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1993年冬、北京―モスクワ国際列車 女二人の珍道中 時々行商人⑪

1993年1月23日 4日目その4 売って売って売りまくれええええ!

ロシア領内に入って最初の夜、それまでの食っちゃ寝生活が激変した。車両全体が春節のお祭り気分に包まれていた前夜と打って変わって、騒然とした雰囲気が充満している。日本のそれよりも背の高い列車が駅に到着するたびにホームと車窓を喧騒がつなぎ、見上げる人と見下ろす人の間で大声、怒号、罵声が飛び交った。あの餃子、もうちょっと食べときゃよかったなあ腹減ったーと、ほんの二十四時間前のできごとを昔のことのように思い出したのは、空が白みかけてからのことだった。

強盗の「包帯ある?」の声を振り切ってコンパートメントに帰ってしばらくすると、私たちの部屋に立ち寄ってぺちゃくちゃしゃべっていた行商人たちがいつの間にかいなくなった。と思ったら、ドゥオドゥオとアイジュンが窓に近いところにある荷物のうち、いくつかのファスナーを開け始めた。列車のスピードが落ちて次の駅に停まった。すると二人は個室の窓を引き上げ、大声で「ボハーウェイカ! オーブフ!」と叫び始めた。部屋の温度が外気に吸い取られていくように急低下した。耳を澄ますと、同じような大声がほかの車両からも聞こえてくる。いったい何が起きているのかとドゥオドゥオの背中越しに窓の外を覗くと、深夜の真っ暗なホームに山のような人だかりができていた。頭からショールをかぶって防寒している厚着の女性や毛皮つきのいわゆるロシア帽をかぶった男性が押し合いへし合いしながら、車窓を見上げて何かを叫び、紙幣を握った手をこちらに必死に伸ばしている。

ドゥオドゥオはアイジュンに「ダウンジャケット!」「靴をよこして!」などと言いながら、品物を受け取っては外の人に渡している。いや、渡しているなどと言えるようなお行儀のいいもんじゃない。握らせているときと、放り投げているときと、強引にむしり取られているときが三分の一ずつといったところか。靴や服を買うときは最低でも色とサイズは確かめるものだが、そんな悠長なことをやっている人はここにはいない。ホームの人たちはドゥオドゥオに向かって我先にと紙幣を握った手を突き出し、ドゥオドゥオはそこから金を片っ端から受け取っては、ジャケットや靴を握らせている。突然キャーという悲鳴が上がり、ざわめきが大きくなった。それでも商いは続く。お金と品物が、文字通り空を飛び交っている。

わずかな停車時間の間に、ドゥオドゥオの後ろで紙幣がこんもりと山になった。列車がゆっくりと動き始めた。それでもやり取りは続く。それがスピードを増して、人の足では追いつけなくなるまで売り買いは続いた。

「はー疲れた。お茶を飲みたいわあ」
「喉が渇いたね。今取ってくるわ」
アイジュンが列車に備え付けてあるサモワールに紅茶を取りに行った。ドゥオドゥオは私たちを振り返ると、
「これが私たちの商売ってわけ」
と言いながらにやりと笑った。

「まるで嵐のようだったよ」
と私。
「ロシア語が分かるの?」
とアンナ。
「ハハハ。びっくりした? 激しいでしょ。買う方も売る方も必死だからね。ロシア語は分からないけど、最低限、品物の名前だけは覚えてるよ。ダウンジャケットはボハーウェイカで靴はオーブフ」
「ドゥオドゥオはサイズや色も確かめないでポンポン売ってたみたいだけど、買う方はそれでもいいんだ」
「今のロシアはものがない状況だし、停車時間も限られているからね。なんでもいいから物資が手に入るだけマシなんだよ。それにもし自分に合わなくても、転売ができるでしょ。お金と品物を交換するだけで、もう精一杯なんだよね」
「でもあの状況だと、お金を渡しても品物が受け取れない人もいるんだろうね」
「うん、いるね。お金をもらったら品物は放り投げてでも渡すけど、それがほかの人に取られちゃうこともあるからね。ああ、さっきキャーって声が上がったでしょう。あれがそうだった。女の人が金を払って受け取ろうとしていたジャケットを、横から男がひったくって走って行っちゃったのよ」
「そりゃひどいね……」
「そうかと思えば、金を払うふりをして、品物をひったくっていくやつもいるしね」
「えええ……」
だから品物を渡すときが一番緊迫するよね、うっかりしてたら私が腕ごとつかまれて窓から引きずり降ろされちゃうかもしれないしさ、とドゥオドゥオは肩をすくめた。
「何が一番よく売れるの?」
「ダウンジャケットかな。運動靴も持ってきたけど、さっきはあんまり売れなかったわ。ほかにも革ジャンやLivi‘sのTシャツもあるよ」

荷物のなかから商品をいくつか出して見せてくれたが、一目で粗悪品と分かる雑な作りのものばかりだった。Livi’sのシャツももちろんニセモノだ。だがそんなものでも飛ぶように売れる。いつ来るともしれぬ列車を待ち続けていた人たちの表情は、真剣そのものだった。生きるためになりふり構っていられない人たちがそこにいた。彼らを見た時、胸が苦しくなった。罪悪感だろうか。貧乏旅行とはいっても、所詮は親の金で気ままな鉄道旅行なんぞしている自分が恥ずかしくなった。だがそのいっぽうで、彼らの今の暮らしぶりは、私のせいじゃないとも思っていた。割り切れない、やりきれない、何とも言えないこの感じ。誰か分かりやすい悪者がいてくれたらいいのに。そうしたら全部そいつのせいにすればいいから楽なのに。
(つづく)

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