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休暇明け、お誕生日に馴染みの公園を歩いて郵便局に行く

一昨日、昨日と二日間お休みをいただいた(第五週に当たるので。まあ、当然の権利!?)。明けの今日はお誕生日。
とはいえ、超絶睡眠不足だった私。もう精神にも影響が出ていて、誰かの人ことを聞いただけで、響く響く。

こんなことお医者様に言ったって、

何かある人が、そんなにべらべらしゃべりません!

と言われるだけに決まっているので、誰かを頼る気はなしなし。

とにかく眠りたかったので、この三日間(そう、お誕生日の今日も、さっきまで眠っていた。)、眠りに眠った。
途中、コンビニと本屋さんには行き、おもしろかったので、本は一冊と半くらいは読み、「虎に翼」は厳重に観た。
ご飯も食べたいものを食べたいときに食べ、

私はこの三日間、使い物になりません!

と宣言して、誰からも何にも用事が来ないようにした。
おかげでラインも誰からも来なかった。(笑)

どういう友だちかわからない人たちからはたくさんお誕生日のお祝いメッセージをたくさんいただいた。こんな表現してすみません。

宣言の効力は素晴らしい。

おかげで眠りに眠った。
一日目。どうもあちこちが凝っている気がする。
マッサージ屋さんに出向く力もない。
そこで、まだ箱に入ったままになっていたフットマッサージャーを出して、マッサージをするとちょっとましになった。

お気に入りの入浴剤を入れた湯船に浸かり、好きな時にご飯を食べ、マッサージをして眠るだけ眠った。

それでも最初はあれこれ気になることが、ふと頭をよぎり、あれこれ人の顔が思い浮かぶ。

○○が~と言っていたなあ・・・。

とか、あの件、まだ片付けていないなあ・・・。

とか。
あれこれ指摘されたこと、これからのご要望。面談時の話など、とにかく自分を責める材料には事欠かない。

かてて加えて、家の収納はどうなっているのか?私の本が溢れかえっているではないか?
キッチンの用具類の置き場を何とかせねば、家事の効率化が図れない。
ああ、もう衣替えの季節・・・。

数年前は、その時お気に入りになった、THEという洗剤で、お洗濯をし、GWは喜んで衣替えをしていた。割とそれが恒例だというのに、そんなことを楽しむ余裕などないのはどうしたことか・・・?

ともあれ、休暇明けの今日は、ちょっとばかり体調が戻ったので、それに世の中は結構荒んでいるのだとわかって来たので、まあ、そんなものだと思うことにした。

教室に着いた。
やることは山ほどある。
英検2級合格させることを目指して、今の生徒さんの状態に合わせて徹底演習しなければならない。今回は相当手強い。

それに、東大クラスを設けたが、この中で結構個人的に悩んでいる生徒がいて、あれこれ面談をしている。
結構根源的な悩みを彼らはそれぞれ見せて来る。
決して指導の問題ではなく、むしろもっと哲学的な、あるいは個人的な生き方に関わる問題であったりする。

そういうあれこれを考えながら、郵便局に用事があったのを思い出し、教室の目の前は交通渋滞だったので、なぜか歩いていくことにした。
名勝古城公園を突っ切って、回って行けば結構な時間が掛かるところを10分くらいで行くことができる。


古城公園の周りには可愛いお花が咲いている。ここはアジサイの名所。

古城公園に入ると、先日まで桜が咲いていて、人でにぎわい、お店が出ていた広場の緑がきれい。


先日まで屋台が出ていて、桜が咲いて、人でいっぱいだった。


この静けさがいい。この公園の近くにいると思っただけで、大変にしあわせに生きていることを実感する。

通り抜けた先には、かつて住んでいたことのあるマンションがある。
札幌から帰って来てこのマンションに住み、その次の春には、息子が幼稚園児になった。その幼稚園バスが、他の幼稚園のバスとは違って、何にも書かれていなくて、ママ友たちで、工事現場のバスと呼んでいた。

