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今年の抱負を書いちゃったテヘ

あけましておめでとうございます。

早速、みんな書くであろう今年の抱負を書いてみようと思います。大体こういうのは、自分に対して書くんですよね、抱負ですから。自分はこうあって欲しいという願望に近い。だからちょっと無理めな事も書いちゃう。でも、「今年の抱負」というパッケージがされているとみんな大目に見てくれます。「ああ、この人も自分と戦ってるんだな。」「そうそう、正月ってそういう事言いたくなるよね。」「随分大きいこと言ってるけど、言ってる時が一番楽しいからね。」などなど、みんな大目に見てくれるんです。

これが1月5日にでもなってご覧なさいよ。世間の目は冷たくなってますよ。「そういうのはもういいから…」「願望は正月に書けよ…」「それ、1月1日から始めてないよね?無理でしょ…」「結果を出してから書いて…」などなど、もう語尾が「…」ですよ。もうみんなチベットスナギツネの目をしてこっち見てますから。あ〜、辛い。

だから私は今日書くんです。恩赦されている今日書くんです。特赦と言ってもいい。みんな正月は現実感が薄いですから。まさか来週の今ごろ普通に働いているとは思ってませんから。正月は永遠に続くものとすら思ってますから。

さてと、保険をかけた「はじめに」はこの辺にしてと。

まず今年一番の目標は、生き延びる事でしょうね。来年の1月1日に生きて迎えられたら、本当に素晴らしいことだと思います。新型コロナウイルスは順番にみんな感染するんだと思います。もしかしたら明日かも知れないし、10年後かも知れませんけど、ここまで世界中に広まったウイルスですから、間違いなくそのうち感染します。

でも、罹った時にワクチンの効果で軽い症状で済むのか、特効薬が発明されて何とも無いのか、運悪く医療崩壊した真っ只中なのか、タイミング次第です。今年はあと364日ありますから、今年中に感染する可能性も高いです。だから、なんとか生き延びられたら、それは素晴らしいことだと思うんです。

そこからの逆算ではないですが、体調管理もしっかりしていきたいと思ってます。しっかり運動して、よく寝る事ですね。まだまだワクチンを打てるのは先になりそうですし、ワクチンがどのぐらい効くか分かりませんが、体力をつけて自分の免疫力を高めておくに越したことは無いと思うからです。

免疫力を高めると言うか、下げないようにすると言ったほうが正確なのかも知れません。ホントにもう40代後半になってから、体が錆びついている感じがすごくしたんです。特に冬になると、思いっきり体調不良になるようになりました。寒さによる体調不良なんでしょうね。高齢者になると寒いだけで亡くなったりしますから。寒さって本当に体に悪いと実感するようになりました。

冬にたまに暖かい日があると「あ〜、今日は暖かくて体が楽だわ。」と思うようになりました。「体が楽」って、75歳ぐらいにならないと感じられない感覚と思ってましたけど、45歳ぐらいで十分に感じられるんです。

「やばい、このままじゃあっと言う間に体がガタガタになるぞ。」と思い、運動するようになったのが、2018年の11月あたりからです。そこから毎日のようにプールで泳ぎ、コロナ禍になってからはウォーキングするようになりました。だから、ガタガタの体の再調整を始めてまだ2年ぐらいしか経ってません。

でも、だいぶ体の錆が落ちた感覚はあります。ほぼ毎日やってますからね。詰まっていた毛細血管に血液がドバーッと流れた感じがします。自律神経のコントロールが上手く行っている気がします。

運動する前は、冬になると常に、肩甲骨の間あたりが寒かったですから。ロケバスや新幹線や飛行機なんかに乗っても、壁の冷気を敏感に感じてすごく寒かったです。だから冬はロケバスの壁側に座りたくなかったぐらいですから。常に葛根湯を持ち歩いていて、寒くなると暖を取るために葛根湯を飲んでいたぐらいです。葛根湯のカイロ使いですね。そんなのは絶対に体に良くないと思います。

運動をするようになってからは、そんな事も無くなりました。どちらかと言うと暑いですね。今の季節でも、夜に暖房をつけなくても暑いです。自分の体から発しているであろう水分によって、常に45%ぐらいの湿度もキープされています。寝ている時に筋肉が燃えてるんでしょうか。羽毛布団にくるまって寝られません。暑くて。

今年の抱負に話を戻しますと、今年一年もしっかり運動をして、体調不良にならないようにしたいと思ってます。欲を言えば、自分の腹筋をそろそろ見てみたいですね。あと4kgぐらい減れば腹筋が見えてくる気がしています。まだ雪の下に埋もれている感じですが、この雪の下には鍛えつつある腹筋が眠ってるんです。

いやいや、そんな中高年の健康に対する抱負はいいとして、今年は絵本を出したいと思ってます。すごく面白くなりそうなアイデアを閃いたので、それをカタチにしたいと思ってます。去年末ごろ、ウォーキングをしていて閃きました。

私は歩いている時に閃くことが昔から多いんです。歩くという動きと脳のどこかが繋がっていて、歩くことでそこがパカッと開くんですかね。そして、歩いている時に閃いたアイデアは割と強度があるんです。これは経験的に間違いありません。私の場合ですけど。

絵本の具体的な内容はまだこれから詰めていくんですけど、今年中に出版社の人と話が出来るぐらいまでには持っていきたいと思ってます。

あとは、長編映画のシナリオですね。しまった、去年の年末までに企画書を作ると言っていた、石田徹也画伯の映画の企画書がまだ出来てません。自分の根性を叩き直しつつある中で書いているので、映画の方向性があっちに行ったりこっちに行ったりしちゃってるんです。

