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いじめる人って、結局弱い・・・。


昨夜、ああ、なるほど!という記事に会いました。

揶揄われやすい人って、結局舐められているんだ。

あら、そう?と思っていました。
大抵いじめられるのは嫉妬が絡んでいるように思うし、まあ、いじめる側が弱そうだし、と思っていました。

その人に言わせると、キツいことやひどいことを言われやすい人というのは、優しい反撃してこない人だそうで、同調性が極めて高くて、誰にも合わせる、攻撃性のまいから、その内面的精神的何かの強さが嫉妬されているとのこと。その嫉妬心の持ち主が、強い人に対して攻撃的な言葉を話して動揺させるのだ、と。

もうわかるわかるわかる!

要するに、きつい言葉をいうひとにとって、このような優しい人は脅威だから、いろいろ陰口を流して落とします・・・。

だとしたら、その陰口を聴いた人というのは、一時は同調するだろうけれど、その人にだって良心もあれば自身の判断力もあるので、いわれのないことを言っていたとしたら、後で反省もするだろうと思います。

だいたいにおいて、悪口を言ったり、陰口を言ったりする人って弱いと思います。
だって、強ければ、他の人のことを気にしている間に自分のやるべきことをやるでしょうから。

私は、この攻撃的な人と言えば思い出す人がいます。
下手だということを正論にすればなんとでも言える世界にいました。
今考えても、2人、まるでいちゃもんか!?と思われることを言っている先輩がいました。
何を頑張っても、何を一生懸命にやっても、私のしたことだけは認めませんでした。
1人は学年最下位。1人は高校始まって以来の秀才と謳われた人です。
とはいえ、この2人は中学校が同じで、もともと仲が良い。
私のことなど何を言っていたのかわかってものではありません。

受験のために引退したつもりでいた始まって以来の秀才の先輩が、コンガを叩いた途端の、あの最下位の先輩のニヤリとした顔を忘れはしません。
おそらくは先輩自身もその場面をしっかりと覚えておられると思います。(笑)

お前とは違うねん・・・。

機会あって先輩のお話を読んでいると、正直、文章に中身はないし、経験から学ぶということもあまりなかったのだなと思わされるし、一方被害者面しているのが可笑しくもあります。挙句の果てに、自分は障碍者?やって来たことみんな障碍者のせいにしている。それは健常者ではない人みんなに失礼というものです。
それに、お金をもらって聴いていただく音楽について、このレベル?という出来。朗読も、国語の教師にとっては笑うしかない。

自分がやったことは自分で刈り取るしかない。
人生に起こってくることはなんだかんだ言って、自分が過去にしてきたことと関係があるものです。

最近まで気づいていなかったけど、先輩が高3の時の私が高2の時の年賀状に、

この一年の君の精神的な成長には目を見張るものがあります。
今度は僕の番です。頑張ります!

と書かれていて、それなりにわかってくれていた・・・、と思ったものの、ああ、あれは家の親への免罪符がほしかっただけだと最近気付きました。
かつて母は相当怒っており、そんなことカッコ悪くてあり得ないけれど、先輩が私にしたことについて、

お母さん、言うてあげよか?

とまで言い出したほどでした。

そして先輩の受験の後の私たちの演奏会に向けての練習の折、もちろんできていないことなら指摘されなくては練習ではないのですが、今から考えてもこじつけとしか思われないような指摘を受け、もう何十分も演奏を止めて私1人がみんなの前でやり直しさせられました。

まあ、正論としては成り立ちますが、他の人の下手な部分についてはそれほど指摘しない。できていないというならほかのパートでもできていない人はいたと思うし、同じパートの先輩も、正論めいてはいるけれど、いつも難癖をつけておられました。

昨夜、なんで私などがそんなに目を付けられたのか?と考えていたときに、出会った文章。
ああ、感情を出しがちな人が、私のようにあまり怒ったりしない人間がある意味怖かったのだろうな、とも思います。私は別に何をしなくても誰かに可愛がられてもいたし。

私はバンドを離れれば、結構音楽の面では楽器演奏にしても、声楽にしても、

筋がいいですね・・・。

とか、

声もってますね・・・。

と言われてきました。
それなのに、バンドに入るとうまく行かない。
正直、男性が怖かったのです。
特に指揮者の感情的な先輩が。

指揮者一人で、そのバンドをうまくも下手にもできると言われます。

それなら、先輩は私を育てられなかったのだと思います。

そんな人が、教師になりたいだのなりたかっただの書いていることがちゃんちゃら可笑しくて、いい加減にしてよ!と叫びたくなります。

そんな人1人を生かすことのできない人間に、教師は務まらない。
どこか高校時代、その先輩を思って、おもしろくなかったと思ってしまう自分がいます。
その2人の顔がなければもう少しは楽しかったかな。
いえ、そんなことは誰にもあることです。

同じではないけれど、全く偉大過ぎて例に挙げるのがおこがましいけれど、ノーベル賞受賞者の山中伸弥先生も、しつこいくらいに、研修医時代の先輩の先生について書かれています。
体育会系のシゴキについては免疫のあった先生が、その先輩の前二で得ると委縮してしまって動けない。

お前なんか邪魔や!ジャマ中や!

ちゃんと名前を呼んでもらえたことがあったかどうか記憶にないそうです。
その鬼軍曹のような先輩も、温厚そうな山中先生がちょっと脅威だったのかもしれません。

生徒に話すと、

それはやっぱり科学者として、言わなくてはならないのでしょうね・・・。

ということでした。

私も音楽を愛好するものとして言いたい。
たった一人の音楽を好きだと思っている人間から、一生モノの音楽に向かないという意識をいつまでももたせてしまうようなことをしてはならないのではないかな、と。

別に先輩に何も言うつもりはありません。
というか関わりたくないし。

でも、嫌い。一生嫌い。
そして、どうも私は一個人としてよりも、教師として怒っているような気もします。
あまり個人的恨みを持たないようにしている私ですが、こと生徒を潰された、というような事態になったら怒ります。

そういう意味で、1人の教師であろうと、他の仕事を摺る人であろうと、いじめるなんて、その人が徹底的に弱いのだと思います。

でもね。まったく不遜ですが、その山中先生の先輩のように、誰かの思い出の中に嫌な人として登場し続けるのでなくて、自分のエピソードの中に嫌な人として登場し続けていただけるような人生を歩み続けたいと思います。

とっくにきっと昔やっていた音楽だったものが、今での追求し続けているのは、先輩方がおられてあれこれ言われたから、今でも音楽が手元にあります。きっと一生音楽を関わることを止めないでしょう。

それはその先輩方がおられたからとも言えます。
私は私の人生の中に、その人たちが登場したから、だから、というものを大事にしたいと思います。
決して一方被害者面するのではなくて。
被害者でいるうちは自分がしあわせではないので。
もし会ったとしたら、私はにっこり笑って、ご挨拶するでしょう。
もちろんこころの中で、少々軽蔑する気持ちはもっているかもしれないけれど、でもその人たちにいつまでも影響を受けていると思われても困りますから。

なんでまたこんなことを言い始めたのでしょうか?
きっと昨夜、強い言葉やきついことを言う人の心理を読んで、納得したからでしょう。



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