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戸籍上の性別変更 私が申立するに至った きっかけの話

ども、Hikaruです。
本日は 2024年1月25日、戸籍上の性別変更申立をして 約2ヵ月が経ちました。X(旧twitter)を見ると「申立して2週間で戸籍上の性別変更許可が出た!」と おっしゃる方も 現れて、何故 私だけ これほど時間がかかるのだろう と 思ったところです。

しかし モノは捉えようで、手続きが早いに越したことは ないのですが、現に 遅い事実は 変えられない訳で「裁判官に会うまで 色々対策できて良い」とか「片手間に手続き しながら 本業の仕事に熱中できるから いいや」とか、このような場合には 都合良く 捉えた方が 有意義に過ごせる と考えます。

先日から 「社会生活上不便なこと」や「外科的手術を受けない理由」についてnoteを書いていますが、これらの内容は 既に裁判所へ提出した文章を基にして います。いずれも 裁判官との面談時に質問されることは 間違いないでしょうから、 面談は 一発勝負の面接とも違うと考えて、私の場合 予め文章にして 面談前に裁判所へ提出しました。面談時には もう顔合わせ だけになれば良いと思い そのようにしたんですが、何故だか裁判官は3名になり この通り むしろ時間がかかって いるようで、想定外でした。

ということで
今回は 戸籍上の性別変更申立に至る きっかけ の話をします。珍しく(?)ただ私が 自分語りをするだけの、エピソードトーク回です。どのような きっかけで 申立しようと思うのか、その思考回路が気になる方もいらっしゃる ことでしょう。モノ好きな方だけ お読みください。

申立する理由は 「社会生活上不便なことが多々あるから」ですが、具体的な不便なこと、申立理由については 下記のnoteをご一読ください。

https://note.com/hikaru_acht/n/nbc980929c64b?sub_rt=share_b

不便・不都合である と気づき、申立しなければ と思うほどの きっかけが 当事者は誰しも あるはずです。そのサンプル1、私の場合は こうだった という話をします。

2023年10月25日の違憲判決を知った時点では 申し立てようと思いませんでした

この最高裁 違憲判決が無ければ そもそも申立しなかったと思っていますが、何も この判決だけが  私を本申立に後押し したのでは ありません。

「(この判決により)家庭裁判所は 手術要件を無いものとして審判する」と新聞に書いてある のを読んで「そうなんだ。申立すれば 戸籍上の性別を男性に変えることも できる かもしれない」とは思いましたが、それだけでは 申立しようと思いませんでした。先のnoteの通り、単に 書類上の性別表記を変えるだけの手続きであるし、また漠然と男になりたい と思って申立すると、書類を集めるだけでも あまりに多くの労力が かかると後から知った場合に 投げ出してしまう ことでしょう。

「男として結婚する権利が欲しい!」と思って始めた 戸籍上の性別変更申立

見出し通り 女性と結婚する権利が欲しくて、このnoteを書いている今、申立しています。
ただ 昔から そう思っていたのではなく、結婚など 形に拘る意味は無い と思って、当初は むしろ 全く興味がありませんでした。それが 先の最高裁 違憲判決が出た翌週くらいに ガラっと気持ちが変わり、気付けば 主軸の理由として 申立していました。

とある 一目惚れ に始まる話

急な告白で すみませんが、私は 完全な一目惚れ気質で、一目惚れでしか恋をしたことがありません。そして ここから 登場します 同僚の一件があるまでは、私は今まで 一目惚れした方と交際できなかった試しが 一度もありませんでした。一目惚れしたら 文字通り その女性に 速攻 突撃していくので 、デートを数回重ねる等 したこともありません。
この同僚については 初めて 突撃どころか 何らアプローチもせず、現在のところ 私もまた この同僚の、ただの同僚であるに過ぎません。しかし 同僚でもいられない、失格なのでは と自分を責める出来事がありました。

