見出し画像

コスプレイヤーにはメンヘラが多い?「他人軸」でSNSに依存する先の「地獄」

今回は、コスプレ界隈で何度も話題に上がる「コスプレイヤーにはなぜメンヘラが多いのか?」について書きます。

私は「コスプレイヤーズアーカイブ」時代からのレイヤーです、今はそこまで盛んに活動してませんが、レイヤー界隈は10年以上見てきたので、色んなレイヤーさんが(良くも悪くも)どうなっていったか、栄枯盛衰を沢山見てきています。あくまで一人の古レイヤーの意見ではありますが、参考になれば嬉しいです。
私の現在のコスプレSNS界隈(旬ジャンル)に対する思いをつづった記事は↓なので、こちらも良ければ読んでみてください。

「コスプレ界隈はメンヘラが多い」これは、レイヤーさんとも、カメラマンさんとも、何度も話題に出てきた話でした。ちなみに私はX(Twitter)が流行る前からコスプレ界隈にいますが、その頃から既にメンヘラはまあまあ多かったです。

今はSNSによりコスプレイヤーが一般社会により受け入れられているのもあり、メンヘラの濃度は薄まったのかと思いきや、私の体感ではやはりメンヘラは多いです。
①先天的メンヘラ(=メンヘラがコスプレに集まってくる)、②後天的メンヘラ(=コスプレにハマることでメンヘラ化する)、どっちが多いんだろうという議論も出ましたが、私が周辺の人と議論して出た答えは「両方の要因が相当数いる」でした。


現実逃避からの没入によるメンヘラ化

そもそも論で、コスプレにハマる人って、「変わった人」が多いです。
私は今までいろんなリア友をコスプレに連れ出し、この世界に引っ張り込もうとしました。ですが、大体の人は「ハマらなかった」です。私の周りはいわゆる私生活が充実している「リア充」が多かったので、虚構の世界に没入する必要がなかったんだと思います。
私は学生時代にコスプレにどっぷりハマりましたが、ハマった理由は「いじめのトラウマ」でした。子供のころからの病気が原因で学校でいじめられ、自信を無くした私を「かわいい」と言ってくれたのが、コスプレの世界の人たちだったんです。

私以外でも「仕事で辛い思いをして」「学校でいじめられて」コスプレの世界に逃げ込んだ人の話は結構聞きます。ある意味コスプレが、心を守る「受け皿」になってたと考えると、決してそれはネガティブな話ではなく、むしろ「良い話」だと思います。ただ、ここからコスプレに没入することにより、メンヘラ化する人が一定数います。

私がこのコスプレの世界に10年以上いて、界隈で目立つレイヤーとして沢山チヤホヤされた時期も経験し、「有名レイヤーになりたい」「いっぱいチヤホヤされたい」など、一般的な目立ちたがりレイヤーさんが望むようなものも一通り経験した今思うのは、コスプレの魔力は強いです。
ちゃんと自分を保っていないと、その世界の「強い刺激」に巻き込まれ、メンヘラ化します。そういう意味で、やはり、「先天的メンヘラ」と「後天的メンヘラ」の両方の要素が絡むんだと思います。

現実社会では味わえない量の賛辞(=刺激)への没入

コスプレの世界では、普段は味わえないレベルで「褒め称え」られます
「顔良すぎる!」「美人!」「イケメン!」この言葉はもはや界隈における「はじめまして」「元気?」「こんにちは」レベルの挨拶に近いです。
昔はイベント会場でのあいさつ代わりでの「イケメン!」「美人!」だったのが、今はオンラインで加工済の写真に対しても、24時間レベルで「顔面国宝!」「美しい!」という賛辞が飛びます。

ここだけ読むと、あらゆる人に24時間褒めてもらうことで、自信がつき、私生活でも自信を取り戻し、良い循環が生まれそうに聞こえます。ですが、見ていた限りだと、そういう方向に行っていない人も多いんです。
ちなみに私は学生時代に、憧れレイヤーさんに「可愛い」と言われまくり、見事にコスプレの世界に沼りました。いじめのトラウマで自信をなくしていた私が、憧れの神レイヤーさんに「かわいい」と言われ続けた結果、見事に垢抜けました。元々身長が高く、よく「モデル体型」と言われていたこともあり、メイクとダイエットを頑張った結果、数年後にはファッション関係やモデルの仕事とかも貰うまでになりました。私の場合はそうでしたし、そういう「好循環」な方向に進む人も一定数います

ですが、そういう方向じゃなく、コスプレの世界にひたすら没入し、賛辞を求め続け、コスプレの世界が生活の中心になり「病んでいく」人も一定数います。なぜなんでしょうか、入り口においてコスプレが「逃避先」だということは同じなのですが、ここから、メンヘラを悪化させていく人たちが一定数いるんです。それについて次の項で書きます。

