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復帰して、家事して、でも仕事が一番したいと思う。

29日と30日、私はお休みをいただいた。
比較的穏やかな今年のゴールデン・ウィーク。
とはいえ、できれば休んでほしくないという感じの生徒たち。
というわけで、私はお昼間にバタバタこの時期しかできない家事をあれこれしている。

いったい何の専門家?と言われるくらい、私は家事も大好き。
朝からあれこれ収納について考え、取り組んでいる。

ちょっとゆっくりしてなさいよ!また疲れてしまったらどうするの!?

と言ってくれるのは母。
そんなこと、こっち来てから誰かに労わってもらったことなどない。
大御所が側にいないから、今でこそ結構自由であるけれど(笑)、疲れることが罪悪だという生活を長年送って来たので、ちょっとでも自分が動けるときには動いておかなければならないのは当たり前。
母は主婦として、私などよりずーっと良いところにいた模様。(笑)

仕事を忙しくしていると、家事がしたくなる。
でも家事(これは日常生活以上の工夫など。)をすると、仕事が何よりしたくなる。
とにかく生来ロングスリーパーの私が、もう少し睡眠をとらなければならないと、今回とんでもなく疲れてわかった。
でも、過労で救急車を呼んで、病院で点滴を受けるなどというところまで行っていないので、結局生来怠け者なのかもしれない。(笑)

いやいや母に言わせると、小さいときは、寝ない子だったようで、確かに夜が怖かった。夜眠れなかったりして、変な空想をしていたようだった。
小さいときに住んでいた祖父母やまだ結婚していなかった叔父や叔母の居た家は、谷崎の『陰影礼賛』ではないが、影のたくさんある家だった。
いつもは行かない二階のおばの部屋の片隅などには、住んでいても知らない場所があり、そーっと忍んで言って、おばの素敵な布の張ったおしゃれな書棚を開けて、その中のものを取り出したりしていた。
短大に通っていた叔母は、そもそも美人だったけれど、切れ長の釣り目で、なんとも上品な色白で、婚約中の母が、市電に乗って還ってくるセーラー服姿だったまだ高校生の叔母を見掛けて、

なんてかわいい子だろう・・・。

と思ったそうだった。
気持ちのきれいなこの叔母は、私も大好きだった。

そうそう、そんな家の中で、一人目を覚ましていた私は、暗い裏庭に何かありそうな雰囲気だったり、昔ドラマに出ていた、裁判の、あの、顔が見えないように帽子みたいな、とんがりコーンみたいなのを被った今では裁く人だとわかっているが、ああいうおどろおどろしい人たちが現れるのではないかと恐れた。

古文で言うところの、忌みじ、いや、忌々しというか、なんとも言えない不吉な感じを抱いていた。

そうそう、いみじ、である。
古文で昨日も教えていたが、彼らは理系の生徒たちなので、まあ、どこまで教えておこうか悩ましいところでもあるが、この、いみじという、程度がはなはだしいことを表す言葉は、文脈が読めないとなかなか訳しにくい言葉である。語源は、忌みじ、つまり、誰かが死んで、とんでもなく不吉なことが起こりそうで、なんとも程度が悪い意味で甚だしいときに使われていたのが、そのうち、程度が甚だしいという意味だけ残り、良いことにも使われるようになった、らしい。

私は国語学の専門家でもないので、せいぜい調べた程度の話であるが、意外に語源を語ると、古語が入りやすくなるものらしい。

というか、私はそういうタイプである。
単純な暗記を最も苦手とするタイプ。
意味がわかると対して努力することなく入るけど、意味がわからなければ頭に入れるのに、相当苦労するタイプ。ああ、これはみんなそうなのかな?