どういう根性を叩き直しているかと言うと、大きくは「アートの封印」ですかね。別に私はアーティストではないんですけど、アートっぽい雰囲気の作品作りは割と得意なんじゃないかと思っています。「苦もなく出来る」と言いますか。「そこしかない」とピンポイントで置きどころが見えます。それによって、いろんなモノを手に入れてきたとも言えるのですが、それによって手に入れられてないモノも大きいとも思っています。

根性を叩き直すと言うと大げさで、アートを蔑んでいるように聞こえるかも知れませんが、一度、「必殺技」を封印して映画を作ってみたいと思ったんです。そうしないと、自分が持てていないモノが見えて来ないと思ったんです。水戸黄門が印籠を出さずにどう事件を鎮めるのかの挑戦でもあります。水戸黄門は印籠が使えなかったら、水戸黄門自身の人間性や胆力みたいなモノで勝負しなければなりません。印籠無しで人々を納得させなければならないんです。

でも、それがすごく楽しいですね。そして、今までいかに必殺技に頼ってきたかも痛感させられています。また別のnoteでも書きたいと思ってますが、人生の折り返し地点で、自分の必殺技の封印という経験は、その先の人生を豊かにする意味では、必要な作業なんじゃないかと思ってます。自分の能力の棚卸しと掘り起こしと言いますか。

ちょっと話が脱線しましたが、長編映画の企画書を早々に作って、シナリオを春ぐらいまでに書き上げて、年内には実現化の道筋を付けられたらと思います。いや、そんな悠長に言ってる場合じゃないんですかね。

あと、仕事に関しては今まで通り「来た球を打つ」「バントをキッチリ決める」そんな感じでしょうか。仕事は夢や希望というよりも、現実そのものですからね。

すごく不思議なんですけど、言い方は悪いですが、その仕事をそんなにしっかりやったとしても人生を好転させないし、大した報酬ももらってない仕事なのに、締切はちゃんと守るし、優先的に時間を作るし、手を抜かずにやってるんです。仕事だからと言う理由で。

一方で、間違いなく人生を好転させ、今までとはまた違った可能性を切り開いていく「仕事じゃない事」には、時間も優先させないし、すぐに取り掛からないし、締切も設定しません。これは何なんでしょうね?多くの人にとっての、人生最大の問題なんじゃないでしょうか。分かっているのにやらない問題。

そして、成功者の多くはこの「分かってるのにやらない問題」を克服した人たちなんだろうと思うんです。あるいは、そもそもやってる人のどちらかですね。分かっているのにやらない問題って、私が二十歳そこそこの頃から自分で思ってましたから、その存在を知って30年近くになるんですけど、なぜまだやらないんでしょうか。「あ〜、結局オレはやらない人生だったな…」と死ぬ瞬間に思うんでしょうか。キッツいわ〜。

あとは英会話ですね。英会話を始めてから1年半ぐらいが経ちます。牛歩で進んでますが、スピーキングは何となく掴めつつあります。私がスピーキングから上達していく理由は自分でも分かってます。それは、言いたいことがたくさんあるからでしょうね。聞けないストレスよりも、言えないストレスを強く感じるからなんだと思います。

とはいえスピーキングもまだまだ、今まで闇雲に手を振り回しても何も引っかからなかったのが、1〜2本の指先が引っかかり始めた感じです。これからその指にグッとチカラを入れれば、自分が向かっていく方向が分かるかなという感触が掴めたような段階です。

一方でリスニングはまだまだ暗闇の中です。1年半の間、リスニングに関してちゃんと向き合ってこなかったからなんだと思います。だから、1年半英会話をやっていると言っても、リスニングに関しては何もやってないのと同じ状態なので、何も上達してません。技術の取得って、原因と結果がハッキリしていていいですね。やれば出来るようになるし、やらなければ出来るようにならない。

その私の中での暗黒大陸であるリスニングに向き合うべき年が、今年だと思っています。今のところ、自分がこの先、英語を聞き取れるようになれるとは微塵も思っていませんし、そうなれると信じることも出来ません。「ピアノが弾けない私が、今からピアノを勉強して、2〜3年後にショパンコンクールで優勝する。」そのぐらいのイメージです。そのぐらいの絶望感を持っています。

私はクルマを買ったときもそう思いました。力いっぱいハンドルを握って前のめりで、冷や汗びっしょりで全意識を集中して運転していました。自分には運転の才能がない、だからやっぱりクルマは買ったけど売っちゃった方がいいんじゃないか、とすら思ってました。首都高に乗るなんて、自ら地獄に飛び込んでいくのと同じだと思ってました。

でも、2〜3年もすると、ゆったりと片手でハンドルの下の方を握って首都高を走ってました。クルマの運転の何が怖いのか思い出せなくなっていました。思い出そうとしても思い出せないんです。今まで見えなかった剛速球のボールが、ゆっくりに見えるのと同じ感じなんだと思います。そして、一度ゆっくりに見えたものは、もう剛速球には見えないんです。

私はこの経験を心の糧にして、英語のリスニングに向き合おうと思ってます。いまは絶望的でも、出来るようになった暁には、なぜ絶望的だと感じていたのか不思議になる、という経験を再びしようと思ってます。

まあ、今日のところはこんな感じでしょうか。今年の抱負と人生の抱負はまた違いますからね。

今年もよろしくお願いいたします。

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