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自分なりの翻訳について

こんにちは。
社会福祉士、精神保健福祉士のぽこです。


◇自分なりの翻訳について

今日のテーマは自分なりの翻訳
英語など他言語から日本語に翻訳する行為はもちろん、他者の言葉を自分の言葉に翻訳する行為も含みます。
考えるきっかけになったのは、洋楽を聞いていた時のこと。
「この歌詞すっごく良いこと言ってる!」と、歌詞に感動しました。
この歌詞を誰かにシェアしたい、と思ったその時。
「この翻訳や捉え方が間違っていたらどうしよう?」という不安も同時に沸き起こったのです。

・英語から日本語へ

英語など、他言語から日本語に翻訳する際、おおよそ同じ意味を持つ言葉に置き換えて翻訳します。
Bookは本、Schoolは学校・・・
わかりやすく翻訳することができる言葉も多いでしょう。
しかし、翻訳できる言葉ばかりではありません。

私はこの本がとても好きで、学生時代何度も読みました。
例えば日本語の”侘び寂び”という言葉には、代替できる外国語が見つかっていません。
”侘び寂び”というニュアンスを表現したければ、”侘び寂び”という言葉を用いるほかない。
「これって英語でなんていうの?」とAIに聞いたらなんでも答えが出る今の時代ですが、
全く同じニュアンスで言葉を翻訳するのは本来不可能なことなのかもしれません。

・歌詞に感動した話

冒頭で挙げた、歌詞に感動した時の話を少し。
先日、AJRという海外のアーティストの曲を聴いていた時のこと。
この歌詞が刺さりました。

Maybe a Hundred bad days made a hundred good stories.
A hundred good stories make me interesting at parties. 

AJR   100 Bad Days

100日の悪い日が、100個のグッドストーリーになるかもしれない。
その歌詞に強く勇気づけられました。
しかしこの英文の捉え方が間違っていたら?
私の英語理解が不十分だったら?
そう不安に思い、「歌詞 和訳」と検索しそうになりました。
しかしその時気がついたのです。
私がその捉え方に感動したのなら、それをそのまま受け取ったら良いんじゃないか。
正確に理解しようとせず、そのまま受け取ることに怖がらなくてもいい。
そう気がつきました。

・他者の言葉を翻訳する

この”そのまま受け取る”ことについて。
同じようなことが、同じ日本語を母国語にしている人とのコミュニケーションにも言えます。
以前、こんな記事を上げました。

発される言葉としては同じでも、発した人が違えば意味も違ってくる。
そんな記事です。
(一時的に価格を下げておきますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。)
他者がどのような意味でその言葉を発したのかはわからない。
でも、わからないなりに関わったら良いのだと思っています。
大切なのは、自分が今発している言葉を完璧に代替する表現方法は存在しないということを知ること。
そして、相手が今発している言葉にも同じことが言えると気がつくことです。

わからないけど、私はこう受け取った

という、自分の受け取り方を受け止めましょう。
それが今の自分の他者理解フィルターであることを受け止め、
「今少しネガティブに受け取ってしまっているな」とか
「この人が言った言葉は全部前向きに聞こえるな」とか
受け取り方の偏りに気がついていったら良いのです。
綺麗に翻訳しようとせず、自分なりの受け止め方に自信を持つ。
少し意識して生活してみたら、”私なりの世界の色合い”が変わりそうです。

ということで、今日は自分なりの翻訳について考えてみました。
参考になれば幸いです。
それでは、また💐

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