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物語と生きる

※この文章は現在の自分の立場と厳密には異なります

 後期近代、ポストモダン、呼び方はどちらでもよい。フーコーのいう「生権力」が跋扈するこの時代にあって、道徳ならぬ倫理の重要性は日ごとに増している。修身斉家治国平天下。現状を受けいれるにせよ抗うにせよ、己の律し方、目の前の人間との向き合い方を問うことなしに親密性はあり得ず、したがって虚構としての社会も成立しない。まず、昨今のポリティカル・コレクトネス現象を反面教師として、その倫理について考えてみよう(他人を観察するつもりが、そこに自身の似姿を見つけてしまうという皮肉!)。

 不当な差別はあってはならないし、周囲との違和に苦しむ少数者には手を差し伸べられて然るべきだ。だが個人の感情や抽象的なイデオロギーによって、人々の内面や表現の自由を否定するのは、近代の自滅にほかならぬ。そうした問題提起を無視できなくなっている現状には、様々なる意匠へ容易に飛びつく、日和見主義者の群れも関わっている。だが重要なのはもちろん、彼らを動かした主体である、公との適切な距離を測れない者たちだ。

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