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話さなくても、心が通じ合っている、黙っていても通じ合っているという安心感

何度も話さなくても大丈夫で、つながっていると感じる関係について書いてきたのですが、そう、私のもかつてはそばにいました。
私の考えていることなどお見通し。
むしろわからなかったとしたら、

もっと早くに教えておいてほしかった・・・。

と言ってくれる関係の人。

父は言葉数の多い人ではありませんでした。
それに、その時現在の状況を、決して良く言うのではなく、自分のことを謙遜して語る人でした。
婚家の父は、どちらかと言うと盛るタイプだったと思うし、大抵の男性はそうあるような気がします。メンツがあるから。
夫を介して聞く義父は、本当の姿よりもずっと偉く、現状よりも素晴らしいものだったのだと亡くなってから知りました。
私は、父の姿を見ていたからか、自分の今の状況を必要以上によくは言えません。
今そばにいる母に呆れられるほどです。

もうちょっと、自分のことを認めてあげたら?

と言ってくれます。

これは、ちょっとお付き合いしただけの業者さんの言葉ですが、

櫻井さん、アスリート気質ですよね?それも、結構な、○○選手みたいな・・・。

と言われて、それは納得していました。
ならば、櫻井選手、結構今、トレーニングの仕方をさまよっているのか?(笑)

昔新卒で勤めた学校で、まあ、母親世代の奥様方がたくさんいらっしゃる中で(奥様方が学校のあちこちでお手伝いしてくださっていたから。)、私という人間を観察していた方がいらして、

結構完璧主義で悩まれるところあるから・・・。

と言ってくださいました。
完璧主義の割にはできていないことが多くて、いつも悩んでいたのですが、これは絶対的時間が足りないことを、どうも自分ができていないと思っていたということのようです。

できていないことを突く人もいます。なんとか弱点を指摘したい。
で、指摘されると、そこについて頑張ってしまうので、結局仕事量が増え、今日みたいにバタン!と来ることになります。

昨日、今日、私は休んでいます。
もう、何も考えないで、休むことにしました。
本当は、明日から三日間休んでも良かったのですが、さすが生徒たちの定期考査のことを考えるとそうもできず、とりあえず二日間休みました。

完璧主義だという言われればそういう側面もあるのかもしれません。
だから、一生懸命にやっているときの、誰かから、言われたこれができていない、という表現には結構堪えます。

たとえば、○○になったら、○○がしたい・・・。

というような表現。
家族のために、どうしても私がしなければその○○ができないというときに、私は自分を責めます。
そう思っていたのに、させてあげていなかったのだな、と。

相手はそこまで考えていないのだけれど、そう、考えずにすんでいたのだろうけれど、私は責めます。

ただ、その辺りをよくわかっていた人が二人。
私の状態を見て、無理は言わないし、私が困っていたら、そのことについても考えてくれました。
そうそう、います。私にも。沈黙が怖くなくて、話さなくても大丈夫な人。

生きてきて、この二人だけは、私のことを理解してくれている、と思ってきた人。
もしかしたらどこかで無理をさせてきてしまったのかもしれない。
でも、わかってくれている人。

世の中に、二人いれば十分。
私の性格をわかってくれて、そっと理解を示してくれていて、こよなく愛してくれてきた二人。
その存在はありがたいと思うのです。

どこかで他人に、何も言わなくても大丈夫で、沈黙していても大丈夫で、話さなくてもわかっている人を求めていましたが、それは贅沢というものです。
人生のある時期だけで、それはもう、誰かと共に人生を歩むことになるのは間違いなくても、自分のことを精一杯愛して、理解してくれていたと思えば、心温かくなります。

本来は、弱いところも見せられるのが、人間関係だと思います。
思えば私の弱いところも全部見ていたのが二人です。
絶対に強くあらねばならないのではなくて、

仕方ないなあ・・・。

とも思ってくれていたような。
出会ってから、どちらも愛しそうな目で見つめてくれていました。

私がアスリートにならなければならなかった理由に私は今気づきました。
なぜか?
もしかしたらよく眠ったからかな?

