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ひきこもりの弟 #04 弟のこと

弟は、小さい頃は本当に可愛かった。姉の私からすると、母はいつも弟をかわいがっていて、私は可愛がられていないと感じるぐらいだった。
大人しくて、言うことを良くきく子だったと思う。
小学生の頃は、活発で友達からも人気で、学校の成績も悪くないし、スポーツもできて足が早かった。中学生の頃からか、少し大人しくなってきた気がする。
私は高校生の頃はバイト、学校行事、夜中に家を出てはカラオケにいったり友達や先輩と遊ぶのでいっぱい。弟のことに興味はほとんどなかった。

弟は高校生になり、ソフトテニス部に入ってテニスをやっていた。
父と野球を見るのが好きだったが、学生生活では一度も野球部に入らなかった。そうゆうタイプじゃないのだろう。
派手な友達がいる様子はなかった。本当に数人の友達と思うが、その友達とも会っている様子もない。
母は、高校生の頃いじめにあっていたのではないか、という。いじめほどではなくとも、見た目について揶揄されていたと。

弟は大学に入った。何がしたかったわけでも無いけれど、私がいった大学だから、自分にも入れると思ったようだ。なぜか高校生の頃その大学のタオルを買って駅伝を応援していた。
大学に入った時は新たな友人ができたり、楽しい大学生活を期待していたのではないかと思う。私自身がそうだったから勝手な想像なのだが。北海道の田舎町で育った私は、街から出たかった。札幌では足りなかった、絶対に東京に出たかった。新しい世界、新しい友人関係、新しい自分を求めていた。結局そんなものはなかったのだけれど。

弟は、大学生のころ手術をした。顎が出ていることを大学にいっても揶揄されたようだ。涙ながら母に話したみたいだった。父は、そんなこと冗談にして笑い飛ばせるぐらいじゃないと全然ダメといった。母は可哀想だから手術させてあげたいといった。見た目のコンプレックスを解決したところで、コンプレックスは解消するのだろうか。
口腔外科で顎の付け根を削り歯の噛み合わせを合わせる手術。弟は手術をしてまた一つやり直せると思ったけれど、なにも変わらなかったのかもしれない。

弟が大学4年の頃は、高円寺の2DKのアパートで私と2人で暮らした。家賃を折半して少し広いところに住みたかった私の提案。弟は近くのコンビニでバイトしていた。部屋からアニソンが聞こえてきたりしていたけれど、ほとんど顔を合わせたりはしなかった。
私は会社員で友達や彼氏と遊ぶので忙しかった。

弟の部屋は汚部屋だったが、勝手に部屋を掃除したり覗いたことがあり、そこで弟の部屋の引き出しに頑張れ!とか元気でね!とかマジックで寄せ書きが書かれたボクサーパンツを見つけた。どうやらコンビニバイトを辞めるときにもらったもののようだった。こうゆうことを書いてくる人がいたんだ。と思って、少し安心した記憶がある。

弟が単位を落としたようで、なぜか留年した。親は一体何をしていたんだとびっくりしたようだが、半年間学費をアルバイトで稼いで卒業した。もちろん就職活動はしていなかったと思う。何をしたいかわからないようだった。宅建の勉強をしていたようだったが落ちていた。なんで宅建なのか聞くと、東京に来て初めて接した社会人が不動産屋だからといっていた。他に社会人に接する機会がなく、なんの仕事がしたいか、そうゆうことを考えて来なかったのだと思う。私も同じだった。

弟は大学を卒業して、私との2人暮らしをやめてから、千葉で一人暮らしを始め、amazonでアルバイトを始めた。amazonのアルバイトは夜勤で給料が良いらしかった。私たち家族は、大学まで出たのに、夜勤で単純作業をする弟のことが全く理解できなかった。

両親が東京に来たとき、家族4人で食事にいった。
弟は「おれはアスペルガー症候群かもしれない」といった。
2014年のことだ。まだ、アスペルガー症候群という言葉自体ほとんど知られていなかったと思う。なにそれ?と聞くと、人の言っていることが理解できない。ひとつ説明されればたいていの人は理解することが、俺にはできない。何度もミスるし怒られる。
私たち家族は、へ?なんで?そんなことないっしょ〜。普通に会話してるしょ。大学まで行った人が何いってんの。そんな感じで流したけれど、本当はすごく悩んでいたのかもしれない。

私たち家族は弟のことを知っているようでなにも知らなかった。
何を考えているのか、どうしたいのか、なにも知らなかった。
弟がひきこもりになり、8年ひきこもり、ひきこもりを脱出する過程で、少しだけ弟のことを知ることができた。


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