他の幼稚園も体験に行ったけれど、当時免許を持っていなくてほかの幼稚園は遠かったからいざというとき行きにくくあったし、札幌で娘が通った幼稚園と料金があまり変わらないように、つまりは先々そんなことで姉弟喧嘩にならないように、そちらに決めた。程よく遊ばせてくれて、程よく勉強させてくれた素敵な幼稚園だった。
結構順応性のあるタイプなので、英才教育系の幼稚園でも楽しそうではあったけれど、まあね、いろいろ考えて(英才教育系に入れることは、どうも義妹さんのところのお子さんとのバランスで、お義母さんが嫌がられたというのもあった。)、その幼稚園にした。
そのとき、入園前の準備をしていながら、ちゃんと息子を迎えに来てくれる場所に、しっかり息子の名前が書かれていることがとんでもなく嬉しかった。
息子の時もそうだったけれど、幼稚園バッグに平仮名で、名前を書くとき、
ああ、この子はちゃんとした名前をもって社会に出ていくんだな、とじんわり来たものだった。

もっと言うなら、○○ベビーちゃんと呼ばれていたのから、初の小児科での検診で、初めて家の中ではない社会で、ちゃんと○○○○ちゃん、とか○○○○くん、などと呼ばれたとき、私はいちいち感動したものだった。

ああ、この子はこうして生きているんだ、ちゃんと社会に受け入れられているんだ、と、社会に出ていくのを祝福してやりたい衝動に駆られた。

そんなこんなで思い出のある場所を歩いて、そして、ラジオ体操などをした場所も横切って、そしてお堀のそばの柳の揺れる素敵な道に出た。


お堀が美しい。かつて娘がパパとお船に乗ってこのお濠を遊んでいた。児童クラブの地蔵盆をやった場所でもある。


呉東に住む予備校の同僚が遊びに来てくれたことがあった。要するに傷心の私を慰めに・・・。高岡に遊びに来て、案内されたかっただけではないか?という疑いもある。帰りに秋吉で焼き鳥を食べたことを思い出す。人に新年会の準備を押しつけたお詫びか?(笑)


そしてかつて夫が勤務した場所の前を通り、無事郵便局に辿り着いた。
この通り、かつて息子の出目金事件のあった通りである。

そう、時は同じく御車山祭りの日。
大和百貨店の前の金魚すくいをして、金魚をもらって帰って来た。
その帰り、息子はぐずぐずぐずぐず言っていた。
何を言っているのかわからず、ちょうど夫の勤務先の前を歩いていた頃、私はもうこいつ、引っ叩いてやろうか・・・?と思った瞬間、閃いた。

もしかして、あの大きな黒い出目金がほしかったの?

と訊くと、奴は、神妙に、

うん・・・。

と言った。

そういうことか・・・。どおりで金魚すくいのなんて言うの?あのすくう紙を、途中でお姉ちゃんに渡した。
なんで自分でやらないの?と思っていた。
どおりで、

お姉ちゃんが、お姉ちゃんが・・・。

と言っていた。
ぐずぐずぐずぐず。姉の方がときにはっきりしている。息子のこういうところ、母に言わせると私の小さいときに似ているらしい。

それから私は、あの出目金はどうやってももらえないことを話した。ちょっと盛ったとはいえ。
あの出目金は、すくおうとしたら、紙がすぐに破けてしまうの。パパがやったって、どんな名人がやったって同じなのよ。それに何匹小さい金魚をすくっても、代わりにもらうことはできないのよ。

納得すると早い息子は、それきり何も言わなくなった。

まるで神様から私の育児を試されているかのような瞬間だった。
あの日は、ちょうど今から○年前だった。ちょうど五月一日の御車山祭の日のことだった。
子どもの心だけはしっかり聴こうと思って生きてきた。
ああ、あの時叱りつけたりしなくてよかった、といつまでも思い出に残る出来事だった。

県内あちこちに思い出の場所がある。いや県内だけではない。
そして、その時その時の経験が、今の私を作ってくれている。

今日、高校生男子と、周りとの違いについての話をしていた。
かつて私が悩んでいたことと同様の話をしてくれた。
ああ、私も同じようなことを考えていたなあ、そして結構窮屈な思いもしてきたなあと思っていた。
それをあれこれいろんな経験が私の考え方も感じ方も広げてくれた。
彼にもいつか今の悩みが自分を大きくしてくれたと思ってくれる時が来ることだろう。


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