なぜメンヘラに?:「他人軸」でコスプレして存在価値を確認しようとする

「なんでメンヘラになるのか?」ということについて、私なりの見解を書きたいと思います。ぶっちゃけたところ、私は、コスプレ界隈との距離感も原因ではないかと思います。
メンヘラにならずに楽しんでいる健全な人ももちろん沢山います。
そんな中で、私が関わってみて「この人やばい、メンヘラかもしれない」と危険を感じた人は、大体において、コスプレとかの「閉じられた」世界に没入している人たちでした。そして、それ以外の世界を嫌って逃げている人たちでした。
仕事があり、家族がいて、そして気晴らしに趣味でコスプレをする。
そうではなくて、コスプレの世界の人間関係があり、その「夢の世界」中心に生きていて、そして「大嫌いな仕事・大嫌いな家族」がある。
もっと言うと、そもそもにおいて「大嫌いな自分」からも逃げている。
キャラクターの格好をすれば、大嫌いな自分を消せますからね。

コスプレの世界は、SNSの勃興もあり、今は「SNSにおいてファンから沢山称えられている人がすごい」、みたいになりつつあります。後の項でも書くのですが、これって、どこまでいっても「他人軸」の世界なんです。
自分の価値・ひいては幸せの判断すらをよく知らない他人(=ファンと呼ばれる人々の多寡)に委ねている。SNSの巧妙なアルゴリズムに端を発した世界に没入しすぎて、「いいね数」「フォロワー数」にこだわり続けると、間違いなく精神は不安定になります。良い作品を作るという「アート」「創造性」の観点からではなく、単なる「承認欲求の充足」「表面的な比較と優劣の世界」へと傾くと、コスプレの世界は非常に不安定な地獄となります。

コスプレを自分の生活の中心にして没入する

私が「この人やばい」と思った人は、私に対して自分の不幸な境遇をカミングアウトしてきたりしました。「こんな重い話を、なぜ初対面の私に…」と思わされるような話もありました(過去の虐待とか家庭不和とか)。
「可哀そうな悲劇のヒロインな私」の話をぶつけてきて、それに対して私が「大変だったね」と変に理解を示そうものなら、「私を分かってくれた大切なあなた!」とものすごい勢いで距離を詰めてくる。
そしてそこから自分の要求を通そうとしてくる。要求といっても、金品に関係するものではなく、愛着に起因する要求が多いです。「XXのキャラのレイヤーで私を一番愛して」「私を絶え間なく褒めて」「私に一番に全部話して」みたいな、距離感がおかしい要求もあります。そうすると、まともな人は逃げてしまい、そこから「どうせ私なんて誰も分かってくれない」とメンヘラを悪化させる。女性カメラマンさんでも、そういう人はいました。

こんな感じで距離感がおかしい人が一定数いました。別に、人として完璧でいろと言っているわけではないのですが、ただ、何かが「おかしい」んです。普通に生活していたら遭遇しない形のコミュニケーション形態だと思いました。私は本業でやっている仕事が好きで、それをやりつつ今は「趣味で」コスプレしてますが、この人たちの多くは、仕事も大抵において好きでなく、コスプレが本当の意味でその人にとっての「居場所」なのかなぁ、って思わされました。
過去に、私が仕事の海外出張が決まり「ごめん、皆で予定合わせた合わせに出れない、出張決まった」と言った時に、「ふざけないで、アンタやる気あるの!?」とグループラインで私を激しく罵倒してきたレイヤーさんがいたことも、今では良い思い出です。

私が言いたいのは、レイヤーが皆こうだというのではなく、普段の生活だと遭遇する確率が1%未満であろうコミュニケーションが特殊な「メンヘラ」との遭遇率が異様に高いのが、コスプレ界隈だということです。

「自分軸」を持たないままコス界隈に没入すると、地獄を味わう

最初に書いた「後天的メンヘラ」ですが、コスプレ界隈の仕組み自体が、メンヘラを助長している部分もあると思います。そして、「SNSの勃興」も、結果的にコスプレ界隈において「比較」「優劣」という概念を加速させ、結果的にメンタルを不安定にさせる人を増やしたのではないかと思います。

何より、すでに、数年前より、某コスプレ雑誌の見出しには「有名コスプレイヤーになるには」というタイトルが書かれていたりし、まるで「有名コスプレイヤーになる=成功」と思わせるようなブランディング」さえ行われていました。
私のようなコス歴10年以上の「古レイヤー」は、そもそも「有名になっても何の得もない」世界で、好きだからという理由だけで愚直にキャラの衣装を作り、イベントでコスプレ仲間と集い、ひっそり楽しんでいたので、今は価値観が変わったのかもなぁとすら思わされます。

コスプレには「憎悪」「嫉妬」とかの負の感情を惹起させる要素が沢山あります。SNSがない時代から既にそうでした。
「私の方がキャラ愛があるのに、XXさんの方が注目を浴びてる」
「合わせで、目立ってる▲▲さんが、いつも私のやりたいキャラを取ってしまう」
「顔がよくない私はどうせ相手にされない」etc.
こんな感じの話が延々と出てきていました。

