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#16 人間らしいところ


以前こんなことを言っていた人がいました。「好きなタイプはコンプレックスのある子。」


コンプレックスのない人なんて恐らくいないし、捉え方によればちょっと変人扱いされてしまいそうですが。


私なりの解釈をすると恐らく彼は、「コンプレックスがある所に人間味を感じて、完璧でないところが魅力的」ということを言いたかったんだと思います。


うん。これなら共感できます。
というか、人が何かに惹かれたり共感する部分って結局そういう人間らしいところだったりするのかななんて思ったり。


私も、完璧で完全なものにはあまり惹きつけられなくて、古着やちょっと古い建造物が好きなのも多分そういうこと。


完璧でないものの方が安心感をや手馴染みの良さを感じます。


みんな人間らしいところ(完全でないところ)を持っているけれど、コンプレックスを隠したくなるのと同じように、人間らしいところってあまり他人に見せないし、普段普通に生活をしていてもあまり見えてこないもの。


だけどふとした瞬間に他人の完璧でない部分が垣間見えると、自分も完璧じゃなくていいんだって思えるし、そういう部分を肯定してくれる歌や言葉、映画があるとすごく安心します。



で、以前から思っていたのですが、noteはこの「人間らしさ」とすごく相性がいいなって。


何となくnoteを利用している方達は綺麗ごとではなく人間味を求めている方が多いのかも、と思います。一概には言えないですが。


私も他の方の投稿を読んでいて、自然といいねを押してしまう記事は人間味を感じる文章が多い気がします。その人の内側が少し覗けるような文章。


反対に「人間らしさ」と相性があまり良くないのがInstagram。

Instagramは「私らしさ」を表現する場所としてはすごく良いけれど、ある意味それは着飾った自分であって、「人間らしさ」ではない気がします。


例えば、私は現在オーストラリアに留学中で、Instagramに投稿するのは、その中でも特に幸せな瞬間を切り取ったものだけ。


よく友達に「留学めっちゃ楽しそうやん!」と言われるんですけど、確かにそれは「幸せ」だけを切り取っているから当たり前のことで。もちろんすごく楽しいです。楽しいけれど当たり前のようにそれだけではなくて。


色々上手くいかなくて一人で泣いた夜なんていっぱいあるし、失敗の繰り返しだし、大ミスかまして他人に迷惑掛けたし、危うく賠償金取られ掛けたし、アジア人というだけでちょっと悲しい目にも遭いました。


別にそんなの周りに共有する必要なんてないし、知って欲しいとも思っていないけれど、こういう所がsnsでは見えない人間らしさなんだろうなって思います。


そういう理由からも、私はやっぱり人と直接会って話すのが好きだし、その人の人間らしいところ、というか内側が見えるとちょっと嬉しくなります。


私はnoteでは、読む人が共感しやすかったり、人の心に寄り添えるような文章が書きたいので、綺麗ごとばかり並べた文章ではなくて、そういう人間らしさが見え隠れするような文章が書けたらなと思っています。

あと、最初の話に少し戻りますが、コンプレックスだって魅力のひとつ。これは長くなりそうなのでまた他のブログで書こうと思います。

人間らしいところの話でした。


最後まで読んで頂きありがとうございます。
良い1日を。

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