初っ端から 抹消した願望

私の勤務先では 新入社員研修の最終2日間について、先輩として 研修担当をする というイベントがあります。誰でもなれる訳ではなく、首都圏の各営業所から 30名程度選出され 「何の研修?」と思うような 謎研修をリモートで受けさせられ、最後に「今までの あなた達の研修態度を見ていました」と担当者ども が言い出し「研修のリーダーをしてください」と 私は指名されました。そして 複数人 副リーダーを選べと 言われたため 、そのうちの1人として その同僚を 選択しました。リモートで風貌も大して分かりませんでしたし、一目見ていないから まだ好きでもなく(失礼? でも一目惚れ気質なので。。)、選択理由としては ただ 、副リーダーとして この同僚の 立ち振る舞いは、研修を遂行する上で 欠かすことが 出来ないと考えたから でした。

新入社員は約80名。リモートとは言え 総勢100名超の研修であるし、私が話す内容は 予め 全て台本に書き出し 会社の総意として問題ないかチェックされ、それを2日間 ワークショップを交えながらぶっ通しで話し続け、私の 勝手な気持ちとして、性同一性障害という マイノリティが 大勢のマジョリティに “ 先輩 “ として話す状況が何だか面白く、色々 思い出があり、身勝手ながら 少なくとも私にとっては充実した研修となりました。

副リーダー達と私だけは 本社集合で対面し、そのときに その同僚に一目惚れしたのですが、「一目惚れ」と今まで書いてきましたので、皆さん 私のことを「面食い」だと思っているんでしょうが(?)、そうではないです(それもまた 何故か同僚を傷つけてしまう ようで 心苦しい。言葉は難しい)。内面が外面に出ることが 往々にしてありますよね。そう言うことです。このことについて これ以上は 本当に、noteの主題と関係ないため 書きません。。

研修終わり、その同僚含めた副リーダー達と集合写真を撮って、もう 皆クタクタだったため その場は お開き、ご飯でも と言うには 空気が 場違い 過ぎましたので、アプローチしないの?と自分に問いはしたものの「今回は なんだか “ 違うな”」と思い、私は初めて 何もせず さっさと 帰ってしまいました。

そもそも その同僚とは、仕事の電話を 新入社員であった頃から ちょこちょこ していましたので、研修後まもなく、今回は下心ある状態で 電話をしました。その電話で 急に言われました。

「私、○○(新姓)になるんです。結婚します。」

え。

私の一目惚れは ここで終わるのか、あまりに早いな と言葉に窮しましたが
また すぐに、好きである気持ちを抹消する気になりました。本気です。好きな人が結婚した。めでたい、めでたい。自分の身勝手な願望は 諦めるのがよい。この人の ために ならない。
「そうか。結婚おめでとう。めでたいな。」と 素直に伝えたと思います。ただ 正直 ちゃんと言えたかどうか、この点は 何故だか 記憶が曖昧です。本心は おそらく、もう 頭が真っ白 だったのでしょう。
「会社の人は誰も呼ばない。と言うより 会社の人を呼べないくらい、人数が多くなっちゃった。」
ああ、せめて 花嫁姿だけでも 拝みたい と、また邪なことを考えたものの、それこそ この方に失礼だと思って 何も言えませんでした。

「結婚」を前にしたら 私は何も出来ません

「最近 恋してないのか」と当時の上司に問われ、私は そのとき とても酔っ払っていたのか 話すべきでない 先ほどの話をすると
「関係ねーだろ!あきらめんなよ!!」
と急に 怒鳴り散らす勢いで言われて、酔いが覚めました。ポロっと 私も言葉にしてしまったのですから、まだ 諦められなかったのか と気づきました。

その上司が 年収1,000万超えの、それなりの営業マンであるから この程度では 諦めないのでしょうが、同様に 非当事者の方の中には「ちょっと諦めるの早すぎるんじゃないの」と思う方もいらっしゃることでしょう。結婚します と言われたのが6月頃、結婚式の予定は 翌年4月。起死回生あるんじゃないか?

しかし 私にしてみれば、私には 女性と結婚する権利が そもそも無く、 なおかつ この女性が心変わりするとも思えませんし、結婚を持ち出された時点で もう何も敵わない、願望なんて叶わない と思ってしまいます。仮に奇跡が起きて 心変わりしたところで、この女性の結婚したい願望を 私は ただ潰してしまうから、そんなこと できるはずないじゃないですか。

