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仕事ができる人の私なりの定義

ご本人がその仕事をよくできる人も、その人がいると周りが頑張る気になる人も、それは仕事のできる人だと私は思う。

誰かが仕事をするときに、何となく言葉を掛けて、俄然やる気が出るようになる人って、もしかしたら家庭人にも相当向いているのかもしれない。
別にその人その人の生き方にあれこれ言う気持ちも介入する気持ちもないので、誰が主婦になろうが、主夫になろうが、他人様のご家庭にどうのこうの言うのは、それなりに暇だと思ってしまう。

だいたい、誰かのことをあれこれいちいち言っている人と言うのは暇だと思う。
それに、自分のことを一生懸命にやっていると、そうそう人のことまで気にする暇がないというものである。

誰かがいるから自分の立場がないとか言っている人って、そんなこと言って自分のことにこだわっている時点で、相当にお時間をお持ちなのだなと思ってしまう。そんな自意識過剰なこと言ってる暇に、スキルアップになるような何か勉強するとか、あるいはうちに帰って、おいしいお料理の一つでも研究するとか、自分が向上するように努めればいいものを、誰かの足を引っ張るためだけに時間を費やすなんて、その効率を考えただけでも、間抜けである。(笑)

効率。そう、効率。

有能な奴は、その有能さを最大限に引き出し、世の中のために使わせる。それが効率の良さと言うものである。
嫌な気持ちにさせて、足引っ張ってたら、どの道自分の利益にもならない。
社内に有能な人がいれば、社外の人に十分誇れるし、本来本当に優秀な人なら驕らないから、もっと優秀になって、役立ってくれるだろう。
家の中においても、家の中にいる若いものがなかなかいろいろできるなら、私なら、

○○ちゃん、あんたの方がうまいから、○○やってくれる~?
私、仕事しかできんから(家事が好きであっても?)、外行ってお金稼いでくるわ!

とか言って、ときどきお小遣いをあげておけばいいと思う。
私が大阪出身だからか、言葉なんてなんとでも。
嘘でなくても、一部をデフォルメして語れば、要するに、家事より仕事の方が好きな気持ちが、日によって変わるとしても、そういう気持ちが三日に一回起こったとして、その日の気分を語れば、全く嘘にはならない。

仕事のできるキャリアウーマン相手なら、

私、あなたほど仕事できないし、私が外に行くよりも、あなたが外に行く方が世の中のためになるから、どうぞどうぞ。私が家の中のことをしておくわ・・・。

でもいいかもしれない。

だいたい私も含めて、なんでも、私が、私がとなるからややこしくなる。

と言うのも人間だから・・・。
年上だ年下だ、嫁になんで言われなならんねん、なんて感情論で語っている間って、どこか自分を握りしめて、自意識過剰に陥っている。
目の前の誰かの役に立っていればいい。
それでしか自分の存在価値はない。

ならば寝たきりのお年寄りに価値はないか?
そんなことはない。
いてくれるだけで嬉しい人がたくさんいてくれる。
私には素敵な祖父母がいたが、遠方に来てしまったけれど、ひ孫のことも大事に思ってくれて、例えば市の広報誌の入学式の様子を写したものに大きく載せていただいたときなど、私は実家と祖父母の家にも贈った。
市役所に行って、これこれしかじかの理由で、あと二部いただけませんか?とお願いした。

おばあちゃんは、

しっかりした顔して・・・。まゆみにそっくりや言うて(ブサイクやって?)、あきひろ(叔父)と笑ってたんや・・・。

って言ってくれた。叔父が家を継いでくれていたから、仕事場にもなっている祖父母の家に日常的に出入りするのはこの叔父だった。叔父はその家で初ひ孫を産んだ私を揶揄ったときには、本当にこの人気持ちのきれいな叔父だなとつくづく思った、そのお嫁さんも、後から来た分際で、私を可愛がり、しつけまでしてくれた。

