、勝俣さんの事を本質的にすごいと思っているところなのかもしれません。ここまでいろいろ書いてきて、これだと思いました。叶うかもわからない大きな夢を本気で話せるプロデューサー。勝俣さんからしたら、「夢を語ってる小太りのおっさんの話を聞いてあげてる」のかもしれませんが、そこは永遠に問い質さないでおこうと思います。

勝俣さんが、私の言っている「たわ言」を本気で受け止めてくれる共通体験として、『しまじろうのわお!』が、国際エミー賞にノミネートされた事も大きいのかもしれません。番組を立ち上げたばかりの頃、誰もこの番組を海外で評価される番組にしようとはしてませんでしたが、短編映画を通して海外で評価される喜びを知っていた私は、海外で評価される番組にしましょうと言いました。目標は大きく国際エミー賞に狙いを定めました。

しまじろうと国際エミー賞は、その当時、まったく繋がらないものでした。小学生が「大きくなったら総理大臣になる」と言っている様な感じです。ですが、普遍性のある表現をクオリティ高く作れば絶対に評価されると思っていました。そして、5年かけて国際エミー賞ノミネートまで行くことが出来ました。まだ受賞まで至れてませんが、その成功体験を勝俣さんとはイチから共有できているので、私のたわ言も、「もしかしたら実現するかも」と捉えてくれてるのかもしれません。

そして、2018年の今年、ついに長編映画を作る事になりました。プロデューサーは勝俣さんだけではなく、クロマリズムの伊東さんもいて、共同プロデューサーという形で作りました。伊東さんとの話も面白い出来事がたくさんあるので、あらためて今度書いてみようと思います。

今年作った長編映画の『Shell and Joint』では、『OCTOPUS』みたいな遠慮は微塵も無く、本当に純度100%で作ることが出来ました。私が作る純度100%の映画ということは、かなりの割合で「よくわからない」成分が入っているということになります。

なぜ3年前の『OCTOPUS』では遠慮していたのに、今回の長編映画では遠慮しなかったのか。たぶん、2018年の2月に撮影したシネマファイターズの1本である『Kuu』を作ったからだと思います。シネマファイターズでは企画を出す段階から振り切って尖ったものを提出しました。その企画が採用されるかどうかわからない段階で勝俣さんには見てもらいました。もしかしたら、私が振り切って考えた企画を、初めて勝俣さんに見せた瞬間かもしれません。勝俣さんはどっちも面白いと言ってくれました。片方はセリフの無い身体表現だけの企画、もう一方は去って行く人々にひたすら弁当を作って持たせるというストーリーの無い企画です。企画が通ったら儲けもの、ぐらいなつもりで完全に尖った企画でした。

もしかしたらその時、勝俣さんは仕事で忙しく、とりあえず「面白いです!」と返してくれたのかもしれませんが、私がそこで勘違いして、「こういう企画も勝俣さんありなんだ」と勝手に良い方向に考えた可能性もあります。ここに関しても、永久に問いただす事はしないつもりです。

とにかくその『Kuu』という作品を作った事で、私は『Shell and Joint』で、勝俣さんに遠慮する事なく作る事が出来たんだと思ってます。物事には流れがあって、まるで必然かと思うほど適切なタイミングで、物事が進む事があるなと感じます。

こうして『Shell and Joint』の制作は始まりました。

勝俣さんには言ってませんが、『Shell and Joint』の中には、勝俣さんだったらこういう事言いそうだな、と思って書いたセリフが本当にたくさんあります。とにかく、男目線の一方的な男映画にしたくなかったので、男尊女卑みたいな表現をしていないか、いろんな段階で聞くこともしました。

そしてもし『Shell and Joint』に勝俣さんがプロデューサーとして入ってなかったら、今ごろまだシナリオを書いていたかもしれません。7年前に出会った頃から変わってない「実現力」がさらにパワーアップされてる感じです。

私は基本的にすべての事を先送りしたいという習性があります。仕事では企画やコンテを出したくない、作品作りではシナリオも撮影も、先送りしたい、そんな事ばかり考えています。勝俣さんはそんな私の習性を熟知しているので、先手先手で攻撃してきます。攻撃というと大げさですけど、私からしたら攻撃です。ラインプロデューサーの石井さんを通して、私に相談すること無く、マネージャーの牧野さんに連絡し、スケジュールをガッチリ押さえるんです。ここの連携、半端ないです。たまにテレビで見る、逮捕された犯人が左右と後ろでガッチリ確保されて、警察署に入っていく、あの感じです。でも、勝俣さんが正しいのでもちろんそれに従います。私は「ただサボりたい」と言ってるだけですので。

この勝俣さんの実現力のおかげで、『Shell and Joint』は、10月末に完成しました。10月頭まで撮影していて、10月末に完パケしてしまうこのスピード感、自分たちのチームながら驚異的だと思います。

勝俣さんについては、書いても書いても書ききれないので、今回は第一弾としてこの辺にしておきます。だいぶ文章が長くなってしまいますので。『Shell and Joint』での勝俣さんの動き方についても書かなければならないと思っていますし。

あ、今日12月17日は勝俣さんの誕生日でした。おめでとうございます!

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