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誰の目も気にせずに作る

本当に自分の作りたいものを作っているか?

年を取れば取るほどいろいろな事を知ってしまい、そこがあやふやになって来ます。教養や客観的な視点は、いい大人になるためには大事なものなんですけど、自分が本当に作りたいものが分からなくなって来るんです。

しかも、仕事としてやっていると強烈な客観視を持ってしまうんです。私は映像のディレクターを仕事としてやっていますが、趣味は映画を作ることなんです。私が本当に自分の作りたい映像は映画でやっています。

でも、仕事と趣味が近すぎるんです。

私は仕事で映像を作る時、「この映像を初めて見た人でも理解出来るだろうか?」という視点を強烈に持っています。広告出身だからでしょう。映像のアングルにしても、1つのシーンの長さにしても、セリフにしても、100あったら100がしっかり伝わるように努力するんです。

例えば、15秒のCMでは、短い尺の中に多くのカットをギューッと詰め込んで編集したりしますが、視聴者の視線の移動が多すぎると離脱してしてしまいます。目が疲れるからです。そんな時は、人の顔もコピーも商品もすべて画面の中心に集めます。視線の移動がほとんど無いと、かなり慌ただしい編集でも見ていられるんです。

例えば、未就学児を対称にした番組では、フリとオチが使えません。未就学児は長期記憶が弱く短期記憶がメインなので、フリが効かないんです。伏線を張るなんてもってのほかです。あるいは「こっち」とか「あっち」とセリフで言っても自分のいる位置という概念が出来てないので、「こっち」とか「あっち」というセリフでは位置を伝えることが出来ません。

仕事ではそんな事ばかり考えているんですが、映画を作っている時にもそれが抜けないんです。CMや子供番組は一例なんですけど、このような事が山のようにあって、それが作品創りの時に襲ってくるんです。

仕事では自由に作れないから、趣味の映画で自由に作ってると思われることが多いんですが、私の場合は仕事と趣味が近すぎてそんなに自由になれません。

一方で、自由にはなれてないかも知れませんが、仕事でやっているルーティンが作品づくりにいい影響を及ぼしていることもあります。

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