結婚してから、義妹さんが、何でも私に頼み、あれこれしてほしいと言われることが多かったのです。例えばお買い物やチケット購入、あるいはその場にいて、自分の赤ちゃんの哺乳瓶の蓋閉めて・・・、というような。
そのことにお義母さんは、新しい買い物などをするのに、婚家での妹さんの立ち位置だけを心配して、私に申し訳ないなどという思いはなかったのでした。

お義父さんは、

あんたに○子、○○頼んだんやろ?

とわかってくださっていました。
同じ年の義妹さんの姿が当時、わかりませんでした。
でも、不意にわかったのです。

誰かに一杯愛情をかけてもらっていないと感じていた人は、甘えられる人がいると一生懸命に甘えます。きっと、私なら、何でも言っても大丈夫、と思われたのだと思います。
それは夫も同じ。
朝起きて、会社に行くまでに、あれこれやらかしていました。
コンタクトレンズの洗浄液の蓋も開けたまま。もちろん歯磨きチューブの蓋も開けたまま。
何一つ自分ではしないで、私に手を掛けられたいのでした。
もう、一日の仕事が終わらない。
それに、早朝に出て、夜遅くに帰って来るので、こちらの生活も不規則になります。合わせていたら疲れ切ってしまいました。
最初こそ疲れ切っていたけれど、段々に慣れ、できていないのは自分のせいだと思い始めました。
それから家事スキルがずいぶん上がりました。

実は、先日から変な夢を見てばかりです。
疲れて、できなかったことばかり気にしながら眠っています。
だから、私はどうも来し方で、どうしようもなくてできなかったことも、全部自分のせいにして、今、完璧主義完全発動のようです。
でも、子どもたちや夫同様、生徒もあれこれ言います。

先日は、超絶優秀な高校生から、

先生、今年の受験生を見るのが忙しくて、僕らのことが見れなくなったりするのかなあ・・・。

いやいやいや、そんな事実は過去になかったのです。

ちょっと、そんなことあったの?

と聞いてみました。

ないですけど・・・?

彼は、学校帰りにやって来て、できれば私のそばで勉強をしたがります。それに優秀な生徒が言わないようなことまで私に言い出します。
きっと、どこにも甘えられなかったのを私にぶつけているのだと思います。

かつて、息子が、家で、お友達の前で、私に抗議しているのを見た息子の友人が、

お前悪いぞ。家のかあさん、もっと怖いぞ。

と言われていました。
私は甘い母だったようです。
勉強についてもうるさいのとは真逆。
国語の教師、娘や息子が漢字をしっかり覚えないと言われて、何度個人懇談会で先生に頭を下げたことでしょう・・・。

私は予備校講師です。今は、塾の先生で一応代表です。
でも、彼らは時に私に甘えます。
バシバシ指導していればいいだけでないので、ときに、なんでも心の中にあるものを吐き出してくるので、おそらく受け止めるのに疲れてしまったのでしょう。

それに加えて、家の小さなママちゃん。
この人は次女で、どうも伯母を頼りに生きてきた人です。
真ん中っ子で、愛情不足だと思ってきたので、どうも生まれてこの方、私を頼りにしてきたようです。
だから、シチュエーション的に、ちょっと無理があったにもかかわらず、

私、お父さん死んだら、どうしたらいいかしらん?

と訊ねたら、即答で、

真弓のところに行けばいい。

と言われたそうです。
想定の範囲内だったからこそ、私は若いころから、そのための準備をしてきたようなところがあります。

なんだか、ぜーんぶ、受け止めていたのだなあと思いました。
それは疲れる。

母も、どうも、よそのおばあさま方よりもあれこれ私に言っているし、私も、母のご機嫌が悪くならないようにと努めています。

たぶん疲れていたのでしょう。
どちらからも、ちょっと言えないことをあれこれ聞いていたので・・・。
そうそう、自治会の困ったちゃんも、おそらくは、現役引退して、その寂しさを私にぶつけていたのに違いありません。
目の前に現役バリバリ働く女。
昔の武勇談を聞かされ、あれこれ添削され、私ができていないことにしていました。

ちょっとみんなの気持ちを受け止め切れなくて、私は疲れてしまったようです。
生き方を考えるときが来ているのかもしれません。

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