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ワタナベアニさんと①(会社時代篇)

ワタナベアニさんと出会ったのは、ライトパブリシティという広告デザイン会社に入ったことがキッカケでした。まさかその後の私が映画を作ることになるとは、自分も含めて誰も思ってなかった時代の話です。

私のライトパブリシティでの一年目は、本当に24時間働いている状態でした。Macが使える若者ということで、プレゼン用のカンプの写真合成をPhotoshopでしたり、先輩が作った版下をIllustratorでリサイズしたりしてました。

Macを使えたからと言ってもそれだけではなく、書体の紙焼きをカッターでバラバラに切って、ペーパーセメントを使って文字組みをしたり、引き伸ばし機を使って、写真のレイアウトのあたりの指示を書き込んだりする、アナログな作業もたくさんやりました。

ワタナベさんとは2年目から一緒に働くようになりました。と言っても、ワタナベさんは、私が入った1年後に会社を辞めてしまい、フリーランスとしてライトパブリシティの仕事をしていました。

ワタナベさんは、ライトパブリシティにいるどのアートディレクターとも違った、異色の雰囲気の人でした。ライトパブリシティのデザイナーの方々は職人気質で、「技術力」で勝負しているところがありましたが、ワタナベさんは「発想」を使う人でした。「すげー面白い人がいる」と思いました。

ワタナベさんとは自動車メーカーの仕事をするようになりました。ワタナベさんは企画を立てて大きな方針を決めると、現場作業はほとんど私たち下っ端に任せてくれました。2年目なのに、自動車メーカーの新聞15段の広告を作らせてもらった事もありました。

私たち下っ端は、作業台の下に布団を敷いて、寝たい時に寝るような、24時間体制で仕事をしていました。ワタナベさんはCMディレクターとして会社の外にいることが多く、夜になると裏の東武ホテル1階のレストランに現れて、ご飯を奢ってくれました。ほとんど毎日のように。東武ホテルでは一皿3000円ぐらいするカレーばかり食べていました。そいう場でめちゃくちゃ話をしたのを覚えています。答えのない哲学的な話だったり、モテ論だったり、仕事のやり方、処世術みたいな話もしてくれました。

いまだに強烈に覚えているのは、打ち合わせに対しての話でした。ワタナベさんは若手の頃、上司が打ち合わせに連れて行ってくれなかったと言ってました。上司が聞いてきたことを、上司の指示通りにやることが苦痛でしょうがなかったと言ってました。だから、自分が上司になった時には部下を打ち合わせに積極的に参加させたいとのことでした。

そこまでは普通の話かもしれませんが、ワタナベさんが教えてくれたのは、「仕事というのは主導権を握ったヤツのものだ」ということでした。机の向こう側にいるクライアントや代理店が、上司も部下も関係なく、誰に向かって、誰の目を見て話をするかということでした。私は人一倍素直なところがあるので、「わかりました。具体的にはどうしたらいいですかね?」と聞いたところ、「派手な服を来て打ち合わせの机の真ん中に座れ」と言われました。私は人一倍素直なので、すぐにそれを実行しました。

それを繰り返しているうちに、代理店の人が私の方にも顔を向けて話してくれるようになりました。私は大げさにうなずいたりしてました。先輩たちが面白いことを言った時には、しっかり笑いました。

これは全世界、どの時代にも共通すると思いますが、素直な若者は先輩たちに可愛がられます。私は幸運にも可愛がられキャラでもありました。先輩から言われたことをキッチリやるからです。可愛がられるというのは、ご飯を奢ってくれるとか優しくしてくれるとかじゃなく、「チャンスをくれる」ということと「上に引き上げてくれる」ということです。

自動車メーカーの仕事では、デザインチームとして狭い部屋に入れられました。壁とドアで仕切られたスペースで、会社の他のチームからある意味隔離させられたところでした。でもそれがすごく心地の良い場所でした。治外法権みたいな場所でもあり、仕事で疲れた社員たちが心を癒やしに来る場でもありました。そこには「精神論禁止」という紙が貼られてました。ワタナベさんが貼りました。

「精神論禁止」というのは、「体を壊すまで頑張る」とか「先輩が後輩に無理させる」とか、そういうのを禁止するという意味だったかと思います。今でいうと「ハラスメント禁止」みたいな事なのかもしれません。当時の会社の体質の「アンチ」を、あえて提示していた気もします。「面白い仕事してないくせに精神論ばっかり言うよな」みたいな事へのアンチだったと思います。

ワタナベさんとは長いこと一緒にいますが、怒られた事はほぼありません。完全なる上司でしたし、8歳も年の差がありますし、キャリアの違いも歴然としてましたが、怒られた事はありませんでした。どちらかと言うと、いつも褒めてくれました。ワタナベさんが上司になってくれたおかげで、社会人として萎縮しなくて済んだ気がします。いまだに私が作った作品を認めてくれる先輩という絶対的な信頼感があります。たぶんそれに関しては親以上の存在なんじゃないかと思います。

あと本当にビックリしたのは、お金の使い方が半端なかったことです。本当に「宵越しの金は持たぬ」って感じで、カメラやら機材やらを買ってしまうのに、すぐ飽きちゃって誰かにあげてました。数万円、数十万円するようなものをです。

そして、会社を辞める直前に、フランス旅行の旅費を全額出してもらいました。先にワタナベさんがパリにいて、そこに私が合流するという流れでした。でも今みたくiPhoneでGoogle Mapを見れる訳でもなく、「何とかっていうカフェに何時集合」っていう段取りでした。たぶん会えないな、と悲観的に約束の場所にいったら、ワタナベさんがまるで現地の人の様に自然にいて「うぃっす」と言ってました。パリでは特にやることも決めてなかったので、とりあえず二人で金髪にしました。日本人用と比べて成分がキツいようで、金というより銀に近い金髪になりました。

パリにいる間、多くの時間をカフェで過ごしました。カフェでいろんな話をたくさんし、私は帰国後すぐに会社を辞めました。

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