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『置かれた場所で咲きなさい』について

出版されてすぐ、渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』読みました。
渡辺和子さんを知っていたからです。
たしか高校時代、進研ゼミの小論文の添削を受けていて、そのときの教材の中に渡辺和子さんの文章があり、どういう人か知ったのでした。

我慢というのは違うと思います。
どうしてそこで我慢となるのでしょうか?
引用させていただいた記事は公務員の方についてのお話ですが、仕事であろうと、あるいは結婚やその他の人間関係であろうと、たまたま出会い、その場にしかおられないという状況になることがあります。
私の場合、けっこう周りが私のために動いてくれそうになくて、つまりは、言っても無駄だ状態だったので(これは決して主観的な問題だけではなくてそうでした。)、自ずとその場で何とか生活していかなければなりませんでした。私の徳のなさというものかもしれません。(笑)

初任の学校でも、最初は、

これが本当に夢見た仕事だろうか・・・?

と悩んだことがありました。
婚約者がいましたから、別にすぐに結婚すると言えば、そうなることはわかっていました。したかったどうかは別にして。(笑)

そのときに、ある人がおっしゃいました。

ああ、あなたが今結婚してもうまく行かないわね!だって、それは逃げだもの!

そのときに、つくづく、逃げるのは良くないのだなあ、と思ったのです。
逃げたって次も同じかもしれないな。
とりあえず全力を尽くそう、と。

そして、三年間いろいろありましたが、逃げたくなることもたくさん経験しながら、最後は辞めたくないと思うくらいに充実した日々になって、退職できました。
その後もそうでした。
私はわりに条件の悪いところに置かれることが多いのです。
まあ、言ってみれば、○○だったらいいのにな、という、まあ楽なことにはならない。大抵大変さで言えば最悪なものを引いてきます。

札幌に行くときも、あの人と一緒は嫌だし、そこに行くはずはないけど、絶対にそこに行くな・・・、と思った場所が映像になって頭の中を流れ、その直感はまともに当たりました。
大っ嫌いな人がいました。その人が先に札幌に旅立つ時は、それなりにお別れをしたのですが、これでは終わらないなという予感がありました。

自分のことをキレイだと言ってはばからない。いろんな判断をしても全然違う。とっても賢そうに振る舞われますが、簡単な漢字をお間違えになっておられる。それなのに、私のことを大いにバカにしたくて仕方がない。そもそも同じ会社出身の人同士のご結婚でうちとは違いました。
上手に使われるだけ使われて、さんざんなことを言われて、挙句の果てに私がその人を頼っているという構図まで作られているときには呆れました。
一方、私は、会社に向けてはかなり役にも立っていました。
合っていなかったなあ、と思います。

でも、ただただ一生懸命に生活していました。
周りで言われたことなども知っていましたが、とりあえず一生懸命生活していました。
そして終わるころ、つまりはそこでの生活が終わって引っ越すころには、それなりに頑張って来て、ああ、たくさん学んだなあということがありました。

その場所で咲く。それは我慢ではなくて、その場で精一杯楽しめるまでやってみるということだと思います。そして、そこでの工夫がちゃんとできて、それなりの成果を出したときには、その次があるのだと思います。
自分に起こってきたことはすべて課題だと思って、やってみるというのはいいと思います。

ただし、横暴な人がいたり、法に触れるようなことがある場合は別です。
とこういうことを書かなければならない時代になったのだなあと思います。
というか書けるようになったというか。

本当にいろいろなところを渡り歩いてきました。
行くところ行くところ、本当に大変なところのことが多かったのです。
開業したところはそうでもないし、それ以降は、年齢も重ねてきたこともあり、まあまあそうそう大きなこともなくやって来れています。その代わり、仕事上のことはもっと大きな責任をもたされていますが。

若いころを考えてみると、誰でもそうだとは思いますが、どれ一つとっても楽なところはありませんでした。
その分学びが多く、どこそこでやってきたことというのはしっかり思い出せるほどの内容があります。

時折、本当に昔お世話になったり、あるいはお付き合いのあったりする人からご連絡があったりしますが、話してみると、あまり以前の考え方とお代わりになっておらず、下手すると、

エッ!?こういう方だったの!?

と思わされることも多く、あちこちで鍛えていただいてきたなあ、と思わされるのです。というのも、相手の方が、その方とお付き合いしていた頃の自分に対しておられるようで、

ああ、私はずーっと成長してしまっているのになあ・・・。

と思わされるお話しぶりだからです。

何度も何度も新入りとして始まるということも経験してきましたし、いつまでも働きたいという意味では、開業もし、いろいろな方と出会ってきました。

その中で結構学ばせていただいてきたことが多いなと思います。
事柄がなければ学べません。
ちょっとばかり大きめの困難というか乗り越えるものがなければ成長しません。乗り越えようと努力するからです。

そしてできることがどんどん増えていきました。
できるということにあまり焦点を当てたくないし、できるということより、人と心の交流があるほうが私は好きです。ただ、できることが増えると、人のためにできることも増えますから、役に立つという場面にも出会いやすくなります。

そういう意味で、ただの我慢とせずに、置かれた場所で咲くということは大事なことだなあと思うのです。

もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。