翌年 予定通り 結婚式を挙げられて
「結婚式、大成功でした。」
と ご報告の電話まで いただきました。とても満足そうに、幸せそうに 話されるので、聞いていて 私も嬉しい、幸せな気持ちになりました。
「結婚式の 成功って、なんだろう」と 私には 結婚が既に 夢の話なのに、更に また夢の夢の話過ぎて、素直に そう思いましたが「よかったね」的な感想を ただ 述べました。この方は プライベートの話を することが ほとんど無い方なので、詳細を質問することが躊躇われました。
私がただ、年齢の割に 幼い子どものままでいるから この人の気持ちが分からないんだと、理解できないなら やはり自分は、この人に相応しくなかった 、これで良かったんだ と再認識しました。

8月。私は これから行われる社内の研修にワクワクしていました。30km以上の道のりを ただ歩かされる競歩大会を交えた研修だったのですが、同期達や もちろん その同僚に また会えることや、チームで1位になれば👑付きで社内HPに 自分の名前も掲示されるので、競うことが大好きな私は 心躍って仕方がありませんでした。実際この競歩大会で 私のチームは1位になったのでした。それは さておき 、雑談の電話を この同僚に 私は それとなく かけました。今までの話を読むと、なんだか 私が この同僚に執拗に電話をかけている印象を与えているかもしれませんので、要らない補足をしますと、電話自体は 複数の同僚や後輩に かけていて、この電話は遊びでやっている訳ではなく 立派な社内営業としても やっていることです。静岡や東京、長野や青森など 他にも色々な都道府県の同僚と 定期的に連絡をとって、仲良くなることがあれば その人の元まで行き、私の業種は 不動産•建設であるため、現場確認を併せて必ず行います。旅行気分で行くこと 含めて、多少 私の楽しみも否定できませんが、一方で これも仕事だと思って 取り組んでいます。

同僚の理解者にも なれない虚しさ

この頃 私は この同僚に対する 下心的好意を 限りなく消失してしまって、交際相手になるのは無理であるから、せめて 良い同僚、良き理解者になりたいと まことに勝手ながら思っていました。

研修になると そこそこ積極的な同僚が「私は 歩かないです。」等と 冷たく言うので、あれれ、らしくないなと、私は 研修の どこが面白いか等、色々話をしました。それでも 全然 いつもの同僚に戻っくれません。とうとう お前も やる気のないその他大勢になってしまったのか!と 勝手に私は 怒りでも わいて きそうになったところ
「はぁ」
と同僚がため息をつき、しばらく 沈黙がありました。

「4月に結婚して、すぐにでも 子どもが 欲しかったの。妊活も、もう疲れてしまった」

私は また勝手な妄想をして ちっともこの女性の理解者になれない自分を非常に責めました。何を考えているんだ お前は。相変わらず みっともないね。よく考えてみれば 分かることでしょう。そのような女性がいることを もうこの年齢であれば 想定するべきだし、この会社の研修には 考えてみれば 男性が考えた 昭和気質の研修が非常に多いし、旧態依然な体質に 若い私が疑問を持たないで、いったい何を求められて お前は採用されて、また 何を成すために お前は入社したのか 分かっているのか?? 

同僚は「私は歩かない」と言い「歩きたくない」とは一度も言いませんでした。言い訳しない、強い人です。

10月25日。あの最高裁 違憲判決が 取っている新聞の一面に乗り、17歳から 今までの約10年で 日本の司法が ここまで心変わりするのかと驚きました。ただ それでも、まだ他人事というか、私は 何もしないで過ごしました。

10月1日付で 千葉県の松戸から岩手県の一関へ異動が決まり、首都圏の気温-5℃が相場の一関で 私は凍えていました。同僚の予定表を見ると、丸々1週間 休みを貰っていたようで、それも気になりました。旅行かな。” めでたい” ことでも あったかな。
「こちらはとても寒いです。しばらく 時間も空いたので、何か” 温かい“ 話題は無いですか。」
と また雑談のために 電話をかけました。

… …

とてもショックなことが 起きていました。
電話を切った後に、家に帰って 考えごとをしていたら、私は泣いてしまいました。全てを終わらせたであろう、電話に出た 同僚は 既に平静でしたが、そのときは 泣いていたんでしょうか。内容は書きません。軽いノリで電話をかけた私は この女性に対して、あまりに害悪ではないか。いたたまれない 気持ちに なりました。

