これが私の1週間の仕事、トゥリャトゥリャ

、、、と書いたけれど、別にこの1週間の出来事を書くということではない。
トゥリャトゥリャの掛け声に乗って歌われるあのロシア民謡の歌詞、正確には憶えていないが、調べようと思えば調べられる時代だけれど正確に記したところで何かの得になることでもないので割愛するが、「日曜日に風呂に水を張って、月曜日に風呂に入った。火曜日には市場で花を買って、水曜日には友だちとお喋りした」とか、おおむねそんな内容だった。
子供の頃はずいぶんふざけた歌があるものだと感心した。用事は1日にひとつだけ。そんな暢気な暮らしがあるものか。その歌からはかすかにいい匂いもした。

いつも笑顔で鼻歌なんか歌ってるものだから、金持ちでもないのに幸福そうに見えて、この人頭がおかしいのかなと思っていると小学生の私の勉強を見てくれようとした(断った)。しょっちゅうその人の家に遊びに行ってレコードを聴いた(興味の持てるものは僅かしかなかった)。
今思えばその人と同じ空間にいるのが嬉しかったのだろう。その人からはいい匂いがした(に違いない)。台所で夕飯の支度が始まると、そろそろ帰らなければいけないと思いつつ、なかなか体が動かなかった。
ロシア民謡「1週間」の主人公は、その人の明るさと聡明さを思い出させる。その人ははっきりした目鼻立ちで、美人というよりは面白い顔だった。その人が「1週間」という歌の中の人物になって、トゥリャトゥリャ歌っている。ついでに大小のマトリョーシカになって踊っている。

その人が旦那の転勤で町を離れる日に、別れの挨拶をしに行け、親切にしてもらったんだからと母は私に命じたが私は行かなかった。めんどうくさかった。思春期が始まろうとしていて色々と忙しかった。女の子にモヤモヤしたり、ラジオから流れてくるヒット曲にワクワクしたり。出会いや別れなど、当時の自分には些末な出来事で、それに心を砕いている閑などなかった。その人のことを思い出したのはずっと後になってからのこと。実は悲しかったんだと今は分かる。

その時の、リアルタイムの自分の本心というのは測りかねる。今だってきっと本心に気づかずに色々と乱暴をはたらいているに違いない。波打ち際で拳を砂に叩きつけて号泣する大男ザンパノの気持ちがよく分かる(映画『道』より)。あの時のお前の本心は何だったんだ? 大切なものはとっくに失われてしまったよ。だが「あの時」を生きるためには鈍感でなくてはいけなかった。いつだって「今を生きる」のが動物の正しい衝動だろう。
でもさ、今を生きるためには仕方ないからと言って、今に対してあんまり真面目になり過ぎるのもどうかと最近は思う。「今」なんて、すぐに色あせるチラシ広告みたいなものだろう?
なんて、また乱暴なことを言って。老いたせいで目の前の「今」が安いチラシみたいに薄くなり始めた証拠だ。

暢気な暮らしだ、架空の話だと思っていたロシアの女の人の1週間は、ものの見事に今の私の1週間。しかも当の私には、自分の生活が暢気ともふざけているとも感じられない。しごく真面目に日々をやりくりしている(やっぱり今に対して真面目になっている)。1日にできることは年ごとに限られていく。
  月曜日に魚を買って
  火曜日に魚を食べた  トゥリャトゥリャ♩
    水曜日に(胃もたれがするので)予約(病院の)をとって
 木曜日に診察受けた トゥリャトゥリャ♪
    金曜日に(仕事の)おさらいをして
 土曜日にライブでコケた トゥリャトゥリャ♫
    日曜日に日記を書いた
 記憶ちがいと嘘ばかり トゥリャ、トゥリャ、トゥリャ、トゥリャリャ〜🎶

めんどうくさがってオリジナルの歌詞(日本語訳)を割愛したが、ググってみたらやっぱりいい匂いがする。気になる方は調べてみてください。めんどうくさがらずに。

































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