父は、伯母に広報誌を見せながら、

真弓は仕事と子どもの習い事で忙しいて・・・。時間がないから・・・。

と、心配そうに、でも嬉しそうに語っていたらしい。

実家の方には、というか父方の家は相当にみんな気がきれいで、誰かのことを悪く言うのを聞いたことがない。面白おかしく嫁たちの滑稽な話を祖母がすることはあっても、それも毒のないものだった。
意地悪とか嫁いびりの類ではなかった。

それに、誰かを窮地に陥れて・・・、などということがなかった。

あんな家に育つから、どこに行っても、

先生の育ちの良さは・・・。

と言われて笑われ、誰かに何かされても全く気付かない。

ということが多かったが、後で気付いたことも多かった。(笑)

そう思えば父も母もまじめを絵に描いたようではあるが、でも、誰かのことを悪く言うというようなことがないし、噂話は大嫌い。
何かそれらしきことを言ったら怒られたものだった。
自分を何様だと思っているのか?という話になってしまった。

それはすなわち強さだと思うし、本当に仕事を全うしている人の姿であると思う。
弱い人ほど人のことを思い、足を引っ張ったりする。
できる人というのはそもそも人のことを見ていない。
だって、自分のことに必死である。

昨日、母とドライブをしていて、昔の話を聞いていた。
母は御堂筋の商社に勤めていた。
相当難関で、祖父が、○○と○○どちらがいい?と相談したら、○○がいいということになって、何十倍もの試験を潜り抜けて入社した。
その頃のことをあれこれ楽しそうに話してくれていたが、中でも、武勇談に近かったのは、

一人だけけったいな人がいてて、みんないじめられて泣いていたけど、私なんか嫌なこと言われても、絶対に泣かんかったけど・・・。

と、私の周りの人たちの話が信じられないというように、誇らしげに周りの人たちの品性を語る。たった一人の人だけ嫌だったけど、みんなその人のことを嫌っていたらしい。

でも、そのいじめられても泣かないという言葉に、ああ、この人の娘で、娘もこの人の孫だなあと思った。

娘は、赤ん坊のころから泣かないことで有名だった。いや、本当に泣かないのではなくて、感受性は鋭いから、感動したら泣くけれど、嫌なことや、人に意地悪されたり、情けない系のことでは泣かないのである。
私の友人にも、

あの子強いもん。赤ちゃんの頃から強いのわかってたわ・・・。

と言われたりする。
結構中学時代は壮絶ないじめに絡んだこともあるのに、先生も呆れるくらい根をあげなかったらしい。
私も誰かに嫌なことされたくらいでは絶対に泣かない。
でも、生徒が素敵な合格をしたら、すぐに泣く。
素敵な仕事を見ても、泣きたくなる。
中学校の先生の、素敵な国語の問題を見ても、

ああ、こんな先生がいらっしゃるなら、世の中捨てたものではないなあ・・・。

と喜んでじんわり来る。
誰かのあほらしい言動で、人を貶めるようなバカな発言に泣いてどうする?あほらしい、と思っていたが、

ああ、この人の娘だなあ・・・。

と思った。
母は相当に誇り高い。
間違ったことはしていない、という信念もあり、その昔大阪の御堂筋で、高校卒業後、なにがしかの素敵な仕事をしていたという矜持がある。
この人は本当に間違ったことをしない。
仕事は超絶正確。
数学の先生にいそうな感じ。

強いんだなと思った。
とにかく強い。
娘なんて母親の様子を見て、それをデフォルトにして生きているものである。
この年になって、父も母も強かったなと思うし、自分の仕事を一生懸命コツコツコツコツ正確に進めようし、周りのことも考え、そしていつも親や兄弟姉妹のしあわせを祈っていた。ほかの兄弟姉妹の成功を祈っていた。

生まれ育ったところとは違うところを渡り歩いてきて、そうでない人もたくさん存在することを知った後になって、ああ、両親は強かったなあとつくづく思う。



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