結婚する権利がないことによる機会損失に気づく

夜 バルコニーで風に あたりながら、何故 私は この方に寄り添えないんだろう、どうして人より 結婚について 考えず幼いのだろうか と考えました。そして急に理解しました。

先ほど述べた通り、結婚について考えることは 私に精神的 労苦を強いる ということになります。ましてや 妊娠のことや 子どものことなど 考える筈もなく、生きている。これは何が いけないかと言うと、結婚する権利そのものが 与えられていないから。だから 考えることもしないんだと。これは非常に損であるし、今それに気づけたのなら 申立しない手はない。結婚する権利が無いことによる 機会損失が 甚だある と思いました。

私自身は 結婚という「形」に こだわり が無いのですが、結婚することで 享受できる 社会保障や 自治体や社内からの補助は 並々ならぬものがあり、相続において 戸籍上の家族である ことの他に 行う方法は僅少であり、何よりも「結婚したい」願う相手の価値観を考えた場合に、相手を思うなら、準備であれ 申立しない手はない、一刻も早く状況を変えなければ。と思っているうちに 最高裁違憲判決が出た2週間後の 2023年11月8日には申立していました。

向かい風の中 見た夢の話

この noteの 前置きの通り 審判は 思うように進まず、申立した 盛岡家庭裁判所一関支部に「この裁判所では審理を尽くせない」として 何故か 本部の盛岡家庭裁判所へ繰り上げられ、それも 審議する裁判官が1名から3名へ増員される始末で、意図は理解しますが 申立人の私にしてみれば 一見して不利であるし ヘコみます。。 そんな 電話がかかってきた数日後に見た夢(?)の話です。

未明
急に目が覚め、真っ暗な部屋で 眠れないなあ と
布団の中でモジモジしていると、
目が覚めているのか 夢を見ているのか、半分寝ているような つかの間の時間に
私の妄想(?)なのか 夢なのか、不思議なものを見ました。

そこには 何故か 同僚が登場、戸籍上の性別変更許可が出た後に、電話なのか 対面なのか、私は 泣きながら この同僚に報告しています。そこで どうして今まで、戸籍上の性別変更審判を意地でも続けてきたか、私は 同僚に説明していました。

そこで 言葉にしながら、自分でも気付かなかった 自分の真意に気付き(真意に気づいた自分を 俯瞰している、布団でモジモジしている自分も
気づく?訳ですが。どういう状況でしょうか?)
この夢の中 私は誰かに

「その程度の理由で、裁判官が3名に
増員されて、マジで賭ける意味あるんか
レベルの 審判を続ける気なのか?」
と問われたような気になったのですが

「だからこそ、続けたい」という気になりました。

同僚の相談に乗れなかった 悔しさ

その夢の中で 同僚に「悔しかったんです。」と私は 何度も言っていました。
子どもができない という話をされたとき、 ここに書くことができない 悲しいこと があった時も、私は 同僚に まともな返事をすることが できませんでした。好きでいられないから せめて理解者でいたかったのに。同僚にしてみれば 話を聞いてくれるだけで 良かったのでしょうが、私は 自分の不甲斐なさ に耐えられませんでした。後から 様々なことを学びましたが、遅い。あのとき 相談に乗りたかった!過ぎたことを責めても仕方がないが悔しい。環境せいにしても仕方がないから、今の自分に何ができるだろうか。裁判官が3名?知ったことか!勝ちにいくしかないんだ私は。絶対に諦めません。

どうやら これが初夢(?)のようでした。
こんな夢を見た と核心部分は書かずに 何故か同僚にメールすると、返信有。

「初夢出演ありがとうございます
なんだか私は気づきを与える人みたいになってますね
そんな大層なことはしていないのですが、、初夢が正夢になった日には、
よく頑張りましたと抱きしめてあげましょう」

とても まずいですよ それは!
重罪です。私は そろそろ首でも吊った方が良いでしょう。これ以上罪を重ねるな、頼む。。

そのような きっかけから私は申立をしています。そして また、気づかなかった自分を知って、困難があっても 続けようと思いました。

良い成果を 報告できますよう 精進します。
自分が また誰かを好きになって 結婚の話題が出たなら、同じ土台で歩んでいけるようになりたい。できなかったことを できる自分になりたいです。何できなかった 悔しさがありますから。
でも最初に叶えたい夢があります。
この同僚の理解者に なれますように。


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