「顔」「見た目」という、一番自分の努力ではどうにもならない要素で、人気という名の序列が付くと、負の感情は生まれてしまうよなぁとは思います。今は、「整形」という新たな努力のベクトルが一般化し、更にSNSの勃興で「加工」が一般化し、それにより昔のコスプレ界のような「元の顔が良いだけで無条件に人気者」という状況ではなくなりました。なのに、メンヘラは減るどころか、依然沢山遭遇するんです。

どんなステータスを得ても、結局は「大嫌いな自分」のまま

きっと、それには、根底にある「大嫌いな自分」というのが強烈にある気がしました。私は、メンヘラレイヤーさんからの、上に書いた生い立ちのカミングアウトに加え、初対面で「整形」のカミングアウトも受けてビックリしました。「自分が嫌い」という人がいっぱいいました。
整形の理由も「レイヤーの中での劣等感」とか「カメラマンに相手にされなかった」とかでした。

そして、さらに驚いたのは「整形しても自己肯定感が低い」人が思ったより多いことでした。
これは本当に驚きました、私は、整形さえすれば、自分に自信をもって明るい心で人生を楽しめるものだと思っていました(私は整形未経験)。
でも、私が知っている限りの整形をカミングアウトしたレイヤーさんは「レイヤーのXXさんは中顔面長すぎ」とか「□□さんは鼻の形がイマイチだよね」「あの顔、バランス悪い、○○のキャラが似合ってないw」「まんまるでパンパンの顔w」とかの、他人の容姿に対するエンドレスの「ケチ付け」をしていて、正直、幸せそうには見えませんでした。
結局、整形するかどうかではなく、比較ばかりしている世界線にいると、いつまでたっても他人のことが目に付くんだな、って思いました。

これは、きっと、整形云々・レイヤー云々ではなく、すべてのことに言えることではないかと思います。

SNSが更に「大嫌いな自分」の心をジェットコースター状態に

これは、私が冒頭で紹介した前記事「オタク(コスプレイヤー)がSNS断ちに至るまでの 「幸せの気づき」」も読んでもらえたら分かると思うのですが、何かを求めて、飢えた心で下手にSNSの世界に没入すると、心がジェットコースター状態になります。
いいねが爆発的に増える(=バズる)と歓喜し、まるで自分が世界の英雄になったかの気持ちになる一方で、いいねが減ると悲しい気持ちになり、ひいては、自分よりいいね数やフォロワー数が多い人を羨望し妬むようになります。

私が今SNS断ちの一環で読んでいるアメリカのベストセラー書籍「デジタル・ミニマリスト~本当に大切なことに集中する~」にも「SNSはスロットマシーン、人を依存(行為依存)させるために私達が巧妙に作った」というSNSアプリ製作者の暴露が明確に記されてされています。
一歩引いて余裕のある気持ちでSNSを楽しむなら、適度な刺激で問題がないですが、この世界に自分の価値を証明してもらおうとしてSNSに没入すると、待っているのは「終わりない感情のアップダウン」だと思います。

「他人との比較が不幸の元である」とは、哲学などの世界でも散々語られていることです。「優越感」を感じた先には「劣等感」にさいなまれる自分がいます。優越感を感じている自分は一見「幸せになれた」ように見えますが、本当の幸せは、SNSで得られる「一時的な興奮」とは違うと思います。この一見幸せに見える「いいねが多い喜び」は、瞬く間に「いいねが少ない悲しみ」も生み出します。この二つは光と影・表裏一体だから、どちらかがある限り、もう一つの感情も延々と付きまといます。

書籍内にもありましたが、こうやって、SNSで大して良く知らない他人と、表面の綺麗な部分だけを切り取った世界レベルの「終わらない比較」をしているおかげで、絶え間なく「喜び」「悲しみ」「嫉妬」「憎しみ」を感じ続け、また、それがある意味強い刺激になり、SNSやコスプレから離れられなくなるのかなぁって思います。

最後に:結局は「自己肯定感」と「自分のあり方」

前の記事で「SNS断ちをする」と書いたのですが、おかげで、凄く時間ができて、こんな記事を書くことが出来ました。今まで、これだけの文章を書ける時間を、コスプレ関係からのSNSの無意味な回遊に使っていたと思うと、本当に恐ろしいです。

ちなみに、これだけネガティブなことを書くことで、コスプレの世界をヘイトしているわけではないんです。
私は、逆に、コスプレの世界でこういう人たちを沢山見てきて、また、最初は違ったのに、コスプレの世界にまみれてメンヘラ方面におかしくなったり、分不相応に居丈高になったり傲慢になってく人を見て「どうしてこうなってしまったんだろう」「私はどうやったらそうならずに済むのだろう」と、ひたすら考えてきました。

コスプレの世界にいると「フォロワー稼ぎの営業を頑張って、フォロワー増やせばデカい顔できる!」とか「外見を良くして(加工・整形含む)、コスプレのクオリティを上げれば私は幸せになれる!」とか思ってしまいがちな人も多いです。ですが、結局は「自己肯定感」と「自分の在り方」な気がするなぁって私は思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?