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料理=望みを叶える一連の流れでは?

ここ数日の間、
わたしにしては大変めずらしく(笑)
家で料理担当をしていました🍳

数日料理をしていて気づいたのは、
料理って、意外にも
自分の望みや「ピンときた」ことを叶えられる絶好の活動

だということ😊

👆こう書くと大それたことを言っているように感じますが、
例を挙げると・・・

「豆苗使ってなんか作りたいなー」【望み】
👉薄切り肉がある~豆苗巻いちゃお~【実行】
👉完成して食べる【実現・叶った】

「久しぶりにオムライス作るか🥚」【望み】
👉材料何があるかな~玉ねぎ刻んで~肉の代わりにしらす入れちゃうか!【実行】
👉完成!具材マイナーチェンジしたけど意外とイケるわ!【実現・叶った】

「明日はみそ味のおかずにしたいな~」【望み】
👉肉巻きの味付けみそだれ作って和えようそうしよう~【実行】
👉完成!食べる!うまあああああ!!【実現・叶った】


実例で書くと、小学生の日記みたい🤣
だけど、一つ一つ見ていくと、やっぱり
【心に浮かんだ望み】を拾って、
実際に動いて、
料理が完成して実現
という流れをもれなく踏んでるんですよね🌟


今回のわたしの場合は、
料理に使う食材は、
予め家にあったものの中から選んだので、
「この中から選んで使う」という
わずかな制約はあったけど、
もし、買い物に行くところから考えたとしても、
買い物の時点で【望み】や【ピンときた感覚】を拾うことには変わりないのかなと😊


で、大事なポイントがひとつあって、
料理に対して「やらなきゃいけないこと」という
視点がわたしの中になかった
からこそ、
ある種の心の余裕があり、
料理の過程から気づきを得ながら、
なおかつご機嫌で数日間料理ができたんだろうなあと🍳

これが、
「今日もわたしがご飯作らなきゃ😞」
「3食必ず家族全員分支度しなきゃ😖」
「もっと手の込んだ料理作った方がいいよね😥」
と、自分に【やるべきこと】として課しながらやっていたら、
気づきを得るどころか
ただめんどくさくて嫌なことをする数日間
で終わっていたと思います。
(実際、自分は朝早く起きる必要性がないので、朝ごはんを作るためにいつものリズムを崩して早起きして作ることはしなかった。)


自分で勝手に課題みたいに課しちゃうと、
生活のひとつひとつで苦しくなっていくんじゃないかな~
というのも込められていた実体験でした🤔


最後までお読みくださりありがとうございます🎈



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