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読書日記



●unnamed memory

3巻まで読んだぞって日記です。

小説版がおすすめ!
読みやすいのに情報量が多くて表現力がすごいなってなる文章で、好きです。
3巻の終わりまで読んでびっくりしたんですけど(あんな終わり方をするとは)
4巻以降でひっくり返るんだよね? と思って展開を検索したら「3巻までの世界観・主人公カプと4巻以降とで派閥があるんですよ」みたいに書いててすごい沼が見えた気がしました。

イメージしたのが海外小説サイトでよくあるめっちゃ長くて壮大でいつまでもこの2人を楽しんでねって続くキャラ小説。

最初の2人のお話、ちょっと違う2人になった2人のお話、またちょっと違う2人になった2人のお話……変化するけど2人の魂はあくまで同じで、永遠なんだ、みたいな。

あのイメージがぶわっと湧きました。たぶんそのイメージで合ってるのかな……?

●読書と読み合い企画について


物語を楽しむ読書と勉強・研究の読み合いと交流・同人会的な読み合い、自分を売り込んだり自分の数字を伸ばす目的意識のある読み合い企画の違いについて。

1、「自分が読みたいから読む」読書
これを読みたいと思って自主的に読む。ネット小説しかり、商業小説しかり。
そこには「読みたい」と「読むことが楽しい」と「続きを読みたい」「読み終わって淋しい」がある。
誰かに頼まれなくても読む。読みたくて読むので、見返りもいらない。「この作品を読むことが自分にとってのご褒美。読めて嬉しい」の世界。
「好きだから読んだ」がある。

2、交流・同人会的な読み合い
同じ趣味を持った人同士で仲間を探すような企画や読み合い。
「ここがいけないと思います」みたいなネガティブな意見は言ったりしない。同じ趣味の人が「あなたもこれが好きなんだね、私も好き!」と楽しむ感じ。お互いの作品でお互いがハッピーになれるWINWINの世界。
ここは同じ趣味同士なので作品を楽しむケースが多く、平和な気がする。
「好きだから読んだ」がある。

3、勉強・研究・ビジネスの読み合い
作者同士での「読んで指摘や感想をください」だったり、企画系。
読みたいと思って自主的に読むのと違い、お話を楽しむ目的で読まない。
相手の技術向上、作品の改善のためとか、自分の勉強・研究のためだったりする。「ここがいけないと思います」みたいなネガティブな意見を言う。
「ココナラの添削サービス」「感想サブスクの読者」といったビジネス読者もいる。
「好きだから読んだ」がない。

4、自分を売り込んだり自分の数字を伸ばす目的意識のある読み合い企画
カクヨムの自主企画やXのRT企画などで「作品読んでほしい人募集。私の作品はこれ(URL)なので私の作品も読んでください。私の作品を読んでくれた方を優先して読みます」系の注意書きがあると4番かなと思う。
他人の作品を読むモチベーションに「自分の作品を読んでもらうため」「自分が目立つ・バズる・フォロワー増やす」があるのが特徴。
「好きだから読んだ」がない。
(あくまでも「そう思える人もいるよ」ってお話です)

●募集企画で読むこととスコップの違いについて

※スコッパー・スコップとは
人気作品、有名作品を把握した上で、「自分はこれが好き。こんなの読みたい」という自分軸を持っていて、キーワード検索+除外検索などを活用して好きな作品を発掘する(スコップする)読者。(自分流定義)
ランキングになくて、世の中の人に知られていない(=埋もれている)作品を「あったあった、こういうの探したらあると思ったんだよね。見つけて嬉しい」とニコニコしながら愛でる人。

例えば私は「推理小説の棚」というのを自主企画で作ったことがあるのですが、考えてみれば「募集するよ」と言ったときに世の中で埋もれている推理小説が全部集まるかというとそんなわけないですよね。

「埋もれている作品」はどこにあるか。
それは、検索しないと出てこない「検索結果」です。

例えば「あやかしやファンタジーなし、転生なしの平安時代のお話が読みたい」54作品

さらに「しかも、作中で和歌を詠む要素があってほしい」5作品

こんな感じで探すのがスコップです。

「募集するよ」に「読んでください」と参加する作者はその1回だけで終わらず似た企画に何度も同じ作品を持って行って「読んでください」をする常連になりやすい。
一方、参加しない作者は永遠に参加しない。作者が活動しなくなっているかもしれないし、活動していても企画に参加しない人も多い。
例えば有名なのが「謙虚堅実をモットーに」のひよこのケーキ先生。

例えば100年後に「こういうのが読みたいので持ってきてね」と募集企画しても、ひよこのケーキ先生は「私の作品、どうぞ」と持ってきてくれないので、「謙虚堅実をモットーに」に出会えない。
けれど、「こういうのが読みたい」と検索すると、出会える。

ここで読む側のモチベーションの話になるのですが
・自分好みのお話を読みたくて探していた人は、作者が活動していなくても「いい作品見つけて嬉しい、こういうの読みたかった」となる。作者に「読んでくれてありがとう」と言われなくてもいい。
なぜなら、「読みたかったから」「読めて嬉しいから」。
「私はあなたの作品を読んだので、そのお礼を私にしてください」という感情がない。

一方、企画系の世界はどうでしょう。
「募集するよ」企画が主流となった世界線では、読者は検索機能を使うよりも「こういうのを読みたいから、読んでほしい人は持ってきてよ」と「待つ」姿勢になる人が多いかもしれない。
そして、「読んでほしい人はいっぱいいるけど、全部は読めないよ」「こういう条件をつけます。これを満たした作者だけ読んであげる」とか「読んだら感謝してよね」という意識を強めていくかもしれない。

「自分で考えて探す(スコップする)」よりも「目の前に読む予定を積んでもらって順番に読む」方が楽。
「読者様、読んでください」「読んでくれてありがとうございます」ってRTされまくったり感謝されると、人間、気持ちいい。

「読みたかったから読んだ。読むの楽しい」
……という体験の目的や得られる楽しさの性質だったのが。

「読んでほしい人がいるから読んであげる。感謝されたり必要とされるのが楽しい」「募集にこんなにたくさんの参加がきてバズった」「自分のフォロワーが増えた」
……と、「読む」体験の目的や、得られる楽しさの性質が変化していく。

元からいたスコッパーが「検索して探さなくなる」+将来的にスコッパーになる可能性があった新規層が「検索して探さなくなる」ことで、「検索して探す」層(=スコッパー)は、これからもっと少数になるのかもしれない。

と、取り留めのない妄想をしながら本日も生きてます。







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