努力家だと言われる私であるが、その実、おそらくはおもしろくないことを淡々とできるタイプでもないのかもしれない。この辺のことは、高校の先生にはバレていた感じがする。
怠け者である。(笑)
母に言うととんでもない話らしいが、勉強の仕方はそうだろうと思う。(笑)


正直、家事をする、余分なことをするというのは、私にとってはとんでもなく贅沢なことである。

私の夢がある。
古ーい、ちょっとガタピシいうような木枠のドアに、タイルの流し台のあるキッチン。年季の入った家の中に、これまた風情のある古い木製のダイニングテーブル。キッチンのドアを開けると、手入れしていないわけでもないけど、あまりにきっちりした感じでもない庭があり、ハーブをたくさん植えている。そのハーブを取って来ては料理する。
野菜もあるといいかな?
生活も贅沢とは無縁の、なんとも自然と共存しているような家。
今から自分では作れないような、中途半端でなく古ーいお家に住んでみたい。
男性でも女性でもいいから、それこそ心同じくする人と。

でも、そんなこと実現させる気はない。
おそらく、私の場合、死ぬまで余暇とは無縁だと思う。

あるとき、これから平穏な生活を送ることができるだろうと、誰もが思ったときに、母に言った。

そんなはずないじゃない?まあ、神様が私にそれを許すわけないと思うんだよね・・・。

ええ?

母には何を言っているのかわからないことを言った。
そうそう、その後、とんでもなく忙しくなった。
無用な責任感を発動する場所に置かれ、それまでの方が、幾分主婦の方が勝っている生活だったのに、こともあろうに、本格的に仕事をすることになり、いったいこの子の人生は何?と母は思ったに違いない。
とはいえ、母こそバリバリ働いていたかった人である。

意外に、家庭に入ることばかりを説いてきたはずだった父が、私の社会復帰を喜んでくれ、ちなみに開業することを一番喜んだのは父だった。
いったいうちの両親は私に何を求めていたのだろうか?

などと言う、あれこれを思い出しているが、おそらく予感として、もし神様がいるなら、私を遊ばせてなど置かないだろう。こちらでは、ひところ、女性が家にいて仕事をしないことを、

遊んどる。

と表現され、なんとまあ、私のような人間にはつきづきしい土地に嫁に来たのかと思わされたが、逆に専業主婦を求められたという、私の人生は逆説的なことばかりが起こる。いや、逆説というより、これではダブルバインドではないか?

まあいい。
母に言わせれば、何にでも興味を持って、楽しいことにアンテナ張って生きているらしい私は、いつも次に何楽しいことをしようか?と虎視眈々狙っているらしい。

そうそう、昨日は、高二の男子(これはジョブズにの彼。)と、まあ、壮大なことを、

一緒にやるか!?

と数年掛かりのことを話し、なぜか思い切り乗ってしまった。
最近したいと思っていたことが実現するかもしれない。

まあね、周りからは相当呆れられる話ではあるけれど、彼は相当にやりたいらしい。
でも言いだしたのは彼である。

僕ね、そっちの方が向いているかもしれない・・・。
宇宙飛行士よりも。宇宙飛行士は自分がやりたいけど、でも、人のためになったり、世の中変えるためには・・・。

と言ったのである。

あーら、あなた、もしかしたら使える人!?

と思ってしまったのは私の方である。
昔、こういう考え方ではなかった。

どこか文学部だと、のつのつしそうだったのは、私は社会に関心がある。
少しずつ働きかけていきたい気持ちがある。
そもそも文学部にいると、自分の関心だけを追いかけても成り立っていたから、本当にしあわせだった。
自分のことだけ考えるのであれば、家で平和に家事していたい。
でも、これは夫の影響もあるような気がするが、いつも社会の話を聞いてきたので、私の目は、どうも社会に向いている。
だから、国語は専門だけれど、どうもそこにとどまってはおれないのである。

そこに、思い切り国語を教えている対象であるその彼から、そういう発言をされるなんて・・・。

ということで、今日も仕事に参りますが、私は、やっぱりそっちの方に関心があるのかもしれないな。(笑)

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