見出し画像

ぶっ飛んだ私との付き合い方ー自分なりに。

私は自分のことがわかりません。
だからときにnoteでその戸惑いを書いてしまうことがあります。
16パーソナリティの診断結果では指揮官だなどと出てしまうし、かと思えば世間では温和な優しい人扱いもされ、時に自分でも混乱します。
行って見ればここはどの自分で行こうかな?と思いながら、結構、柔柔手加減しながらやっているというのが正直なところです。

数年前、まあ、他に辛いことがあったからですが、気分転換のつもりでビジネス系のセミナーに参加したことがありました。
その先生にはいつかお会いしたいと思っていましたが、いきなり距離が縮まってしまったようで、困りました。
いきなりキャラが濃い、大阪人だと言われてアイデンティティは崩壊しそうでした。
だって、それまでは今いるところに合わせて思い切り自分を違った自分へともって行っていたし、それなりに抑圧もあったからです。

キャラの濃い先生に、キャラの濃い人扱いされたら、もう怖いものはありません。
というか、いつの間にかこんな人間になってたの!?
と思い知らされたというか。

その戸惑いをすっかり表してくださるかのようなしいたけ先生のお言葉です。

だいたい私自身がそもそもキャラの立った濃い人間なのだと思います。
それがキャラの濃くない人が自分にとって目上の時に、大きな気持ちで受け止めてくださるのならいいのですが、そうはいかない時に悲劇は起こってきたのだと思います。

小さいころから普通になりたいと思い、それだけを目指しているうちに、すっかりおとなしくなっていました。目立つことは悪だとばかりに。

けれど、それも高校時代に周りが結構何でもやってしまう人たちの中に入り、そういうことを言っているとダメな環境になってしまったので、また元の木阿弥状態になってしまったのだと思います。

いつの間にか自分で自分の教室を立ち上げ(本当にいつの間にか?)、それなりにあれこれ人とお付き合いが生まれ、それに転勤も含め、あちこち引っ越してきたので、いつしか新しいところに入っていくことも、その時に起こるいろんなことも、乗り越えてみたり、仕方がないと割り切ってみたりと、処し方も、こころのもって生き方も学んできて、いつもそれなりの慣れる時間を要した後は、なぜかあれやれこれやれとおとなしくしていることを許されない雰囲気になってきます。
いつも新参者で、その土地に長らく住んでいなかったりもするのですが、本当に容赦なしです。(笑)

ときに思います。
いったいいつそんなことやって来たのだろうか?

人をお迎えして、ホームパーティをして、その時の時間配分や材料の買い出しの時間、そしてそれを料理する時間と手順。
少々のブランクがあっても、もう身体が覚えてしまっている。
そうかと思えば毎年いつの間にかやって来る受験指導を、まだちょっと先の頃には、大丈夫だろうか?と忙殺の時期を心配しているのに、結局何とかしてしまっている・・・。それも身体が覚えてしまっているのです。

ここはとおなしくしていたい、とかあまり意見を言いたくない、と思っても、そうそう何か言っても受け入れられないという経験をしてきていないから、というのもありますが、結構過去の経験が私の背中を押して、何も言わないよりも、誰かのためになるほうを選んでしまっています。

生徒たちには、私は昔はおとなしかったから、と話しますが、そのおとなしかった頃よりも過去の自分は、やっぱりなかなか濃いキャラだったのだと思います。

だからか、あまりに自分を全開して人とお付き合いすると戸惑われるというのもわかっているので、私自身もそれなりに引くようにしています。
それが自分の力を正しく見積もらず、ここは初心者だから、とちょっと背伸びするくらいの気持ちで出ると、しっかりキャラの立った濃い人扱いされます。いつの間にかそういう自分になってしまっていたのでしょうね。

そのことを嘘ついているみたい、とか、本当に私をわかってくれる人はいない、だなどと否定的に見ていたのですが、どうもそうではないと考えてもいいのかな?と思い始めています。
それはその人のもつエネルギーとか、やっていることには裏表あるとか・・・。

できるだけ裏表のない人間であろうと心掛けていますが、それがいいのか悪いのかもわかりません。
ちゃんと闇をもつこと、それを自分に認めることは大事だな、と思っています。
その闇をどこにもつかは本当に難しい問題だとしても。

どこかに表立って何かをやるということは、陰陽の関係で、当然その表で発したエネルギーの分だけどこかで自分自身と付き合わなければならないものだと思います。その時間というのかな?

それをこそ上手に言い表してくださったしいたけさんのコラムに感謝しています。
というか書いていただけると、そういう面を認めることができます。

私の場合、もしかしたら自分の闇を、家庭生活は仕事で、仕事でのことは家のことで、発散させている気がするので、それが自分の闇との付き合い方になっているような気もしています。
いつかもっと闇が見えてくるのかもしれないし、その時はもう少し自分に優しく、その闇の部分を受け入れてあげようと思います。

もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。