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『感情と意識の区別』

~心理学なんて、所詮は感情のデータバンク~


感情を大切にし過ぎる今の世は、
感情と意識の区別がつかない人々を
沢山作ってしまいました。

実際、感情と意識は別々のものなのですが、
最早それを区別できる人は稀です。

何故、殆どの人が感情と意識を
区別できないのかというと、
殆どの人の感情と意識が、
常に差違の無い状態になっているからです。

では、どうすると感情と意識が、
常に差違の無い状態になるのか?

それは、感情を主体にする生き方をすることです。
感情を主体にする以上、意識が意識に
従うようになるのは必然。
これが、感情をコントロールすることが
難しくなっている理由です。

意識が主導権を握ることが無い状態で、
意識すら認識していない状態ですから、
当然、感情で感情を制御しようと試みるも、
感情の混乱でストレスが生じ、
結局、
感情が拒絶反応を示して終了というパターンです。

本来は、意識の方が主であり、
感情は従であります。

先ず、
「志し」は、心のプログラムの
根底的な基準になります。
そこから志しに沿った「意志力」が生まれ、
さらに、そこから意志力に見合った「意識」が
生まれます。
「感情」は、志しの基準次第で
どうにでも変わるものです。

意識が発達してくれば、
「感情」のあり方を客観的に観察して志し自体を
吟味・更新することも出来るようになります。

もし、志しの内容を悪しきものにしていれば、
悪しきものを自然と好み、
志しの内容を善きものにしていれば、
善きものを自然と好むのは当然でありますから、
人の成長にとって、志しの吟味は
自己の仕上りを左右する最重要事項であります。

しかし今の世は、
「考える必要も無く、変わる必要も無く、
楽に人生を逃げ切ることが出来たら平和で幸せ」
という感情主体の思想を持つ人が多く、
その思想の大敵が、志しを持つことのようです。

それは「感情=自分」と錯覚している人が陥りやすい思想です。意識が発達すれば、
感情は生理現象の一つでしかないことが判ります。

理想の志しは、万人が抱いても問題の無い内容
で、尚且つ至高でなければなりません。

なので、私は「在るべき理想の自分に至る」ことを万人が個々に志すのが一番良いと考えています。


『志のススメ』の捕捉みたいな内容でした。



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